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12月 01 2016

正しい基準

10:42 AM ブログ

今日から十二月ですね。(早いですね…って、みな同じことをいっています。〔苦笑〕)

師走ですか…この月は坊さんが走り回るほど忙しいから師走といわれるようになったそうですが、その坊さんにです。

お経を上げてもらい、それで奇跡が起きた人がいるのでしょうか?

ずいぶん有難い(値段の高い)お経を上げてもらい、亡くなった人も救われ、自分の功徳にもなった、よいことをしたと喜んでいる人も多いのですが、本当にそれがよいことなのでしょうか?

本当によいことであるなら、何らかの(よい)お返しは必ずないといけないからです。

しかし、高い(値段の)お経など上げてもらい、その後、よいことがあったという人を私はあまり知りません。

では、本当にそれはよいことなのでしょうか?高いお経を上げてもらったご先祖様など本当に救われているのでしょうか?

何のお返しもないのに、そのようなことをそのまま信じているのは甚(はなは)だ疑問であるということです。

このブログを読んでいる人たちはもうお分かりでしょう。

どれだけ有難い(値段の高い)お経を上げてもらったところで、亡くなった人が救われるわけでもないし、自分の功徳にもならないということをです。

そのようなことが自分の功徳になっているのであれば、必ず何らかの奇跡は起きるはずであるからです。

別に坊さん連中の商売のじゃまをするわけではありませんが、そんな意味のないことを続けていても、それこそ意味がありません。

坊さんはお経を上げる暇がるなら、そのお経に書かれている意味を説明し(お経の中身は釈尊の説法が書かれてあるのですから)そのような(釈尊がいわれるような)生き方をしないといけないと、お経をきいている人たちに説法しないといけないのです。

そういう説法をされるのなら、それをきいて心と行いを変える人も出てきます。

そういう人が出てきて、初めてそのような(心と行いを変えた)人たちが救われて行くのであり、亡くなった人たちも救われるのです。(そういう生きている人たちの心と行いを観てです。死んで地獄に堕ちている人たちなど、どれだけお経をきいても救われません。〔だいたいお経の意味が分からないんですから〕この世の人が正しい心と行いを見せることです。それが死んで地獄に堕ちている人を救うことが出来る唯一の手段なのです。その生きている人のよい行いが手本となり、地獄にいる人たち〔生前悪いことをした霊たち〕が反省出来るからです)

もう間違ったことをしていては危ない時代になりました。

ソロソロ正しい行いをされた方がいいのではないでしょうか。その方がよほどお蔭があるからです。

だから、そのやっていることが正しいかどうかの基準はお蔭があるかどうか(もちろん善い方のです)それで分かるのです。

よいといわれているものでもお蔭がないものは間違っている、そう考えた方がいいでしょう。(または悪いお蔭がある場合。そういうことはすぐにでもやめた方がいいでしょう。それはやってはいけないという気づきの現象であるからです)

そうすれば間違ったことをしなくてすむからです。

これからは間違ったことをしていると、すぐに罰が当たる、そういう時代になりました。(もうこの辺り罰が当たりまくりです。普通以上の間違ったことをしている人が多いからです。〔法の流布のじゃま、法を説いている人に対する嫌がらせ〕)

だから、より正しいことに敏感になって、正しいことをしていかないといけないのです。

そうすれば、たくさんの奇跡が起きて来るからです。

どちらにしても、正しいことがすぐに分かる時代となりました。

そうであるなら、より正しいことをした方がいいでしょう。

そうすれば、生きている間だけではなく、死んだ後まで幸せな生活を送ることが出来るからです。(もちろん天上界でです)

追伸…カジノ法案を自民党は明日採決する方針だそうですね。

ずいぶん急ぐのですね。(審議とは名ばかりです)

何度もいいますが、おかしな法案を(マァ、自民党の〔経済一辺倒の〕人たちはよい法案だと思っているんでしょうが)強引に採決して通しても、あまりいいこと起きません。

もう少し慎重に審議された方がいいのではないですか?

もう間違ったことをすると罰が当たる、そういう時代になっているからです。

(罰が当たるなどとえらい先生方にいっても一笑に付されますかね。〔苦笑〕では、笑っているといいでしょう。そういう人には本当に天罰がくだるかもしれないからです)

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