4月 15 2017
徳をためよ
今日は北朝鮮は最大の祝日(太陽節)だそうですね。
核実験などするかもしれないといわれていますが、何もないことを祈るばかりです。
マァ、北朝鮮は予断を許しませんが、こちらもこちらでまた予断を許さない状況のようです。(こちらは神のミサイルが飛びまくっていますから)
今日も朝からずいぶんお怒りです。どこかの会社がです。
ここ二、三日はよく電話がかかってきて、そのたびに怒ったり引いたり忙しそうなんですが、今日も朝一から電話がかかってきたかと思ったらそれから凄い怒りようです。
マァ、そういうところは多いようです。やたら怒っていたり引いていたりと、どこも忙しそうです。
何度もいいますが、怒っていてもその災いは止まらないのです。
それどころか怒れば怒るほど現れます。その起きている災いは天罰以外の何ものでもないからです。
では、どうやったら止まるのか?
感謝するしかないのです。今の逆の心を持つ以外、その災いを止める方法はないからです。
自分のした悪いことを反省し、私に感謝する以外でその災いを止める方法はありません。
やれる人だけでよいからされたらどうでしょう。みな同じように「お前が悪い」の一点張りでは、そう思っている人、全員に災いが現れるからです。
正しい行いをしない限り、その災い(天罰)は止まらないからです。
ずいぶん多くの人がこの辺り災いが現れているのではないですか?
それは私に対する態度ばかりでなく、私にずいぶん嫌がらせをした会社などがチョコチョコやめている。そういうことからでも分かるのです。(いくつかやめたところがあるみたいですね。〔小さいところですけどね〕私はあちこち歩いているのでよく分かります。「あっ、ここやめたんだ」とです)
そういう会社が(私に嫌がらせをしていた会社が)どういう理由でやめたのか、それは分かりません。
社長が年を取ったので廃業したのかもしれませんし、それこそ資金繰りが悪化してつぶれたのかもしれません。
あるいは、社長や従業員が次々に病気になってそれで泣く泣くやめたのかもしれません。
どういう理由かは分かりませんが、とにかくやめる会社もチョコチョコ出てきているようですが、それはこの辺りで起きていることと無関係ではないのではないでしょうか。
だって、未だよくサイレンはきこえてくるからです。(ということは、それだけ病人が出ているということです。それだけ病人が出ているのなら小さい会社で社長や従業員が病気になって、やめざるを得ないところも出て来るのではないかと思うからです)
しかし、そこそこ大きな会社でもです。こういうことが続くのならやめざるを得ないところも出て来るのではないでしょうか。(市バスの運転手も募集しているようですし)
未だにバスやトラックの運転手連中は私に嫌がらせをしているからです。(どこかの会社もそうですけど)
昨日など私にコーヒーのカンを投げてきた運転手までいました。(怖いです。そういう人たちにこれから何が起きるのかを考えたらです)
相当頭に来ているようですが、自分たちが私にしている行いをまったく考えず(そこらじゅうでブシュブシュやかましい嫌がらせをしているくせにです。普通の人なら今頃うつになっていても不思議ではありません。人をうつにするくらいのことを先に私にしていながらです)悪いことを私一人のせいにして物までぶつけてくる。(幸い当たらなかったんですけどね)
哀れなものです。自分たちのしている行いをまったく考えないからです。
どちらにしても、そのしている悪いことは自分たちに返るのです。
もう悪いことはやめませんか?悪いことをすればするだけ天罰はくだるからです。
昨日でも私は歩いている間中、そこかしこから鳥が飛んで来てにぎやかなものでした。
家に帰って来ると、家の近くにいるすずめ数羽が大騒ぎして迎えてくれました。(もう近所中きこえるであろう大きな声で鳴いて飛び回っていました)
なぜ私にはこんなことが起きているのですか?なぜ私だけにこれだけ愛ある現象が次々に起きているのでしょう。(えらい違いですね。皆さんがたとはです)
それはもう何度も書いていますが、私は多くの人の心を救っているからです。(このブログで法を説いてです)
そういうよい行いをしているからよい行いが返ってきて、それでこのような愛ある奇跡が毎日のように起きているのです。
私は無償の愛を毎日のように実践し続けているからです。
本当に無償の愛ですよね。布施などほとんどもらわず法を説き続けているからです。(苦笑)
これだと徳がたまる一方なのです。そのたまりにたまった徳がこのような愛ある現象を現しているのです。(これだけ極端に鳥や魚が寄ってくるなど、釈尊やキリストにも起きなかったことなのではないでしょうか。〔ここまで極端な現象は仏典や聖書にも書かれていませんから〕あまりに徳が私に集中しすぎているからです)
徳がたまるとこういう奇跡も起きるのです。(もちろん災いなど起きません)
どれだけ仕事をしていても、それで徳がたまることはありません。仕事はあくまで取引でしかないからです。
多少の損得はあっても持ちつ持たれつでしかないからです。それでは徳はたまりません。徳は無償の愛を行わない限りたまらないのです。(だからもちろん恵まれない人への布施などすればたまります。売名行為とか、そういう心が少しでもあればどういうよい行いをしてもダメですけどね)
しかし、この辺りの人たちはあまりに徳がないのです。(結局、人に嫌がらせをすればその分、徳は減りますから)
そういう自分の徳のなさが災いを呼んでいるのです。徳がなければないだけ災いが起きやすくなるからです。(逆に徳があればあるだけ奇跡が起きやすくなります。私がそうですし釈尊やキリストがそうです)
しかし、あまりに徳を一人の者がためすぎてもいけないのです。その徳はやはり分けないといけないのです。
神の心は集中より分配であるからです。
前に園頭先生がある人から研修会費をもっと下げたいのですがといわれたことがあります。(確か正法会で行われていた研修会費は二泊三日で三万か四万かしたはずです)
その研修会費を下げたいといわれた方は、自分の家を改造して研修会が出来る場所をつくられた方で(その人はずいぶん大きな建物をつくられました。数十人が泊まれるような建物です)そこで研修をするなら、ホテルや旅館などを借りるよりももっと安くできるからです。
それでそういう提案をされたのですが(もっと研修会費が安くなれば参加する人も増えるだろうとです)しかし、園頭先生はそれはいけないといわれたそうです。
そういうことをすると、徳がその人一人に集中してしまうからです。
やはり徳はみなに分け与えないといけない、それには少し高めに研修会費を設定し、その高い分は布施の行為を行っているということで、研修会に参加されている人たちにも徳が行くよう、園頭先生は考えて研修会費を決めていられたのです。(それでも二泊三日で三万や四万なら安いですよね。〔それで園頭先生から直接ご指導を受けられるんですから〕しかし、巷ではおかしな研修会で数十万も取るところがあります。そういう研修会はただの詐欺ですね。法の勉強をするにしてもそこまでの金額は取らないからです。では、法以外のものがそれほどの価値があるとは思えないからです)
しかし、そのような園頭先生がされたことは正しかったですね。今になってみるとそれがよく分かります。
いま現在、私一人に徳が集中してしまったため、これまで起きたことがないようなことが現実に起きているからです。(今も外ですずめたちがジジジジと鳴きまくっていますが〔ムクドリもギャーギャー鳴いています〕こういう極端なことは釈尊やキリストにも起きませんでした。露骨にすべての生き物が私に寄って来るなど異常ですよね)
もう少し無償の愛を行って、徳を増やしませんか?(特にこの辺りの人たちはです)
そうすれば、その起きている災いなどすぐに止まるからです。
(とにかく悪いことはもうやめて私に布施された方がいいと思います。でないと私ばかりが徳を得て信じられない奇跡まで起き出すからです。〔これで虫まで寄ってくるようになったらさすがに気持ち悪いですから・苦笑〕多くの人は私に心を救われているはずです。では、布施くらいしてください。それが一番、徳を得られる方法であるからです)



人目の訪問者です。

いよいよ私も身をもって魂の存在を知る事になりました。それは先日から調子の優れない腰がまた一段と悲鳴をあげて来たのです。それで家内とも相談して整形外科に行きました。そこでレントゲンやら触診問診してもらった結果は、外科的には骨に異状なしと言うか良い骨をしているね、特に処置の問題は見当たらないねと、そこまで言われました。しかし体はと言えばやはり腰に強ばりが有るという状態なのです。そこで帰ってから、もう一度初心に返ったつもりで反省をやってみました。この現象は己がつくった原因の結果であることを神に詫びその原因を、心に浮かぶ限りの反省を行いました。肉体的に全く問題がなければ心の持ち方に原因がある事はこのブログでも教えて頂いており明らかなところです。最近は本当に心に神を思うことが多くなっているし、そういう機会も増えております。神の期待に応えられるよう精進致しますので、今後とも一層のご指導ご鞭撻を承りますようお願い申し上げます。
上の人に逆らう心が強いと腰が悪くなると園頭先生はいわれていました。(私も仕事で腰を悪くしているんですが、そういうところがありました。〔苦笑〕)
ウナッシーさんはそういうところはありませんか?
そのようなところを反省されるといいと思います。