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11月 25 2016

本物の教えと偽の教え

10:46 AM ブログ

関東、東北などでは昨日はずいぶん雪が降ったところが多かったようですね。

東京など十一月の積雪は初の出来事であったそうですが、急に寒くなりました。本当に極端な天候が続いています。

それも中道の心でない人が多いからでしょう。

しかし、そのような寒さに反してずいぶん熱いのが大相撲なのではないでしょうか。

熱い戦いが連日続いているようだからです。

今場所は稀勢の里が復活してきましたね。毎場所こうですと(かわるがわる強い大関が出て来る)場所も盛り上がるでしょうね。

横綱が三人いると、必ず誰か調子がよくて(今場所は鶴竜がよさそうです)なかなか大関以下の力士が優勝することは難しいのですが、そのような中で強い大関がかわるがわる出て来ると、見ているこちらも面白いですし話題にもなります。(何せ綱とりまでかかりますから)

いやがうえにも大相撲は盛り上がるでしょう。

それにしても今年くらいからでしょうか、急に相撲は盛り上がり始めましたね。(もちろんより以上にという意味ですが)少しは力士にも法が拡がり始めたのでしょうか?

法を知る力士が増えれば、必然的に場所は盛り上がると思うからです。(そういう力士が増えれば神がいろいろ協力してくれますから)

それはどうか分かりませんが、番付が大関以下の力士には頑張ってほしいものです。その方が場所が盛り上がるからです。(何せ、三横綱は強いですから)

稀勢の里も、多分、私が祈るなら優勝できるのでしょうが(今年琴奨菊を祈りましたが、その時琴奨菊は優勝しましたから)しかし、私が祈って優勝したところで、それで横綱になれるわけでもありません。(私がずっと祈り続けるわけにもいきませんから)

だいたい、こんなところで私が祈って、これまでの稀勢の里の努力に水をさしては失礼です。

あと三番自力で勝って来場所の綱とりにつなげてほしいものです。(とはいえ、別に神に祈るということは悪いことでもなんでもありません。〔というか、いいことです〕そういう心だけは知ってほしいものです。そういう心を知るなら今場所優勝ということも無きにしもあらずであるからです)

しかし、園頭先生がつくられた正法会には、そういうところで(自分が苦しいところで)すぐに祈ってくださいと園頭先生に頼む、そういう人が多かったのです。

私がいた頃の正法会には、園頭先生に祈ってもらってこういう奇跡が起きました、ああいう奇跡が起きました、という人がたくさんいました。

別にそれはいいことなのですが、しかし、ずいぶん皆さん園頭先生に頼っていられるんだなと、少し違和感はありました。

正法は自力を説いていたはずであるからです。

自分で祈って、そうしてこういう奇跡が起きましたというのであれば、それは自力なので喜ぶのも分かるんですが、園頭先生に祈ってもらって、そうして奇跡が起きたと喜んでいる人たちばかりなのです。

何か違うんじゃないかと違和感を覚えたのですが、その違和感は的中しました。

そのような他力本願の人たちばかりであったため、正法会の人たちは園頭先生が倒れられると、とたんに多くの人が園頭先生を裏切り、他の人に頼ったのです。

ほとんどの人が自力本願ではなく他力本願であったからです。(園頭先生のことを神や仏のように思っていた人たちがです。平気で裏切るのです。本当に驚きました。こういう人たちは自分さえよくなればそれでいいからです。だから師は誰であろうと関係ないのです)

しかし、そのような人たちが現在どうなっているのか?みな不幸になっていると思いますよ。園頭先生以上の人など他にはいないからです。

それどころか、現在いる(神、仏などといわれている)人はすべて偽物であるからです。(偽物に頼っても不幸にしかなりませんから)

現在、私以外で(祈って次々に)奇跡が起きる人はいないのですから、私のところに来れば(園頭先生の時同様に)奇跡も起きて、幸せにもなれるのでしょうが、それ以外の人のところでは、たいした奇跡も起きないですし(だいたい、そういうところで起きたその現象は悪魔が起こしていますから)正しい法も分からないのですから、よい時もあれば悪い時もあり、そうして最終的には悪くなるのです。

もう、しっかり法を勉強しないと不幸になる、そういう時代に入っているからです。

偽の教えは、口ではああだこうだ、もっともらしいことをいうのですが、それを実践しても何も奇跡が起きません。普通のままか、または、もっと悪くなるのです。

その教えが間違っているからです。(間違ったことをしているのであれば、よいことが起きるわけがありません)

しかし、正しい教えは、それを実践すると必ず(何らかの)奇跡が起きるのです。(その奇跡が、その教えは正しいという何よりの証拠です)

もちろん正しく実践しないと奇跡は起きませんが、その奇跡は誰であろうと、またどこであろうと起きるのです。

正しい教えは人も場所も問わないからです。

だから法を実践するなら、多くの人から注目を浴びるような有名な人にも奇跡が起きるし(だから起きたのです)有名でない人にも奇跡は起きる。また日本であろうとアメリカであろうと、あるいはアフリカの奥地であろうと、そのような場所にかかわりなく、その人が正しく法を実践するなら、その場所に奇跡は起きるのです。

この地球の隅々まで神がつくられた神殿であることにはかわりがないからです。そうして、私たちすべての人間は、神につくられた神の子であることにはかわりがないからです。(だから奇跡が現れるのです。元々住んでいるところが神殿であり、神の子である私たちは元々は神であるからです。〔正確にいうなら神の一部ということです〕)

特別な場所も特別な儀式も必要ありません。

ただ、正しい教えの実践(神の心の実践)奇跡を起こすことはそれのみなのです。(神の心を実践するなら、神である私たちに奇跡が起きるのは当たり前のことです)

いつまで偽の教えに騙されているのですか?

正しい教えを実践しない限り、本当の幸せはやってこないのです。

(神が本当の神の教えを実践しなければ、当然幸せはやってこないでしょう。これもまた当たり前のことなのです)

追伸…大変そうですね。どこかの会社はです。いろいろ起きてです。(もうそういうところが多そうですけど)詫びを入れたらどうですか?

そういう心になる以外、救われる道はないからです。

神が本当の神の教えに逆らっているのです。不幸になるのはこれもまた当たり前のことでしょう。

2コメント

2 コメント to “本物の教えと偽の教え”

  1. ウナッシー2016/11/25 at 9:26 PM

    今日は縁があり乗馬体験へ行きました。勿論初体験です。簡単な説明を受けていざ体験へ。インストラクターが言うに初めての人でこれ程この馬が歩くのは珍しいですよ、と感心したように言うのです。それは時間内は何度も言っていました。あまり言うので口の旨い人だなと思うのも仕方ないと言い聞かせてました。しかし、その後に見せてもらった、市販されている乗馬の本の中で初めての人の疑問コーナーに、すぐ止まる、なかなか動かないと載っていたので、なんとなくインストラクターの言っていることも納得できました。しかしこれには真実があるのです。自分の身の程も考えずに、今朝の感謝の祈りの中で今日の縁とその縁ある馬に神の心を示して下さいませ、と祈っておいたのです。馬が合うとは正にこの事で神が私に合う馬を引き合わせて下さったのだなと直感し、繰り返し感謝するのでした。なぜそう思うのか。それは馬と触れあって何か心がこれで善いと腑に落ちたような感覚があったからです。

  2. gtskokor2016/11/25 at 10:05 PM

    ほう、そういう祈りをされて行かれたのですか。
    そのウナッシーさんの祈りがきかれたのですね。そういうところで(祈りがきかれるかどうかで)法の実践が正しく出来ているかどうかが分かるのです。

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