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5月 25 2017

いまだかつてない傲慢不遜な態度

10:55 AM ブログ

こちらは朝から雨で少々荒れた天気になっているんですが、もうどこかの会社など大荒れです。(朝から怒りまくりです。連日よくやります)

どこかの会社だけではなく、この辺りは本当に皆さんお怒りです。

しかし、皆さん怒るという選択も分かるんですが〔責任転嫁な人たちばかりですから〕頭を下げるという選択はないのでしょうか?(そういう謙虚な心はまったく持ち合わせていませんか?)

怖くはないのですか?そんな災いばかりが起きていてです。

どうもこちらの人は「困った時の神頼み」という言葉を知らないようです。

困った時の神頼みなんてしていてはいけないと私は書いたことがありますが(そういう都合のいい時だけ神に祈るのはいけないとです)しかし、どれだけ困っても神に祈ろうとしないというのもまた極端が過ぎます。

最後の最後にはやはり神に頼らないといけないのです。それが私たち神の子である人間の取るべき正しい態度であるからです。(誰も最後には神に帰るということです)

「これまでの自分たちの罪をお許しください」と神に祈られてはどうでしょう。

少しでも、そういう神を頼る謙虚な心になるなら神はちゃんとその願いをきいてくださるからです。そうすればその災いも止まるかもしれないからです。(マァ、心次第ですけどね)

しかし、ここらの人たちはずいぶんそういう心からは遠そうです。

何しろ悪いことが起きるとそれは全部私のせいです。神に頼ろうとか、自分が悪かったとかいう真摯な心などまるで持ち合わせていません。

だからこの辺りは特別悪いことが起きているのです。(いくら多死社会になったとはいえです)特に神に反発している人たちが多いからです。(そういう傲慢不遜な心はまともに神の心に逆らっています)

だいたい私がそんな災いばかりを起こせるわけがないでしょう。(例えば人を癌にするなどです)

もしそういうことが次々に起きているのだとしたら、それは人の力ではなく人以外の力が働いてそういうことが起きているのです。

では、その人以外の力とは何か?ということになります。

その人が起こしているわけではない、その不思議な力をもっと畏れないといけないのです。

それが神の力であるからです。(鳥や魚が寄って来る奇跡だってそうでしょう。あれが人の業なのですか?どう考えても神の業でしょう。奇跡も災いも同じなのです。人が起こしているのではなく神が起こしているのです)

それなのにこの辺りの人たちはそういう不思議な現象を全然恐れ(畏れ)ないのです。その現象を一人の者のせいにして怒っているだけなのです。

神から観たらこれだけ不遜な態度はありません。(ほんと見当外れもいいとこです)

神がどれだけ力を現しても、多くの人はそれを神の力と認めないからです。

しかし、過去にこれだけ神に逆らう人たちがいたのでしょうか?

これほどの神の業が現れているにもかかわらず(この辺りどれだけ不思議な現象が現れているのか分からないくらいです。奇跡と災い両方合わせてです)まったく神などそっちのけにして私に対して怒っているだけなのです。(鳥や魚が寄って来る愛ある奇跡は認めずにです)

これは一体どういう態度なのでしょう。

こういう態度自体おおいに神を冒涜しているのではないでしょうか。

だってそうでしょう。これほどの現象が現れているにもかかわらずまったく神を無視して、人一人に罪をかぶせ続けている。(それも悪い方の現象だけ取り出してです。いい方の現象はまったく認めすにです。これでは私はあっという間に悪人です。どれだけ都合がいいんでしょう)

それではこの辺りの多くの人たちは、これだけの現象をまったく神がかかわりのないところで起きていて(人が起こしているのですから)神の力など認めない、神など関係ないと思い込んでいるということになります。

そう考えるなら、これだけの現象が現れてもなお神を認めないというのですから、神に対し、これだけ不遜な態度を取った人たちは、過去を振り返っても多分いないのではないのか、と思えるのです。

普通であるなら、これだけ悪いことが(よいこともですが)そこら中で起きているのなら、大方の人が神の力を認めて神を恐れ、神に許しを請うはずであるからです。

これを人の力とは誰も思わないはずであるからです。

しかし、この辺りの人たちはそういう態度をまったくみせず、神の力など一切認めようとせず(神を認めるのが恥ずかしのかどうなのかよく分かりませんが)それを人のせいにして、その力に対し怒り続けているのです。

では、その不思議な現象を起こされている力が神の力であるならば、それは神に対して、多くの人が怒っているということになります。

ずいぶん傲慢な態度なのではないですか?そのような態度はです。そのような現象を(よいことも悪いことも含め)人が起こせるとはとても思えないからです。

これほどの現象など、どこをどうとっても神の力としか思えないからです。(どれだけ有名なマジシャンでもこれほどの現象は起こせないでしょう。私に起きている現象だけでも起こせるマジシャンがいるのでしょうか?ずいぶん寄って来ますよ。鳥も魚もです)

だから私はいっているのです。

過去これだけ神に逆らう人たちがいたのか?とです。

過去にさかのぼればさかのぼるほど神の存在は認められていたからです。日本の人たちが唯物無神論などという、神に対し、これだけ傲慢不遜な態度を取るようになったのはここ数十年のことであるからです。

そういう愚かな思想を信じたから、そういう傲慢不遜な態度も取れるのでしょう。

神に対してです。(本当に恐ろしい態度です。〔恐〕)

昔であるなら、こんなことばかりが起こるなら、みな恐れをなし、神に頭を下げたことでしょう。

それが人として当たり前の態度であるからです。

ところが現代の人たちは、神に頭を下げるどころか、神の力を一切認めず、神の業を人のせいにして神をないがしろにし続けているのです。

知らずにいるとはいえ、ずいぶん恐ろしいことをしているのではないでしょうか。現代の人たちはです。

その神の力をいつまでも知ろうとしない(認めない)ことが一番の罪なのです。

神は悪い現象ばかりでなく、よい現象も同じくらい現しています。(私に現れている鳥や魚が寄って来る愛ある奇跡)

神は愛と慈悲の塊の存在であるからです。

その愛と慈悲の塊である神をいつまでも認めず怒らせているのは現代の(日本の)人々なのです。(実際は神が怒っているわけではなく、そういう災いも神の愛が現れた気づきの現象なんですが)

いつまでも神に対し無知でいてはいけないのです。

神の存在を認め、神の力を畏れてはどうでしょう。救いは、その神を畏れ、認める心から始まるからです。

これまで神に対しこれだけ傲慢不遜な態度を取った人たちはいませんでした。

現代の人たちは(特に日本の人たちは)知らず知らずのうちに大変恐ろしい態度を神に対し取り続けているのです。

もう少し謙虚になり、まず神を認めませんか?

そうしなければ(必ず)滅ぼされるからです。

(本当に神をなめすぎています。特に日本の人たちはです。唯物無神論などという愚かな考えでいつまでもいては必ず不幸になるのです。そのような考えの恐ろしさをいい加減理解してください)

追伸…稀勢の里が今場所休場するとのことですね。

だからいったのです。(くどいくらいです)今場所は休まないといけないとです。(今場所中に天もそのようにいっていると教えてあげたのにです。〔照ノ富士が左腕にぶつかった時にです〕)

力が入らないので休場させてくれとのことですが、力が入らないのではなく痛いんでしょう。ずいぶん左腕がです。(そうでなければ稀勢の里が自分から休ませてくれなどというわけがありません)

少し遅すぎたくらいですが(悪化していないかちょっと心配ですが)しっかり休んで次の場所には万全で出てきてほしいものです。

(今場所休んで治療に専念していれば次の名古屋場所はいけたんでしょうが、かなり無理していたんではないでしょうか。では、名古屋場所は微妙ですね。あまり日にちもないからです)

2コメント

2 コメント to “いまだかつてない傲慢不遜な態度”

  1. ウナっしー2017/05/26 at 9:54 PM

    仕事を通じて神の子である事を教えられました。ここのところ新しい仕事を任せられているのですが成果が出なくて計画通りに進んでいません。そのため気が付くと私は神とは口で言うものの心はさにあらず。疲れて帰って来たもののいつもと違う心を戻そうと反省を始めました。すると気付きを頂きました。計画に遅れている状況でも帰りには労いの言葉を掛けてくれる同僚、その私に仕事を任せて下さる上司、巡っては工場長、社長までにと恩を思うのです。そして言い換えれば神はこの方々を通し愛を下さっている事に気付いたのです。神はこの方々を生かして下さり、この方々を通して私を生かして下さっている。その事に感謝をすると心の荷が降りた様な気がしました。晴れて私は、また来週も頑張る心が芽生えて来ました。

  2. gtskokor2017/05/27 at 11:50 AM

    その通りです。頑張ってください。

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