6月 04 2017
お年寄りの皆様へ
昨日は笑ってしまいましたね。(笑)
なぜかといえば、昨日ブログに書いたオバちゃんがブログを読んだのでしょう。昨日の帰り道にも家から出てきていて(昨日も白鳥公園に行ってきましたので…昨日もガラガラでした)怒って家の前を掃除していたからです。
ちりとりにほうきをガンガン当てながら掃除しています。(笑)怒っているのがこちらからも分かるものですから、笑えてきて「オバちゃん、怒ってんのか。いいじゃないか嘘を書いているわけじゃないんだから」と声をかけました。
しかし、そのオバちゃんは私のいうことなど無視して、凄い勢いで掃除をしているのです。(子供のようです。〔笑〕)
どうしようもないなと思いながら「しかし、あんたらが自分の間違いを認めないと子供らも認めないんだぜ。これだけ起きていることも違うんだから、もう自分たちの間違いを認めろよ」などと話したんですが、聞く耳を持たないという感じでした。
その家の並びにある家からも何人か年寄りが出てきていました。(七十すぎの人たちばかりのようでした。〔もっと若い人もいたのならすいません〕その人たちもこのブログを読んでいるのでしょう)そういう人たちへも声をかけたのですが、誰も私のいうことをきこうとしません。
無視している人たちばかりでした。(中には先ほどのオバちゃん同様、怒って掃除しているおっちゃんもいました。一人、二人の人は黙ってこちらを見ているようでしたが)
こちらは子供のことまで出しているのです。子供が自分たちのまねをしてもいけないと(それでは子供にも災いが起きますから)自分たちが反省するなら反省する子供も出て来るだろうと、それならまず自分たちが反省して手本を見せようと、そういう(自分はともかく)子供に対す愛の心がある人はいないのでしょうか?
自分の憂さ晴らし(うさばらし)さえ出来ればそれでよいのでしょうか?
こういう愛のない年寄りが多いからこの辺りは悪いことばかり起きているのです。
年寄りの人たちはよく考えてみてください。
もう自分がこの世にいる時間は数年から長くて十数年でしょう。(マァ、百まで生きると決めている人は別でしょうが)
そんな時間はあっという間にすぎてしまうのです。(そうですよね。年を取れば取るほど時間は早くすぎて行きますから)
その間、何の愛も出さずに死んで行くようなら、その人は確実に地獄に堕ちるのです。いま愛が出せないという人は若い時からたいした愛を出していないと思うからです。(というより怒りばかり出していますから。この辺りの年寄りはです。よけいいけません)
これまであなたたちはこの法を知りませんでした。
その法を知らない間、どれだけ長くこの世にいていろいろ体験し勉強したのか知りませんが、しかし、法を知らずにいた人生などほとんど意味がないのです。
本当の心の勉強になっていないからです。
法を知らずにいろいろ勉強したところで、それは単に知識を得たにすぎず、たいして心の勉強にはなっていないのです。
だからこのような時代になっても何の奇跡も起きないのです。
心の勉強をしてこなかったからです。
こういう時代になると分かるのです。年寄りであろうと誰であろうと、これまで生きて来た人生に意味があったのか、それともなかったのかということがです。
意味があったのであれば、なにがしかの奇跡が起きるようになるからです。(正法の世とはそのような時代です)
しかし、この辺り、奇跡が起きている人はいません。災いが起きる人ばかりなのです。(それは特別この辺りだけではありませんが。日本が多死社会になっているのがその何よりの証拠です)
そういうところで分かるのです。これまでの人生が間違っていたということがです。(そのような災いは、それに対しての天罰です)
だからこそ年寄りの人たちには早く気づいてもらわないといけないのです。自分たちの間違いをです。
年寄りは、もうこの世にいる時間が少ないからです。
どれだけ我を張ろうと、これまでの人生は間違っていたのです。(仕事から普段の生活から宗教に至るまでです)間違っているから周りに災いばかりが起きるのです。
自分が正しいというのであれば、この災いを止めてみてください。怒っているだけではなくです。
こういう時こそ、年寄りの知恵が生きるはずであるからです。(こういう不幸がたくさん起きて来た時こそ、年寄りの知恵を発揮する時なのではないのですか?そうでなければ年寄りの意味がありません)
しかし、そのようなことが出来る年寄りはいません。(この辺りの災いなど減るどころか、増えていますから)自分たちも若者同様、右往左往している人たちばかりなのです。
それこそ自分たちが間違った人生を送って来た何よりの証拠なのです。
正しい人生を送ってきているのなら、何が起きても対処する方法は分かっているはずであるからです。それだけの知恵と体験を年寄りであるなら持っているはずであるからです。(だから、お年寄りにはショックな話でしょうが、これまでしてきた仕事も普段からの生活も、そうして宗教までも間違っていたということです。だから、自分たちが何をやってもよいことが起きないのです)
もうその現実を受け入れてはどうでしょう。何度もいいますが、年寄りにはあまり先もないからです。
そうであるなら若い人より先に、そのような現実を理解しないといけないからです。
その現実を理解しないまま死んで行くなら、その人は確実に地獄に堕ちるのです。
どちらにしても周りに悪いことが起きているまま死んで行くなら、その人は地獄行きです。
自分の心が悪いから自分の周りに悪いことが起きているからです。(何べんもいいますが、人のせいではありません)
自分の周りに奇跡が起きて来ないと天上界には行けないのです。
自分の周りに奇跡が起きるということは当然のことですが、自分の心がよいから奇跡が起きているからです。
死ねば自分が天上界に往けるのか、それとも地獄に堕ちなければいけないのかは、もうすぐに(死ぬ前に)分かる時代になったのです。(なんて分かりやすい時代でしょう。よかったですね、皆さん……そうでもないですか?)
では、誰のいうことをきけばいいのかはもう分かるはずです。
そのように周りに奇跡が起きているのは私だけなのです。では、どれだけ嫌でも私のいうことをきくしかないということになります。
現実は現実であるからです。
これまでして来た仕事も生活も、そうして宗教までも、いま起きていることに対応できないのです。
実際、仕事や生活の場を変えたところでこの不幸がなくなるわけはないのですし、どのような宗教に頼ってもこの災いは止まらないのです。(年寄りの中には、これまでお経をたくさん上げた人も仏像に祈った人もいたはずです。それでどうにかなったのでしょうか?どうにもならないのです。状況は悪くなる一方なのです。そのような現象で、自分たちがして来た宗教までもまったく意味がなかったということが分かるのです。残念ではありますが、それが現実なのです)
もう認めざるを得ないのです。私のことをです。私のいうことをきかない限り、奇跡は現れないからです。
死に近い年寄りが今のまま死んで行くなら、確実に地獄行きです。(周りにいいこと起きていませんもんね)
もうお年寄りはいつまでも我を張るのではなく、素直に私のいうことをきくしかないのです。
他の誰の意見をきこうと、その人に奇跡が起きているわけではないからです。
いつまでも怒っていても何も変わりません。(というより悪くなるだけです)
奇跡が起きている私を認め、従ってください。救われる道はもうそれしかないからです。
(今日はお年寄りのためだけに書きました。我ばかり張らず少しはきいていただけないですか?愛ある私の意見もです。〔愛があるから鳥が寄って来ているんでしょう〕)



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