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11月 12 2016

神心主義の世の中

11:33 AM ブログ

今日はどこかの会社も休みのようです。

この連中、最近は少し元気がありません。(ほんと静かに嫌がらせしています。〔苦笑〕)この休みで英気を養い、また来週から頑張ってほしいものです。(嫌がらせは頑張ってほしくありませんが。〔苦笑〕)

なんか、そこらじゅうで天罰を食らっている人がいるのではないでしょうか。(この会社の連中のようにです)

同じように元気がなくなった人、引きつった顔で私に嫌がらせをしていく人など(そういう人は特に運転手に多いんですが)最近は増えているからです。

何でそこまで逆らうんでしょう。従えばいいではないですか。この教えにです。(私にではありません。この法に従うのです)

そうすれば、元気がなくなることも、顔が引きつることもなくなるからです。

この教えに従うなら、笑顔になり元気も出て来るからです。

まったく我が強いにもほどがありますが、昨日書いた、資本、共産主義の下では、結局このようになるのです。

心の大事さを説かないからです。

だから心が狭く小さく貧困になり、愛もなくなって自分のことしか考えなくなるのです。(こういう人たちは、その自分さえも愛せなくなっているのです。罰が当たるのが分かっていて、それでも私に嫌がらせしてくる、これなど自分さえ愛していない何よりの証拠なのです)

資本、共産主義では心のことなどいわないからです。物や平等が第一で人の心などそっちのけであるからです。

しかし、それがいけないのです。

その心を大事にしないから(一としないから)不幸になる人が増えているのです。

結局、心をないがしろにしている資本、共産主義の下では多くの問題が出て来るのです。

しかし、私が昨日書いた神心主義なら、そのような資本、共産主義の下での問題もすべて解決し、幸せな人が増えます。

神心主義は、神、心を一としているからです。

例えば、金持ちが得で貧乏が損だという発想、これなど資本主義の典型的な考え方ですが、そのような思想が貧困を恨み、金持ちをねたみ、今のISのような問題をつくりだし、戦争にまで至っているのです。

しかし、神心主義に、そういう発想はありません。金や物より心が大事であると知っているからです。

では、そういう発想を元々持っているなら金持ちをうらやましがることもなく、貧困を恨むこともなく、自分が置かれた環境で(仮に、その環境がどれだ過酷であろうとです)その環境で生活することが自分の心を一番成長させることであると悟り、そういう環境に感謝し、金持ちの人であろうと貧乏な人であろうと、物があるなしに左右されることなく、同じように付き合い、何らこちらが恥じることもなければ威張ることもない、いま置かれた環境でオホホ、アハハと明るく楽しい生活をしていけるのであり(生活環境と人とはまったく関係ないからです)それが人として当たり前のことであると自覚できるのです。

そうして、神心主義は、心より先に神をおいているのです。

神の心は愛と慈悲と調和です。(まさか神の心を怒りと憎しみと不調和などとはいわないでしょうね。それは悪魔の心です)

では、当然、そのような心は常に持っていないといけません。そういう心を常に持っているなら、あまりに貧困な人には、多少の布施などしてその人の力になってあげたり、またそのようなことをしてくれた人には、報恩の行為として貧乏な人が出来ることを、その布施してくれた人にお返ししたりする、それが人として当たり前の行いなのであり、そういう行いを誰もがするなら、それがよい循環となり、またよいことが起きるということになります。

このように資本主義では足りない部分を神心主義では補うことが出来るのです。

また平等、同権というのが共産主義の典型的な考え方ですが、何でもかんでも平等、同権という考え方が不調和を生み、まとまるものもまとまらなくしているのです。(誰でも平等で同権であるなら、互いが自分のことを主張しあって自分の意見を通そうとします。それではまとまりません)

しかし、神心主義に誰でも平等で同権ということはありません。(ただし同じ神の子の人間という観点からいえば、それは平等で同権です)

必ずこの世には順序、秩序があり、神心主義はまずそれを守るのです。

親のいうことを守るのが子の務めですし、先生のいうことを守るのが生徒(あるいは弟子)の務めです。

会社でもそうです。社長や上司のいうことを守るのが部下の務めですし、そのような順序と秩序を壊してはならないのです。

まず、そういう順序、秩序があって、その中に自由があり平等があるのです。決して、その順序や秩序の外にまで自由や平等があってはいけないのです。(ですから、神心主義は決して自由や平等を否定するものではなく、自由や平等が行き過ぎてはいけないといっているだけなのです)

そういう順序と秩序があるとはいえ、親や先生や会社の社長や上司などはです。

決して愛ということを忘れてはいけないのです。

子に対する愛、生徒に対する愛、部下に対する愛、これを一として、そうして、指導、教育をしていかなければいけないのです。

愛、慈悲、調和が神心主義の基本であるからです。(愛があるなら、子や生徒や部下も自分の意見をいうことが出来ますから。愛の心からです)

こういう心で生活して行くのであれば、人をうらやむこともありませんし、努力も惜しむこともなくなり(愛の教育を受けるなら当然努力することが大事と分かりますから)自分がベストを尽くした今ある立場が一番であると自覚し、揉めることもなくなります。(人をねたむこともひがみこともなくなるからです)

どうですか、簡単に書きましたが、もし、神心主義に変わるなら、いま資本、共産主義の下で起きている様々な問題が解決していくと思われないでしょうか?

ISなどの問題でも貧困や差別ということが根底です。そうして戦争などでも欲の深い人が先導して起きて来ることであり、日本国内で起きている問題でもです。

神心主義になるなら起こらくなりますし、すべて、そのような揉め事に解決の道がついてくるのです。(実際、園頭先生が指導されていた頃の正法会では、病気が治った〔これは園頭先生がおられるので当然ですが〕揉めに揉めていたことが丸く収まった、行方不明の人が見つかった〔最近は認知症の人が増えました。こういう奇跡はありがたいです〕酒乱の人が治ったなど、そのような奇跡的事例には枚挙にいとまがありませんでした。これは園頭先生がいられたから、というのではなく法を実践すればこういう奇跡が起きるということです。だから神心主義〔法〕を実践するならストーカー殺人やら無差別殺人やら、そういう防ぐことが出来ないことまで防ぐことが出来るのです。人の力プラス神の力まで働くからです)

そのような愛と慈悲と調和の心が解決の道をつけるのであるし、この神心主義を実践すると、神の力まで降りてくることになります。

そうなると、いま世界中で起きている異常気象まで収まり、あちこちに奇跡まで現れてくるということです。

そのようなことは私が証明しています。

その私ですが、今日など、朝ねていたら外からすずめの鳴き声がよく聞こえてきました。

それでカーテンを開けると目の前の家の屋根にすずめが止まり、こちらを見てピィピィ騒いでいました。

それで「何だそこにいたのか、元気か」と声をかけるとすずめは、その屋根の上で喜んで跳ね回っています。

そのうちにもう一羽飛んできて、二羽でピィピィ鳴きながら、その家の屋根の上を飛び回っていました。

それに気づいた人もこの近所には何人かいるのではないでしょうか。私が声を出していたのとすずめの鳴き声でです。(また私も「朝からすずめが寄って来て大騒ぎだよ。こんな愛ある現象ばかり起きるわ。少しは見習え」とかいっていましたので。〔笑〕)

神心主義を実践するなら、今の資本、共産主義で起きている問題も段々解決していき、もっとよい世の中が現れるのです。

やりませんか、この神心主義をです。

そうすれば平和で愛ある世の中が実現するからです。

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