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2月 02 2017

命数(めいすう)

11:03 AM ブログ

一昨日でしたか久しぶりに名古屋港水族館(名港水族館)に行ってきました。

最近、名港水族館のイルカに子供が生まれたようで、その子イルカを見たかったからです。

やっと見られました。(しばらく前まではしっかり公開されていませんでしたから)やはり可愛かったですね。

私が見ていると、母イルカの近くにいた子イルカが一頭で泳ぎ始め、最初はスイスイ泳いでいましたが、そのうちにクルっと腹ばいになって、今度は腹ばいで泳いでいます。

その仕草がまた可愛いのですが(子供のイルカだと何をやっても可愛いです。〔笑〕)しばらくそんな感じでゆっくり泳いでいましたが、そのうちに元気よく泳ぎ回り始めて、私の目の前でバシャバシャ飛び跳ね始めました。

子イルカが目の前で思いっきり跳ねているんですからね。驚きました。(笑)

そういう感じで、子イルカが狭いプールで凄い勢いで泳ぎ回り始めたものですから(大きいイルカも小さいイルカもやること一緒です。〔笑〕)これはやばいなと思って適当なところでその場を離れました。

子イルカが勢い余ってプールから飛び出てもいけないと思ったからです。(その場面もしっかり動画に撮りました。子イルカが水面から跳ねている場面などそうはないのではないでしょうか)

しかし、この可愛らしいイルカも水族館での寿命はわずか四~五年だといわれます。(このような子イルカはもう少し生きるのでしょうが)

野生では数十年(三十~五十年)生きるといわれているイルカが、水族館にいるとわずか数年の命だというのですから、ずいぶんはかない命であるといわざるを得ません。

しかしイルカは、自ら命を縮(ちぢ)めているわけではありませんが(水族館のようなストレスがかかるところにいるから寿命も短くなるのでしょうが)この辺りの人たちは、ずいぶん自らの命を縮めるようなことをしている人が多いようです。

昨日も歩いているとやたら怒って雨戸を閉めている家がありました。わざわざ私の方を見ながら(にらみながら)大きな音を立てて閉めているのです。(おっちゃんがです)

また悪いことでも起きたんでしょうが、しかし私は、その家の人を知らないだけでなく、そんな家など祈ったこともありません。

しかし、何か悪いことが起きると私のせいなのです。

そういうところがたくさんあります。本当に呆れますね。そのような人たちは自らの罪を私に擦り付けているだけだからです。(これだけでも大きな罪です。自分たちの心と行いが原因で起きている災いをみな私のせいにしているのですから)

そうして顔を見れば嫌がらせです。

心を救われていることには少しも感謝せず、散々嫌がらせをしているのは自分たちの方ではないですか。

そういう悪い行いを普段から平気でしていて、悪いことが起きたらそれを全部私のせいにしているのです。

これではよいことが起きるわけがありません。

それで悪いことが起きて怒っているようですが、怒るより先にまず自分たちの行いを考えてはどうでしょう。

法を説いている人に感謝できない間は(嫌がらせなどしている間は)災いは現れるのです。

自分たちの行いが間違っているからです。

そうして、これまでの行いの悪さもあります。(そんなにいいことばかりしていないでしょう。人の悪口だって平気でいっているだろうし)

そういう諸々の悪い行いが重なって、この辺りの人たちに悪いことが集中して起きているだけなのに、そういう自分たちの行いはまったく反省しないで、その自分たちの罪を全部私に擦り付けているのです。

これでは命数(寿命)が短くなる人も出て来るでしょう。

あまりにやっていることがひどいからです。(罪深いからです)

しかし、私だからこの程度ですんでいますが釈尊やキリストならこれくらいではすみません。釈尊やキリストに、もし私と同じようなことをしていたら、今頃この辺りの人たちの大半はあの世に引き上げられています。

それくらいの重い罪をこの辺りの人たちはすでに負っているということです。(だから、大人から子供まで恐ろしい病気になっているのです。自分たちの罪が重いからです)

法を説く人への罪はそれほど重いということですが、いい加減、自覚されませんか。

自分たちの犯した罪の重さをです。

法を説いている人をあまりにぞんざいに扱うなら、それ自体大きな罪になるのです。だから、これほどの現象が現れているのです。

自分たちの犯している罪があまりに大きいからです。

自分たちが、その法を説いている人の大事さを全然分かっていなかった、それが何よりの罪なのです。

この辺りに法を説く人の大事さを分かっている人が多かったのなら、今頃、この辺りの多くの人が救われ(法によって)その救われる人は全国に広がっていたはずです。

しかし、この辺りの人たちは、その法に逆らい、法を説いている私を潰そうとまでしたのです。

それはまともに神に逆らう行為でしかありません。

だから(それはそれは)恐ろしい現象が現れ始め、その現象がドンドン広がっているのです。未だにこの辺りの多くの人が神に逆らい続けてるからです。(私に嫌がらせをし続けているということはそういうことなのです)

自分たちのしていることが間違っているから災いが起きているのであり、正しいのであれば奇跡がちゃんと起きるのです。

それは私を見てもらえれば分かります。

このブログの最初にも書きましたが、いろいろな生き物の愛ある現象が、私にはそこら中で起きているのです。

正しい愛ある行いをしているのであれば、必ず愛ある現象は現れるからです。

しかし、その逆の現象が現れているということは、その逆の行いを自らがしているということであり、その自分たちに現れる現象が、何よりも自分たちの行いを現しているということです。

現れる現象に嘘はありません。それをどれだけ否定しようが事実は事実なのです。自分たちが間違っているから悪い現象が現れているのです。

愛ある奇跡が現れているのは私だけなのです。

私のいうことをきいてください。そうすれば愛ある現象が現れて来るからです。

追伸…どれだけ怒っても、もう災いが起きるだけであり、怒れば怒るほど、その災いはひどくなります。

自分たちのしている行いが間違っているからです。

もうその間違っていることを、いくら繰り返しても認めない人は認めないのでこれ以上書きませんが、では、よくなる方法だけ書いておきます。

私に感謝して布施でもしてください。この辺りの多くの人は私に心を救われているからです。

そうして、嫌がらせしている人も多いからです。

それ以外のことをいくらやっても、その起きている災いは止まりません。それ以外の行いで災いを止める方法はないのです。(心を救われた私に感謝もせず散々嫌がらせなどしていることが、この起きている災いの主な原因なのですから、まず私に心を救われたことを感謝し、嫌がらせしたことを反省し、そうして報恩の行為を行わなければ、この起きている災いが止まらないのは当たり前なのです)

そのような心と行いが自分を救い、そうして徳を積むことにもなるということを知ってください。

小、中学生も同じように布施しろとはいいませんが、少なくとも私に嫌がらせしたことを心から詫びないと、その罪は許されません。

どのような形でも結構です。少しくらいの反省した態度は取るべきでしょう。そうしないと、その罪はいつ現れるか分からないからです。

ソロソロ神の心に従われませんか?

ずいぶん天罰がくだり始めているようだからです。

2コメント

2 コメント to “命数(めいすう)”

  1. ウナッシー2017/02/02 at 12:50 PM

    ここ数日TVでは食料廃棄を問題にするニュースに目が止まります。何でも昨年の廃棄は日本人一人当たりに換算すると毎日茶碗一杯分になるそうです。幼かった頃祖母には米一粒でも残さず感謝して食べなさいと言われていたことを思い出すと、実にもったいない話だと思います。よくTV等で「お腹空いた~」という場面をみますが、実際はそんな感覚も無い方が多いのではないでしょうか。昨日のコンビニの話ではないですが軽い気持ちで買ったのが、いつしか習慣になりそれが喫茶店になりついでに食事もとなると家で用意した食事も不要となる・・。
    または、折角作ったので家でまた食べて胃に負担を強いる。食事が不要となればかみさんは気を損ねるし、無理して食べれば体調を崩す。そんな人が大多数を占めたら食料廃棄も減らないのかもしれません。実際は色々な事情でそういう現象になっているご思いますが、しかしよくよく始末をして行動しないと心地よくは過ごせないと思います。。

  2. gtskokor2017/02/02 at 1:28 PM

    そうですね。ウナッシーさんがいわれるように、加工食品のつくりすぎやら何やら様々な問題もあるのでしょうが、まず一人一人の食べ残しをなくすことから始めないといけないでしょう。
    園頭先生は出された食事はいつもきれいに食べていられたそうです。(食べられそうもない時は、手を付けるより先に回りの人に「これ食べてください」と食べられないおかずを配って、食べてもらっていたそうです)
    何か注文される時でも少しずつ注文され、決して食べきれないほど注文されなかったそうです。
    園頭先生のそのようなところをまず見習いたいですね。
    多くの人がそのような心になれば、もっと食料廃棄は減らせると思うからです。

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