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3月 12 2017

男と女の違い

10:54 AM ブログ

もう少し男と女のことを書きましょう。

最近は性同一性障害とかいう病名で、ホモやレズが認められるようになってきました。病気であるから仕方がないとです。

しかし、病気であるなら治せるはずですが、そこは誰もいいません。

なぜでしょうか?

昨日書いた多様性の名のもとに、そういう同性愛まで認められ始めているからです。

しかし、これも昨日書きましたが、こういう同性愛が広がるなら世界は滅びてしまいます。(それは誰でも分かりますよね。同性愛者が増えれば増えるだけ子供が出来なくなるからです)では、そういうことを許していてはいけないのだし、そういう人たちが病気だというのであれば(またそれも失礼な言い方ですよね。「同性愛者は病気だ」といっているのですから。〔苦笑〕)治せばいいだけの話なのではないでしょうか。

病気であるなら治療すれば治るはずであるからです。(別に不治の病ではないのですから。〔笑〕)

実際そうなのです。

こういう同性愛者は今生は男で生まれて来たが前世は女であったとか、あるいはその逆であったとか(どこかの教祖ではありませんが)守護霊が異性であるとかすると(男に女の守護霊がついていたり女に男の守護霊がついていたりすると)その影響で体は男なのに自分は女だと思い込んで、同じ男を好きになったりとか、その逆に女であるのに男だと思い込み同じ女を好きになってしまったりするのです。

つまり同性愛者とは、前世の影響や自分の守護霊の影響を強く受けている人たちということなのです。

だから、こういう人たちは自分で同性愛者になると決めて生まれてきた人たちではないが、他の影響が強すぎることで泣く泣くそうなってしまっている人たちなのです。

そうであるなら、その間違いは正さなければいけないでしょう。その間違いを正さなければ、こういう人たちはこの世に生まれてきた意味がなくなるからです。(つまり、同性愛をしている間は、自分が決めて来たこの世の使命をしっかり果たすことが出来ないということです)

男としてこの世に生まれて来たのなら、男として果たすべきこの世の使命があるのであり、女としてこの世に生まれて来たのであれば、女としてこの世で果たすべき使命があるのです。

だから、肉体が男でこの世に生まれて来たのであれば、心がどれだけ女のようであっても、それは徹底的に男らしく生きなければいけないのであり、肉体が女としてこの世に生まれて来たのであれば、心がどれだけ男のようであっても、それは徹底的に女らしく生きなければいけないのです。

そうすることが、自分の使命役割を果たせるまず最低の条件であるからです。(男が男らしく生きる、女が女らしく生きる、これは当たり前のことですから。自分が何かやる前の話ですから)

しかし、同性愛者が病気であるというのなら治療所は当然必要であるのだし(私、失礼なこといってませんよね。世間ではそういわれているのですから)病気をそのままにしていては、その病気は悪くなる一方であるのですから、それ(同性愛者の治療の)専門の病院をつくっても何もおかしくはないと思うのですが、不思議なことに、同性愛者は病気だといわれ病名まであるのに、それを治療する場所がない、それどころか、その同性愛を勧めている人たちまでいるというのですから、何から何まで不思議なことばかりです。(そういう人たちはもっと病気になれといっているようなものです。そのうち罰が当たりますね)

こういうこともよく考えないといけないのです。やっていることが正しいかどうかをです。

同性愛者がいるなら、そういう考えは捨てて、自分の肉体通りの考えをしっかり持てと勧めてやることです。(男なら男らしく、女なら女らしく)

それが一番正しいことであるからです。そうして世を救うことでもあるからです。(何度もいいますが、同性愛など広がれば世は滅びます)

男と女のことを書こうとしたら、その中間の人たちのことを書いてしまいました。(苦笑)少し話を戻しますが、前回、前々回のブログから書いていますが、男と女では特性がまったく違います。

だから持っている能力も違います。では、必然的にやることも違って来るのです。(それが当たり前です)

例えば、前から書いていますが、女は男を変えることが出来ますが、男は女を変えることはなかなか出来ません。

それは持っている業の深さが違うからです。

業の深さが違うと愛の深さも違ってきます。それで人に影響を与える度合いが違って来るのです。

だから女の場合、たとえ自分の夫がダメ夫であっても、妻の愛が深ければそのダメ夫をよい夫に変えることが出来るのです。(これが女性の持っているすばらしい能力の一つです。ダメな人をすばらしい人に変えることが出来るのですから、これも一つの能力でしょう)

例えば仕事もあまりしない、飲んだくれの夫がいたとします。

そういう夫でも妻の愛が深ければ変えることが出来るのです。もちろん口でギャーギャいっても変わりません。(そんなことをいえば男はよけい反発して酒を飲みます)

口ではなく愛で変えるのです。

深い愛で神に祈り、そうしてダメ夫のよいところを褒める(どこかよいところ探してです)そうしてあなたは出来る子であると、ある時は子供のよう諭し、ある時は叱咤激励して、やる気を起こさせるのです。

そうすれば、その妻の愛でダメ夫は段々やる気を出し、いずれはよい夫に変わっていくのです。(実際、そのようなやり方でダメ夫だった人がよい夫に変わったなどという例は、たくさん園頭先生からきいています。そういうやり方をすれば神も協力してくれます。自分の愛と神の愛の両方の影響を受けてダメ夫はよい夫に変わっていくのです)

しかし、同じやり方をしても逆の場合は変わりません。(やれたとしても相当時間がかかります)

ここが男と女の違いで難しいところなのですが、マァ、男は外で大きな仕事をして、そうして妻を引っ張る、そういうやり方がいいのではないでしょうか。

中々妻に夫は口では勝てないからです。(苦笑)

こういう問題ばかりでなく、例えば、子供がほしくても長年子供が出来なかった夫婦がいたとします。

そういう夫婦も妻が夫を尊敬して(そういう夫婦は肉体的な欠陥がないのであれば、妻が夫のことを尊敬していない〔バカにしている〕そのような夫婦が多いからです)どこであっても妻が夫を立てるようにすると子供が出来るようになります。(どちらにしても夫を立てないことには子供は出来ませんし。〔笑〕)

そのような妻の(夫をバカにしている)心が子供を遠ざけているからです。

子供は神の授かり物とよくいわれます。そうであるなら神の心に合わせないといけないのです。神の心に合わせるなら子供は自然と授かるのです。

その神の心に合わせるということが、妻が夫を尊敬するということなのです。

二、三例を書きましたが、こういうことを考えても男と女では考えも違いますし役割も違います。(例えば、女は子供を産むことが出来るが男は出来ない)

同じことをさせようとすることがどだい無理な話なのです。

男と女の能力をもっと活かしませんか?

そうすればもっともっとすばらしい世の中が現れて来るからです。

追伸…だから男と女で何でも半々にしようとしなくてもいいのです。

女性管理職をもっと増やせとか、女性の国会議員を男性議員と半々にしろとか、そういうことを特別いわなくても能力主義でいいのです。

やれる人がやればいいのであって人数は関係ないのです。よい意見には男であろうと女であろうと賛成するのであるし、悪い意見には男であろうと女であろうと当然反対すると思うからです。

それともそういう良識さえ国会議員にはないというのでしょうか?よい悪いということさえも性別で決めてしまうとでもいうのでしょうか?

それでは国会議員となる資格も資質もないということになりますが(というか、その前に社会人失格です)そういう意見も極論にすぎないのではないでしょうか。

男でも女でもやる気と能力がある人が、管理職でも政治家にでもなってくれればいいのであって(男女の)数合わせではないのです。

男と女は何でも半々、そういう世界的な思想に日本発で風穴を開けませんか?

そのような考え方は子供の発想以外の何ものでもないからです。(何でも半分こなんて子供の発想ですよね。〔笑〕大人であるなら、数が多かろうが少なかろうが、性別も関係なくよいものはよい、悪いものは悪いと判断出来るはずであるからです。またしないといけないでしょう。それが出来ないような人は政治家や管理職などやってはいけないのです。資質がないからです)

2コメント

2 コメント to “男と女の違い”

  1. ウナっシー2017/03/14 at 8:18 AM

    何気に見たweb三面記事に、20年以上連れ添った夫婦の離婚いわゆる熟年離婚についてありました。法務省の発表だと25年前に比べ7割増えているとのようです。また内訳は75%が妻からの申し出だそうです。その理由は日常の生活の不満であるようで、使用後の洗面が汚い、スリッパが揃えていない、ドレッシングを冷蔵庫に戻さない等、これまで数十年尽くしてきた事に堪忍袋の緒が切れたことも、理由の上位を占めるそうです。夫婦間の問題だけに表だって見えませんが、そこにも心の在り方が行く末を決めて行くという法則が見えてきます。これまで他人事と関与して来ませんでしたが、他人の悦ぶのは見ていても気持ちの良いもので、これからは少しでもその顔が見れるよう、お役にたてたら良いと思いました。

  2. gtskokor2017/03/14 at 11:49 AM

    こういうところでも愛のなさが分かりますね。
    女性の方が細かいところに目が行くのですから、夫婦で暮らしているのであれば(親子だってそうです)そういうところが気になるのは当たり前のことなのです。
    しかし、そうであるなら、そういうところを直してやるとか、愛の心で許してあげればいいのです。(夫から見たら妻のことでも気に食わないところはたくさんあるのですから)
    しかし、そういう愛の行いはしようとせず、全部心にため込んで最後に離婚して夫の退職金を分捕ろうなど泥棒と同じです。
    もう少し女性は愛を出さないといけないのです。
    それくらいの愛は女性であるなら、当然備えているからです。

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