5月 13 2017
間違っている噂
今日は朝から名古屋は雨なんですが、そういう天気にもかかわらず朝からキレキレです。どこかの会社などです。(ほんと哀れです)
ずいぶん起きているようですね。恐ろしい現象が次々にです。(どこかの会社だけではありません。この辺りそこらじゅうで起きています)
もうあやふやな書き方をしていても危ないだけなのではっきり書いておきます。そうしないとまだまだ罰当たりな人が(罰が当たる人が)いくらでも出てきそうであるからです。
この辺りかなり出ているようです。癌になる人がです。
なぜそんなことが分かるのか?
分かるのです。私はいろいろな人から話がきけるからです。
正確にいうなら、直接話はきけませんが(誰も口をきいてくれませんから)いろいろな人の態度を見ていればそれが分かるということです。
私はずいぶん前からそこらじゅうを歩き回っています。(辻説法と市場調査〔多くの人の法に対する態度を知るため〕そうして法を勉強することで起きる奇跡を見せるためにです)そうするとそこらじゅうから嫌がらせを受けます。
嫌がらせは受けますが、そういう嫌がらせをしてくる人たちに私はいろいろ話しかけています。
すると、そういう人たちの態度を見れば、この辺りで何が起きているのかはだいたい想像がつくということです。
こちらが確信をついたことをいえば、必ず態度に現れるからです。
例えば、嫌がらせをして来た人に「癌になった人でも出たのか」とかいうと、ほとんどの人がビクッとします。
あるいは顔をこわばらせたり、家の中からでかい音を立てる人にそのような声をかけると、よけい大きな音を立てるところもあり、そういう態度を見ていれば分かるのです。
ずいぶん癌が出ているんだなということがです。
口でごまかすことはいくらでも出来ますが、とっさに出る体の反応まではごまかせません。
「癌」という言葉に異常に反応する人が多いのですから、では、癌になった人がたくさん出ているんだなと分かるのです。(これは運転手でも同じです。ブシュとやってきた運転手に「ずいぶん癌が出ているみたいだな」と声をかけると、ビクッとしたり顔を引きつらせたりする運転手がほとんどです。そういう態度をする運転手が多いということは、やはり癌になる運転手が多いのでしょう)
だとしたら相当いますね。私からすれば声をかけた人たちのほとんどはそういう態度を取るからです。
そうして最近はドンドン増えているようです。そのような人がです。(癌になる人がです)
ここ最近は運転手や歩いている人たちばかりでなく、前回も書きましたが、おかしな態度を取る学生たちや子供まで癌という言葉に異常な反応を示す者までいるからです。(私が嫌がらせをして来た子供に「そういうことをして癌になった奴がたくさんいるぞ」みたいなことをいうと、凄く驚いた顔で異常なビビリ方をする子供もたくさんいるからです)
私は自分で歩いて確認しているのです。想像でいっているわけでも適当な噂話を信じているわけでもありません。
歩いて回っていて、そういうビビリ方をする人がたくさんいるから「もうずいぶん癌が出ているんじゃないですか」といっているのです。
これだけ罰当たりな態度をする人が多いのです。そのような天罰がくだっても当然であると思うからです。
どういう悪いことをしているのかは、もう何度もこのブログに書いているのでこれ以上書きませんが、多くの人が今のまま心を入れ替えないのであれば、この辺りに起きている、この現象(天罰)はひどくなることはあっても収まることはありません。
心の時代は深まるばかりであるからです。
そうして罰はその人が悪いことをしているから当たっているのであり、その罰が当たっている人が悪いことをやめないのであれば、その当たっている罰はひどくはなっても収まることはないからです。
だから今のままならこの現象はひどくなるばかりで収まることはないと書いているのです。実際にその通りのことが起きているからです。
災いが起きているということは、それだけ間違ったことをしているということなのです。
どれだけ自分たちは間違っていないと信じていようが、正しいと言い張ろうが、間違っているから災い(天罰)が起きているのであり、正しければ奇跡が起きるのです。(何度も書きますが、それは釈尊しかり、キリストしかりです)
残念ではありますが奇跡が起きているのは私だけなのです。
私をどれだけ悪者といようが、悪いことばかりしていると思おうが、そういう考えが間違っているから災いが起きているのであり、私が正しくて善人であるから奇跡が起きているのです。
それが厳然たる事実なのです。
多くの人はそれを認めないだけなのです。自分が間違っていると認めたくないからです。
ほとんどの人は私のことをよく知らないのです。(そうですよね。私と直接話したことがある人など微々たるものです。その話もまともな話ではないのですから。〔ほとんどの人は私とまともな話などしないですから〕)
多くの人は私のことをよく知らないにもかかわらず、きいている噂だけを信じて、私のことを悪くいったり、私を見れば嫌がらせをしたりしているわけです。
では、その噂が違っていたらどうなるのでしょう。しかもまったくです。(その噂はただの悪口かもしれませんし)
そういう場合、その人はただ私に悪いことをしているだけということになります。
そのくせ私の噂をきいて自分たちの心だけは救われているくせにです。
心を救われている者に感謝もせず、間違った噂をそのまま信じて、その心を救ってもらった者に嫌がらせを繰り返している、もし、そういう人がいたのなら、その人は確実に罰が当たると思われないでしょうか。
それだけ恩を仇で返す、罰当たりな行いもないからです。(そういう自覚が本人にある、ないに関わらずです。知らずに泥棒をしても罪になるのですから、罪は罪です)
そういう人が多いのです。だから、この辺りは災いが起きている人が多いのです。
きいている噂が違っているからです。
きいている噂が正しいかどうか、私に確認しに来た人など一人としていないのです。
確認もせず、一方的に怒った顔で嫌がらせをして行く、そういう人ばかりであるのです。
それできいている噂が違っているのなら、その人は一方的に私に悪いことをしているということになります。
だから天罰を食らっているのです。その人は私に一方的に悪いことをしているからです。(間違った噂をそのまま信じて)
だから私が「何でそんな悪い者に鳥が寄って来るんだ」といっても答えられる人がいないのです。
自分たちがきいている噂が違っていると考えたこともない人ばかりであるからです。
悪い者に鳥が寄って来ることはありません。私は善人であるから鳥が寄って来ているのであり、きいている噂が違っているのです。(しかも大きくです)
間違った噂をいつまでも信じているから私の善人さが分からないのです。
しかし、自分の考えを改め、私を善人と思えるなら、たとえ天罰を食らって癌になったとしても、その癌が奇跡的に治るということはいくらでも起きえることなのです。
奇跡が起きている人を信じるのならいくらでも奇跡は起きるからです。
神の業がその人に現れたのなら、またその神の業が、その人に同じように現れるということは十分考えられることであるからです。
災いが現れたのであれば(心を入れ替えさえすれば)奇跡もまた現れるのです。
災いが起きている人のいうことをいくらきいていても災いが現れるだけなのです。(その人の考えが間違っているからです。だから災いが起きているのです)
しかし、奇跡が起きている人のいうことをきくのなら必ず奇跡は起きるのです。(その人の考えが正しから奇跡が起きているからです)
今のままの心の人が多ければこの災いが収まることはありません。
しかし、奇跡が起きている人のいうことをききさえすれば、その災いは収まり、奇跡まで現れて来るのです。
奇跡が起きている私のいうことを信じてください。
それが災いをなくし奇跡を起こせる唯一の方法であるからです。
(神を信じて私のいうことを行うなら必ず奇跡は起きます。もう私は何度も奇跡を現しているからです。〔中途半端にしか信じない人には中途半端な奇跡しか起きませんが、しっかり信じるならちゃんと神の奇跡は起きるのです〕多くの災いがこの辺りに起きています。その災いから逃れるには私のいうこと〔法〕を実践するしかないのです。今のままではもっとすさまじい災いも起きてきます。脅しではありません。この辺りの人たちは反省が遅れれば遅れるだけ自分が危ないのです。私のいうことを信じてください。それが救われるただ一つの道であるからです)



人目の訪問者です。

さて、勤め先の上司に変化があって良かったです、と言い切って仕舞うほど私の心はやわではなかったのです。そんなところも気付きを頂けるまでになりました。(まだまだ端くれですがね)何が目的であって何が目標なのかをしっかりと心につかみ前へ進んで行こうと思います。でも今回は正直言って人の心の広さを少しだけ自分を通し知ることができました。凡そ半世紀生きてきた今の出来事を通してそれを反省することが山ほどあった事に他ならないのです。昨日の夕飯もだ何だか忘れかけているのに、随分と昔のことも心に問いかけると分かってくるのは不思議な事ですね。実直な感想です。
それは守護、指導霊が心を通して教えてくれているのです。(私もそういう経験はよくあります)
そういう心に問いかける癖はつけておいた方がいいと思います。何か分からないことがあっても、心に問いかけると答えが出てくるという経験もこれからするようになるからです。(園頭先生がいつもされていたことです)
そのような不思議な体験を積み重ねていくことが心の向上につながって行くのです。