5月 28 2017
第一念
昨日は堀川に行ったんですが、この前ブログに書いたオバちゃんたちがまた散歩していました。(たくさん出て来た小魚たちを見ていたオバちゃんたちです)
この前のこともあり少しは私に対する態度を変えたのかと思いましたが、何が何が、全然でした。(苦笑)
すれ違いざま、また前回と同じような(足をザッと引きずるような)嫌がらせを私にして行きます。
呆れましたね。
「オイオイ、オバちゃん、あんたらこの前たくさんの小魚が上がって来たのを見ただろう。それなのにまだ態度を変えないのか」と声をかけたのですが、私の声など無視して歩いて行きます。
そうして「また小魚が上がってきているぞ」と声をかけたのですが、今度は堀川を見ようともしません。
何が面白くないのか、私に頭など下げるのはまっぴらだとでも思っているのか(それとも何か起きたのか)それはよく分かりませんが、この辺りの人たちは、私に様々な奇跡を見せられているにもかかわらず、このような(傲慢な)態度を取り続けているのです。
これでよいことが起きるのでしょうか?
何を見せられても(あるいはどれだけ心を救われても)感謝一つせず嫌がらせをし続けている、こういう態度を多くの人がしていてよいことが起きるわけがありません。
何で少しの感謝する態度くらい取れないのでしょう。本当に不思議ですね。(逆に不思議ですよね。これだけ傲慢な態度しか取れない人たちはです)
こういう態度を取る人たちばかりなのです。(この辺りは特にです。私に感謝した人など一人もいませんから)これでは神も怒ります。(神の業を見せられているのに、それを嫌がらせで返しているのです。いやはやすさまじい〔罰当たりな〕ことをしています)
だからこの辺りは異常なほどの悪いことが起きているのです。あまりに神の心に逆らう人が多いからです。(というより人としてどうかということです。そういう態度しか取れないようでは人格まで疑いますよね。こういう大人たちばかりでは子供もひねくれるはずです)
今日も朝から怒っている人たちがいました。
私が窓を開けて、少し掃除をしているだけでドンとかガンとかして来る人がいるのには呆れますが、その間だけでも(ほんの五分、十分くらいです)すずめが近くに寄って来てピィピィ鳴いているのです。
それは、そういう嫌がらせをしている人たちにも分かったはずです。(すずめの鳴き声がきこえたはずだからです)
それだけ起きることが違っているのです。私とあなたたちとではです。
私には災いなど起きないのです。このような愛ある奇跡しか起きないのです。まだ分からないのですか。
私とあなたたちの違いがです。
神の心に従っているのか、それとも自分本位にしか生きていないのか、それだけの違いなのです。
それだけの違いでこれだけ起きることも違うのです。では、従ってはどうですか?
神の心にです。
いつまでも自分本位の心でいるからいいことが起きないのであり、それを人のせいにして怒っていますが、どれだけ怒っていたところで悪いことしか起きないのです。
自分たちが間違っているからです。(その自覚がないだけでです)
だから心を入れ替えるしかないのです。そうすれば起きて来ることも違って来るからです。
心を救われた人にはまず感謝しないといけないのです。(それが人として当たり前のことですが…)
その最初に思う心を間違えてしまうとすべて間違ってしまうのです。(ボタンの掛け違いを思うならよく分かると思います)
そのような第一念がすべてを支配するからです。(それは祈りでも同じです。第一念がその祈りを支配するのです。だから私はよくここに書いているのです。祈り方を間違えてはいけないとです。〔例えば、地震が起きませんようにという祈りは、地震が起きるということを前提で祈っているのです。だからそういう祈りは地震が起きますようにと祈っていることと同じだといっているのです。地震が起きるということが第一念にあるからです〕)
第一念が変わると起きることも違ってきます。その第一念からまず反省を始めませんか?
そうすれば私に対する思いも変わって来るからです。
私は、昨日の堀川でもそうでしたが、一昨日庄内川に行った時などもっと凄かったです。凄い数の魚が水面に出て来たからです。
一昨日庄内川に行った時のことです。
雨上がりであったため、川はずいぶん濁っていたのですが、私が庄内川に行くと川岸近くのあちこちですでに小魚たちがバチャバチャやっていました。
「オウ、お前ら元気か」と声をかけながら歩いていると、あちらこちらから小魚が上がってきて川岸近くのあっちでバチャバチャ、こっちでバチャバチャが始まりました。
そのうちに川の真ん中あたりでバシャバシャ跳ねる魚もいて、大きい鯉なども(それはさすがに跳ねませんでしたが)ガバッと水面から顔を出したり、尻尾をバシャバシャしたり、中には体を水面から半分以上も飛びだす奴までいて騒がしいことです。(その鯉は遠目に見てもずいぶん大きかったですよ。「おっ、でかい」と思いましたもん。〔笑〕)
そればかりか、そういう大小の魚たちが騒いでいる中で、川岸から少し離れた辺りでもガボガボ水面が波打っているのです。
よく見てみるとそれもまた魚の一団で(川岸で騒ぐ小魚よりは大きい魚たちですが〔多分ボラの集団でしょう〕そんなに数十センチもあるような魚たちではありませんでした。数センチくらいの魚たちの一団でしょう)その魚たちの集団が、私の前あたりまで来ると水面まで出て来て水面を泳ぎ回っているようで、それでその辺りだけ水面がガボガボ揺れているのです。
そのボラか何かの集団が川の流れに沿ってたくさん泳いでいるようで、一つの集団が行ってしまうとまた次の集団が浮かんで来て、その集団が行ってしまうと、また次の集団が浮かんできてみたいな感じで、どれだけいるのか分からないくらいの数の魚の集団が何度も何度も浮かんで来て、私の前の辺りでガボガボやっていました。(また嬉しそうに泳いでいるのです。私が「お前らも元気か」と声をかけると、バシャバシャ大騒ぎする集団もありました)
だから、川岸近くでは小魚の集団、その向こうではもう少し大きめの魚の集団、そうして川の真ん中あたりでは大きめの魚がバシャバシャやって、ずいぶん賑やかでした。
一昨日の庄内川はです。(その時はビデオを持っていかなかったんですが〔雨上がりだったものですから〕マァ、また撮る機会はあるでしょう。〔笑〕)
こういう奇跡もそうは起きないと思いますが(というか、見たことありますかそのような奇跡をこのブログを読んでいる人たちはです)このような(神の)奇跡が次々に私には現れているのです。
そういう者をです。憎んでいて、それでよいことが起きると思いますか。
それでは神を憎んでいることと同じなのです。(神の業がそれだけ私には現れているからです)
とりあえず、私への第一念を反省されませんか。そうすれば私への思いも変わって来るからです。(そう毛嫌いするのではなくです。それは神を毛嫌いしているのです。だから私にそのような思いがわいてくるのです。日本の人々はこれまで本当の神を知らなかったからです)
そうして私への思いが変わってきて、態度も変わって来るなら、起きて来る現象は当然変わって来るからです。
これまでの日本の人々は本当の神を知りませんでした。だから本当の神の力が現れるとそれを無視したり、毛嫌いしたりしているのです。
しかし、もう本当の神を知らなければいけない時が来ています。(知ろうとしなければドンドン悪いことが起きてきます)
もう自分本位な心は捨て、神の心に従われませんか?
小さな我を捨てなければもうよいことは起きて来ないからです。



人目の訪問者です。

今朝から突然スマートフォンの調子が悪くなり遂に音声が出なくなってしまいました。。又最近はメールの調子も悪くなってきて受送信に支障をきたしてしまうのでスマートフォンは手放すことにしました。只し買い替える前のガラケーがあるのでそちらを使うつもりです。メールが使えないと生活には不可欠な事もあるのでそう決めました。こうなったのもきっと何かの縁と思いそうすることにしました。先生のブログはPCでの閲覧になりますが何ら問題のないことですので今後も宜しくお願い申し上げます。
スマホって案外簡単に壊れるものなんですね。(私は持っていないので分かりませんが)
はい、こちらこそよろしくお願いします。