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6月 03 2017

正しい善悪の基準

11:00 AM ブログ

何か最近はこの辺りまた雰囲気が変わってきましたね。

怒っている人も多いんですが、どうもそれ以上に引いている人がいるようだからです。(最近は引いている人の方が多いんじゃないですか。どこかの会社も昨日くらいからずいぶん引いていますし)

昨日もそうで歩いていると引いている人があちこちにいたのですが、一昨日のことです。

白鳥公園に行ったんですが、その白鳥公園にほとんど人がいませんでした。

いつもならこの時期は(寒い時期や雨の時などは別ですが)白鳥公園内にはたくさんの人がいて子供なども遊んでいるはずなんですが(広いし子供の遊び場もありますから)一昨日は本当に人が少なかったのです。(爺さん婆さんがパラパラいただけです)

たまたまかもしれませんが、一昨日は白鳥公園に行くまでも少しおかしかったのです。

大学生もほとんど見かけなかったし(いつもは白鳥公園の辺りにたくさんいるのです。〔白鳥公園の横が大学ですから〕そういう連中がまた最近はよくちょっかいをかけてくるんですが…)歩いている中学生たちもずいぶん引いている、そこらにいるオバちゃんたちが変な顔をしてこちらを見ている、マァ、いつもと変わらないといえば変わらないのですが、何か様子が変でした。

いつもならもっとたくさんの人が私に嫌がらせをして来たはずであるからです。(昨日、一昨日はパラパラでした。そういえばここ最近は少ないですね。嫌がらせがです)

なんか変だなと思いながら白鳥公園に行ったのですが、白鳥公園はそんな感じで(ガラガラ)もっと変です。(また世にも奇妙な物語に出ているようでした。〔苦笑〕)

白鳥公園内を歩きながら「何で今日はこんなに人が少ないんだろう?」と不思議でした。

それにパラパラいる爺さん婆さんは私にやたら怒っているようです。(こちらを見る表情とか態度で分かります)

ずいぶん悪いことが起きて来たのではないでしょうか。(それでみんな私を避けているとかです。白鳥公園に行く曜日を私はだいたい決めていますから)運転手連中も最近はブシュブシュやってくる人も少ないからです。(こういうことを書くとまた皆やってくるかもしれませんが。無理してです。〔苦笑〕)

それで、その悪いことがたくさん起き出したのもみな私のせいなのですか?

自分たちは何も悪くなくてです。

皆さん本当に大丈夫ですか?先に嫌がらせを散々してきたのはその引いている人たちの方ではないですか。

自分たちのひどい行いをお忘れですか?あなたたちはよってたかって私一人に嫌がらせをやり続けているのです。

その私に心だけは救われているくせにです。

その嫌がらせを謝るわけでもなく、心を救われたことに感謝するわけでもなく、まったく自分たちの態度は変えようとせず(今も嫌がらせはゼロではないですから)悪いことをするだけしておいて、それで悪いことが増えてきたら、それも私のせいなのですか?

どこまで都合がいいのでしょう。

そんなだから災いも増えるのです。(そういう超自己中で無反省な態度だからです)

またそのような私に対する態度だけでなく、そういう人たちは自分たちの普段の行いも悪いのではありませんか。

何回も書いていますが、普段から人の悪口を散々いっていたり、少し自分が気に食わないとすぐに嫌がらせしたり(それがどれだけ小さな行いでも同じです。嫌がらせをしていることには変わりがないからです)怒ったり、愚痴ったり、ねたんだりひがんだりしていませんか?

それもみな悪いことなのです。(自分にその自覚があるのかないのかは知りませんが)

そういうことを普段からしているのであれば、自分たちに悪いことは起きてきます。(因果応報です。普段の自分たちがしている悪が自分たちに返って来るのです)

そうして私に対する感謝の足りなさと行いの悪さです。

もうとどめですね。

それだけ悪いことを重ねれば、すぐにでも天罰はくだります。だからくだっているのです。

次々に天罰がです。

その今現在、多くの人に起きている災いとは、ただ自分がしている悪いことに対しての天罰にすぎないのです。

それを私のせいと多くの人が勘違いしているだけなのです。

何でそんな勘違いを多くの人がしているのか?

それは多くの人が正しい善悪の基準を知らないからです。

だから天罰を食らうのです。

多くの人が善悪の基準をまったく分かっていないからです。(だから私には次々に奇跡が起きているのです。その正しい善悪の基準を知って、その基準に合わせて生活しているからです)

この辺りの人の(別にこの辺りだけではありませんが、多くの人のです)善悪の基準は犯罪を犯すか犯さないか、その程度の基準なのではないでしょうか。

法律に引っかからなければ悪いことをしているわけではないと、そのこの世の法律に善悪の基準を置いて生活している人がほとんどなのではないでしょうか。

しかしそれは違うのです。

そういう甘い基準でいるから多くの人が天罰を食らうのです。(まだまだ甘いですね。法律などです。法律などいくら守っても奇跡は起きません。なぜならこの世の法律では心の内面までよく出来ないからです。心がよくならないと奇跡は起きて来ないからです)

本当の善悪の基準はこの世の法律ではなく、それも含めてすべて自分の心が基準となるのです。

つまり正しい善悪の基準とは自分が持つ(これは自分だけではありませんが、すべての人が持つです)良心が基準となるのです。

その良心で自分が今していることは正しいのか、それとも正しくないのかを判断しないといけないのです。

その良心が善悪の本当の正しい基準であるからです。

そうであるなら、私がいったことは分かるはずです。人の悪口や嫌がらせはよいことなのですか?怒りや愚痴、ねたみやひがみはどうでしょう。

そのようなことは自分の良心に照らし合わせてみるならば、すべて悪いことであると分かるはずです。

だからいっているのです。そういうことはすべて悪いことですよとです。

しかし、この世の法律ではそのようなことは取りしまれません。(人の悪口をいった者は逮捕するとか、人に嫌がらせをした人は死刑とか〔だとしたら、この辺りずいぶん多くの人が死刑になります〕怒ったり愚痴ったりした者は罰金とか出来ませんから)

だから別にそのようなことをしてもよいと思っている人もいるのかもしれませんが、良心が善悪の基準と分かるなら、そのようなこともすべて悪であると分かるのです。

その善悪の基準の差、その(善悪の基準を守るか守らないかの)行いの差が、私と多くの人との起きることの差(奇跡と災い)となって現れているのです。(分かりませんか?そのようなこと〔悪口、嫌がらせ、怒り、ねたみ、ひがみ〕がどれだけ大きな悪であるかがです。法律で裁かれなくても、起きている災いで自分がしている悪の大きさを知らないといけないのです)

一昨日、白鳥公園に行った帰りのことです。

家の近くまで歩いてくると、ある家の前でオバちゃんが自転車のかごに入ったものをガチャガチャやっていました。

さっさとそのかごの中の物を持って家の中に入って行けばいいのに、なかなか家の中に入ろうとしません。また私を待っていそうな人でしたので(嫌がらせをしようとです。〔笑〕)先に声をかけました。(前回の話ではありませんが、そのオバちゃんが地獄霊のように見えたからです。私に悪さをしようと待っている地獄霊のようにです。〔笑〕)

「オバちゃんブログ代払ってよ」とです。(近所のオバちゃんでしたのでもう私のブログを読んでいるのは分かっていましたから)

そうしたら、そのオバちゃんは急にビクッとしていやらしそうな顔になり下を向いて、そそくさと家の中に入って行くではありませんか。

今の今まで、自転車の前かごの中に手を突っ込んでモタモタしていたオバちゃんがです。

あれには笑ってしまいましたが(笑)そういう私のブログを読んで散々心を救われた人もこの辺りは多いのです。

そのお返しが嫌がらせですか?

それが正しい行いか間違った行いなのかは、自分の良心に照らし合わせればよく分かるはずです。(この前のオバちゃん、今回のブログよく読んどいてね。〔笑〕)

そういう態度を取っていてよいことが起きると思いますか?(どういう悪いことが起きているか知りませんが。それはみな自分たちの〔普段からの〕行いが悪いからです。私のせいではありません)

よいことをすればよいことが、悪いことをすれば悪いことが、返って来るのが法則なのです。(原因結果、作用反作用の法則)

その法則は必ず作用します。では、よい行いをされてはどうですか?そうすれば必ずよいことが返って来るからです。

(というより、今のままでは大変危ないことが起きる人がこの辺りたくさんいます。〔どこかの会社はまた何か起きたようですし。先ほどひどい怒り方をしていたからです〕悪いことはいいません。この辺りの人たちは早く私によいことをした方がいいでしょう。そうしないと次々に災いが起きる、そのような時がもう来ているようであるからです。〔私をいくら避けても災いは避けられません。急がれてはどうですか?私に対し後ろめたい人はたくさんいるからです〕)

2コメント

2 コメント to “正しい善悪の基準”

  1. ウナっしー2017/06/03 at 1:05 PM

    今日は何気ない会話からの気付きでした。
    今朝は風が強かったのですが庭の草取りをしていまさいた。すると義母が
    休み中に悪いね、と言うのです。考えれば2ヶ月前にはぎっくり腰でさんざん家族に心配掛けていたものの今は調子が戻っていますがきっとその事が義母の脳裏にあったり、本人も入院をし退院をしたものの体調がイマイチ戻らないという自身のことから心配し声を掛けてくれたのです。実はこれが今回だけでなく休みに草取りをしていると必ず声を掛けてくれるのです。あまり心配を掛けては悪い気がしたので、こうも天気も良くっちゃ、お天道様が許しちゃくれませんよ、と返してあげました。すると笑いながら「そりゃ、そうだ」と言うのです。そうなんです。その通りで当たり前のことでありそれが理と思うのです。自然は黙して語らずしかし、しっかりと結果は示してくださる。何かをする時に相手とか第三者が許してもそれは人が判断するだけのことであり自然の法則には関係ないこと。そこを
    もっと知るべきであり、私も知らせる大事な事だと気付きました。

  2. gtskokor2017/06/03 at 1:39 PM

    何かほのぼのしていて結構なことです。(笑)
    こちらとはずいぶん違いますね。(こっちは今現在も殺伐としていますから。どこかの会社などです。〔何か起きっぱなしのようです〕その反面、鳥たちは〔すずめたちは〕嬉しそうに家の周りを飛び回り、今も家の前でピィピィ鳴いています。少々うるさいのですがそれはご愛嬌ということで。〔笑〕)

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