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3月 28 2017

心が一番の問題

11:24 AM ブログ

この辺り最近特に様子が変です。(マァ、前からといえば前からなんですが…)

昨日でも歩いていると、やたら怒っている人たちが多いところがあるかと思うと、広い公園に人っ子一人いなくて(その公園はこれまではいつも私が通ると子供がたくさん遊んでいました)その辺りは公園だけではなく歩いていても人が誰もいなくてシーンとして、まるでゴーストタウンのようでした。

怒っている人が多いところもあれば、誰もいないところもあり、私が通るところは何か知りませんが、そのような両極端なところが多いのです。

本当にずいぶん私は嫌われているようですが、何で悪いことが全部私のせいなのでしょう。(ほんとテレビドラマじゃないんですから、普通そんな極端な態度、みながみな取らないでしょう。〔苦笑〕)

私の何が悪いというのですか。

祈りですか?

しかし、私の祈りは嫌がらせをして来る人に対し「この人を正しくお導きください」と祈っているだけなのです。

嫌がらせという悪い行為を行って来るから、私はそれを正しい祈りで返しているだけなのです。

何でそれがいけないことなのでしょうか?

悪いことをしているのは嫌がらせをしている人たちの方なのです。(大人であろうと子供であろうとです。だから悪いことが起きるのです)早くそれに(間違った自分たちの心と行いに)気づいた方がいいでしょう。

そのような間違った心と行いに、いつまでも気づかないとコロッと逝くかもしれないからです。

そういう現象が(どうしても分からない人はあの世に引き上げられる)そこかしこで現れはじめているからです。

それはウナッシーさんのコメントを見れば分かるはずです。

ウナッシーさんのご近所だけでも今年に入り、次々に人が亡くなっているのです。

しかし、そのような恐ろしい現象はあくまでウナッシーさんのご近所だけであって、もっと広い範囲を見るならもっと起きているでしょう。(当然この辺りはもっともっと起きているはずです。悪いことをする人が〔自覚がないだけで〕多いからです)

だから多死社会になっているのです。

昨日でもそうでしょう。あの栃木のスキー場での雪崩事故などひどいものです。

八人が亡くなり四十人が重軽傷を負ったのです。

いくらスキー場とはいえ、この時期にあれだけの大雪になるのは珍しいとのことですが、そういうところに集団で高校生が行ってまとめて雪崩に遭うのです。

これ以上、運の悪い話はありません。

しかし、そういう運の悪いことが起きてしまうのです。心の在り方を無視しているからです。

その運は自分たちの心が呼ぶからです。(それはこれまで何度も書いていますが)

だから、何よりも先にまず心をきれいにしないといけないと私はいっているのです。

そうすれば少なくとも、そのような悪いことが起きることはないからです。

一見すると、なぜ、あんなよい人にあんな悪いことが起きたのか、と思うようなことが多々ありますが、それはその人の外見(そとみ)だけでそう判断しているのであって、心の中は分かりません。

そのようなよいと思われている人に悪いことが起きるその原因は、その人の心の中にあるのです。

どれだけ善人のような人であっても、心に不平不満をたくさんため込んでいたり、あるいは表面上は善人でも心の中が悪人である人(例えば、表には絶対に出さないが、心の中では人のことをボロカスいって、人が何人死のうが関係ないなどと思っているような人、こういう人は実際は悪人なのです)こういう人には悪いことが起こります。

そのような心が災いを呼ぶからです。

だから当然、悪いことをしている人たちも悪いことは起きるのですが、しかし、案外悪いことをしている人たちよりも、悪いことをしていない人たちの方が悪いことが多く起きているような印象がありますが、これはその通りなのです。

悪いことを実際にしている人たちよりも、悪いことをしていない人たちの方に悪いことが起きることが多いのです。

それはなぜか?

行いはよくても心の中が凄く悪いという人が案外多いからです。

悪いことをする人は、実際にその悪いことを行いますので、それほど悪いことを心にため込まないのです。

その心の差が悪いことが多く起きる、起きないの差となって現れるのです。

もちろん、悪いことをすればそれが自分に返ってきます。だから悪いことをした人は当然不幸になるのですが(警察につかまったり、仮にこの世で逃げおおせたとしてもあの世で地獄に堕ちてです)しかし、心の中に悪をどれだけため込むのかということが一番問題なのであり、その度合が、この世にいいことが起きる、起きないの違いとなって現れるのです。(この辺りの人たちは心も悪ければやっていることも悪い〔法を説く人への悪は一番悪いことですから〕だから、どこよりも悪いことが起きているのです。一番悪いことを実践しているからです)

すべて心の問題なのであり、その心さえ正しくしているのであれば悪いことが起きることはないのです。

ところが現代の人はそれをまったく知りません。

表面上だけよければそれでいい、心の中は関係ないと思っているのです。それがいけないのです。

だから不幸になるのです。その心が一番問題であるからです。

これまで問題にしてこなかった、その心が一番問題になる時代が来ていますが、その心を問題にしてこなかった人たちは、心が問題となる時代になって、では、その心の正しい在り方が分かるのでしょうか?

これまでそんなことをまったく考えて来なかった人たちがです。

私は正しい心で正しい行いをしているから奇跡が起きているのです。

このような時代になって、それでも次々に奇跡が起きている、その起きていることの大きな違いを少しは理解されてはどうでしょう。

その違いが、今後の人生を大きく左右することになるからです。

その大きな違いに気づかない限り、自分たちの不幸は止まらないのです。

追伸…新横綱の稀勢の里が奇跡の逆転優勝を果たしました。

ずいぶん多くの人が感動したでしょう。場所中にあれほどのけがをしていながら、それでも最後の最後に逆転優勝を果たしたからです。

このような奇跡の逆転優勝、そうして新横綱での優勝は二十二年ぶりであり(何か奇跡の連続ですね)稀勢の里からも「最後はもう自分の力以上のものを感じた」「場所中には見えない力を感じた」などの発言が相次いでいるのですから、これはもう神の力が働いていたといわざるを得ませんね。いや凄いです…といいたいところですが、本当にそうなんでしょうか?

私は今場所、稀勢の里に神の力が働いたのかどうなのかは疑問ですね。

なぜなら神の力が本当に働いたのなら、あんなけがはしなかったと思うからです。(あの日馬富士との一戦でのけがはずいぶんひどいんじゃないですか?)

場所中も(もちろん新横綱のプレッシャーはあったのでしょうが)やっと勝っている印象でしたし、あのけがといい、そのあと千秋楽で二連勝出来たのは、何か横綱になったので意地だけで勝ったように見えました。

とても神の力が働いているようには見えなかったのです。(先場所の千秋楽のようなです。同じ千秋楽でもずいぶん印象が違いました)

だから非常に無理をしているようにしか私には見えなかったのですが(だから大丈夫ですかね。あのけがはです。最後に無理をしたものですから、後々の相撲に響かないか心配です)本当に見えない力を得たいのであれば、それは相撲の稽古だけでは身につきません。

心を磨かなければいけないのです。

横綱は心を磨いているのでしょうか?

その心は、この法の実践以外で磨く方法はないのです。

2コメント

2 コメント to “心が一番の問題”

  1. ウナっしー2017/03/28 at 12:44 PM

    近所の不幸があって少し淋しい気持ちで会社に出てきました。すると会社で会う人から、ご近所で大変だったね新聞(県内版訃報)で見たよと声を掛けてくれたのです。そしてその人と話をすると毎日その訃報欄を見る様でこう言うのです。最近亡くなる人が多いよね、高齢化にしてもだよねと話してくれました。しかし思うのは、高齢化と多くの人が亡くなるのは決して比例するものではないと思ったのです。高齢者が多いから亡くなる人も増えるのが当たり前と思う心こそ、真実から目を反らしているということでしょう。生まれてくれば人は死ぬという当たり前と思う心も同じと思うのです。日常のそんな会話からも頂ける気付きに感謝しています。

  2. gtskokor2017/03/28 at 1:35 PM

    そうですね。最近の死ぬ人の多さは異常ですから。(起きる現象も異常ですし)
    なぜ、こんなことが起きているのか、早く気づいてほしいものです。

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