3月 23 2017
天の力を引き出す法の実践
もう、そこらじゅうで怒っていますね。(私が歩いているとあっちからこっちから、ゴンとか、ガンとか、ゴホゴホとか、ブシュとか、たくさんきこえてきますから。これプラス鳥たちも騒いでいます。もう、うるさい、うるさい。〔苦笑〕)
本当に参りますね。みな馬鹿の一つ覚えのように同じことを繰り返しているからです。
残念ですが、そういう人たちは近いうちに全員癌になります。覚悟しておいた方がいいでしょう。
人は誰でも毎日癌になっています。(人には毎日数千個の癌細胞が出来るそうですから)
その癌細胞を免疫力で殺しているだけで、その免疫力が弱ったら即癌です。だから誰であろうと今日にでも癌になるかもしれないのです。(こうやって考えると癌検査って意味があるんでしょうか?毎日癌細胞が出来ているのにです。今日癌検査をして大丈夫だったと安心しても、明日には癌になっているかもしれないのにです)
行いが悪いのならそういう悪いことも起きるでしょう。だから普段から自分の行いは正しくしないといけないのです。
その行いさえ正しければ、そのような悪いことが起きる前に、いろいろな気づきを天から与えられ救われて行くからです。
運がよい悪いとよくいわれますが、しかし、そのような作用はすべて天が行っているのです。様々な順序を通してです。
例えば、交通事故に遭いかけたが寸前のところで助かったとか、川や海で溺れかけたが人に助けられたとか、たまたま検査したら初期の癌が見つかって簡単な手術ですぐに治ったとか、このような運のよいような出来事は、天の力が作用しなければ起こりえなかった奇跡なのであり(これも一つの奇跡です)もしそこに天の力が現れなければ、悪い結果しか出ずに最悪死んでいたということです。
それはそうでしょう。交通事故に遭って死ぬ人はたくさんいますし、毎年、夏になると川や海で溺れて死ぬ人は増えます。
それが助かったというだけでもずいぶん運のよい話なのではないでしょうか。
それに癌で死ぬ人など年間で三十万人もいるのです。しかもその癌など、先ほども書きましたが人には毎日のように癌細胞は出来ているのです。
だから、もし私たちが癌検査で癌の早期発見をしたいのなら、毎日癌検査を行わないといけないということになりますが(しかもどこに癌が出来るか分かりません。癌など体中に出来るからです)それがたまたま検査した時に(その検査したヵ所で)初期の癌が見つかるなど、こんな奇跡的な出来事はありません。
これもまたずいぶん運のよい話なのではないでしょうか。
しかし、そのような運のよい結果が得られたのもです。そこに何かの力が働いているからです。
何かの力が働いたからこれほど運のよいことが起きたのです。(人の力だけではなくです)
その運のよい結果が得られた、その人智を超えた力とは何かということです。
それが天の力であるということです。
これは誰でも自覚していることでしょう。人以外の何かの力が加わったから運のよいことが起きたのであり、その何かの力の意味が分からないから皆それを「運」とか「験」とかいって、運がいいとか、験がよいとかいっているのです。
しかし、その運とか験とかいわれているものが、実は天の力であったのです。
だから、そういう運のよい結果を得られたいのであれば、自分たちの行いを正さなければいけませんよ、そうしないと悪い結果しかでませんよ、と私はいっているのです。
実際に、そういうこと(運がよい悪い)の典型的な出来事がこの辺りで次々に起きているからです。(そうですよね。私は自分の力で何かしているわけではありません。すべて自分以外の力が作用して様々なことが起きているのです)
極端に現れているのではないですか?その運のよいことと悪いことがです。(またどこかの会社が急に怒り出しましたが何かあったんでしょうか?)
だから私には奇跡が起きていて、私以外の人たちは異常な怒り方をしているのでしょう。
そういう(運がよい悪いという)極端な結果が次々に現れているからです。
なぜ、この辺りにこれだけ(運が作用するような)典型的な出来事が次々に起きているのでしょうか?
それはつまり、それだけ極端に天の力が現れるようなことがこの場で行われているからです。
その極端に天の力を現すようなこととは何でしょうか?
それがこの法(正法神理)であるということです。
法を実践することは天を大いに動かし、その天の力をたくさん現すことが出来るのです。
だから、この辺りにたくさんの天の力が現れ、運のよいことと(奇跡)運の悪いことが(災い)これだけ極端に現れているのです。
法の実践以上に天の力を現す(降ろす)方法はないからです。
だから、法に従っている私に想像以上のよいことが起き、逆らっている人たちに想像以上の悪いことが起きているのです。
法の実践を行うなら、よいことも凄まじい現れ方をしますが、その法に逆らうなら悪いこともまた凄まじい現れ方をするからです。
法に従うのか、逆らうのか、その差がこの辺りの人たち(私も含めてですが)に現れているだけなのですが、それがこれだけ極端な差となっているのです。
だから私は「お前のせい」ではなく「自分のせい」であるといっているのです。
自分の行い次第で(特にこの辺りは)凄まじくよくもなりますが、凄まじく悪くもなるからです。(法がこの辺りは伝わっていますから。その法を行うか逆らうかで天と地ほどの差が出るのです)
くだらない意地など捨てて、この法に従ってはどうでしょう。
そうすればすぐにでも幸運は訪れるからです。



人目の訪問者です。

私の家では、お陰様で両親が揃い家族全員で団らんをとっています。これには先生のお陰もあり本当に感謝しています。しかし、それもどうやら私だけのようです。何かというと退院をして我が家に帰って来てホットしたのも数日間で体調が優れないとか何か違和感があると言うのです。だから私は、まあ帰って来たことだし退院をしてまだ数日間だから気にずにゆっくり休めばいいじゃない。そう言って話をしました。本当はホットしたところで退院をしたことに感謝して症状も軽く済んでいることに感謝していけばいいのにどうも幸せとは縁遠いものと感じているようです。他の家族も気にし過ぎと声かけをしていますが、私は神を知っています。その日以降私は毎日仕事から帰っては、気分は良いですかね?等と声かけをしています。そうやって毎日声かけをしていこうと思います。
そうですね。
本当の神をご存知でないと病気などされると(しかもその病気が危ない病気などですと)心配で仕方ないのでしょう。
しかし、そのような心配する心が(また病気が再発するのではないのかと思う心が)病気を呼ぶことになります。
出来るだけご両親が安心されますよう、心に病気を描くようなことをされませんよう心配りは大事なことであると思います。