6月 18 2017
神がつくられたルール
しかしまあ、本当にあちこちで怒っていますね。
怒っていてもよけい悪いことが起きるだけです。詫びるしかないのです。それ以外で災いを止める方法はないからです。(市バスの連中も自分たちが散々嫌がらせをしておいて、怒っていても仕方ないでしょう。〔自業自得です〕あなたたちこそ早く詫びた方がいいのです。一番初めに私に嫌がらせを始めたのはあなたたちであるからです。それだけあなたたちの罪は重いからです)
それにして大人から子供まで誰一人私に詫びようとする人はいません。(そんな気配さえありません)
昨日でも家の近くにある公園によると子供がたくさんいて、わざわざ私の方に寄って来て嫌がらせをして行く子供までいました。
それで私が辻説法をすると、そんな話はききたくないといった風で走って逃げて行きます。
自分たちにどれだけ悪いことが起きているのか知りませんが、それは自分たちが悪いから起きているのであり、私のせいではありません。
それを教えようとしてもきこうともしないのです。(もう知っているのかもしれませんが。自分たちが悪いとです。それでもしてくるのでしょう。自分たちばかりに悪いことが起きているからです)
大人から子供まで自分たちの行いはまったく反省しようとせず、こういう傲慢不遜な態度ばかりを取り続けているのです。
知りませんよ、どれだけ恐ろしいことを起こされてもです。そのような態度は(神に対し)一番してはいけない態度であるからです。
「お前に対してしているのだ」といわれましても、私にはこれだけ神の業が現れているのです。それでは神にしているのと同じでしょう。
私はそれだけ神が認めているから、それだけの神の業が現れているからです。
逆に悪いことしか起きていない人たちは、それだけ神からダメだし(分かりやすくいえばです)をされているから、自分たちに悪いことが起きているのです。
それを認めない限り、自分たちに起きている悪いことは止まらないのです。
昨日でも凄かったですよ。
昨日私は堀川に行ってきたんですが、川に向かい声をかけると次々に大きな魚があちこちで跳ね出してバシャバシャやり始めました。(昨日は大きな魚がよく跳ねていました。起きることは日によって違います。最近は小さな魚がたくさん出て来ることが多かったんですが、昨日は大きな魚がたくさん跳ねていました)
そうして堀川にかかる橋を渡っていると下でバシャバシャ音がしてきます。
下の川を見ると、この前の庄内川と同じように多くの魚が水面近くまで上がって来ていて(昨日は大きな魚だけでなく、小魚もたくさん出て来て水面を泳いでいました)バシャバシャあちこちで跳ねているのです。
「どこでもおんなじことやっているな。不思議なもんだな」と思いながら、その光景を見ていました。
その光景をあちこちで見ていた人たちがいたのですが、珍しいものを見ているような様子なだけで、一人として私に頭を下げようとする人はいませんでした。(中には小さな子供を連れた親子もいたのですが)
そんな光景は私が来なければ起きなかったはずなのにです。
中には、それを見ながら、私に嫌がらせをして行く人まであるのです。
呆れますね。
私が堀川に来なければ、こういう光景など現れないはずなのに(ただ静かに川が流れていただけでしょう)私が来て奇跡を起こしたから、多くの魚が水面近くまで上がってきて、これだけ飛び跳ねているというのに、それだけ珍しい奇跡的な光景に出くわしても感謝もせず、神の業がこれだけ現れている私を誰も認めようとしないのです。
それどころか「この悪人が」と思いつつ、その光景を見ている人までいるのです。(だから嫌がらせをして行くのでしょうし)
悪人にこのような愛ある奇跡は起きませんが、そういうことをまるで理解しない人たちばかりなのです。(いつまでたってもです)
こういう人たちばかりでは神は許さないでしょう。神の業が次々に現れている者を悪人と思っているということは、神を悪だと思っていることと同じであるからです。(実際そうなんでしょう。神によい感情を持っている人はこの辺り少ないと思いますよ。悪いことばかり起こされてるからです)
結局、このような人たちは何が起きても神を認めようとせず、同じようにその神の業が現れている私を認めようとしないのです。
私が祈り、こういう愛ある奇跡が次々に起きても、あるいは人が次々に病気をしても、そうして、その病気を治しても、大雨が降っても、地震が起きても、それでも神を認めなければ私も認めない。
それをすべて悪ととらえ、それを現している私を悪者にしているのです。
そんなことは自分たちの生活とは何の関係もないからです。
自分たちは自分たちの生活をしていればそれでいいと、それしか思っていないからです。(だから奇跡など起きても起きなくても関係ないのです。自分たちの生活さえ出来ればそれでいいからです)
しかし、神がつくられたこの世界で(それさえもこの人たちは認めないのでしょうが。自分たちがこの世界をつくったわけでもないのにです)自分たちさえよければそれでいいという小さな考えではいけないのです。
それでは悪いことが起こります。
そのような考えは間違っているからです。
神がつくられた世は神がつくられたルールがあります。それに従わなければいけないのです。
それに従わないから悪いことが起きているのであり、神がつくられたルールに従わないのであれば、悪いことが起きるように、これもまた神がつくられているのです。(それも神がつくられたルールです)
そのルールを法則というのですが、それさえも認めず、自分たちの生活だけを頑なに守り続けている人たちが未だ多いのです。
だから悪いことばかりが起きるのです。その神がつくられたルール(法則)が激しく現れ出す世となってきたからです。(もちろんそれが正法の世なのですが)
自分たちが神も私も認めず、悪いことをすべて私のせいにして、自分たちの生活だけを頑なに守り続けるのはもちろんご自由ですが、それではもう悪いことしか起きなくなります。
しかしそれは、自分たちがルール違反をしていることが原因で起きていることであり、決して私のせいではないのです。
神のことをいつまでも理解しようとしない、自分たちのせいなのです。
それを認めないなら認めないで結構ですが、しかし、それでは不幸は起き続けるのです。私たちは神がつくられた神の世に住んでいるからです。
そこから私たちは一歩も出ることは出来ないからです。(それが不満ならどうぞご自由に自分たちがつくった世にでも行ってください。出来るのであればですが。〔笑〕)
神に感謝し、畏れ、へりくだりる人には神は愛ある現象を次々に現してくださいますが、神を認めず、その神に怒り、バカにし、傲慢不遜な態度を取る人には神は大変恐ろしい現象を現し、その間違いを正されるのです。
神を認め、神の世にいられることに感謝し、神の心に従われませんか?
そうすることが、神がつくられた神の子である私たちがするべき当たり前の態度であるからです。
(そういう当たり前の態度さえ取れないから、不幸になるのです)
追伸…その神の子といえばです。藤井四段がまた勝ちましたね。(最近は神の子といわれているようですね)
これで二十七連勝ですか。やっていることが神業なんですからまさに神の子でしょう。
相当の人が憑いていると思われますが、指導霊が憑いているといってもです。それは地獄霊のように憑いているわけではなく(この辺りにたくさんいますけどね。その地獄霊を憑けた人が。〔苦笑〕)指導霊の場合は天上界から指導しているだけなんですが、もし、その人が誰か分かったら教えてほしいですね。
将棋をあまり知らない私でも興味はありますから。(笑)
しかし、何度もいいますが、その指導霊が憑いていられるのも心が変わらない間だけなのです。心が(悪い方に)変わってしまっては、その指導霊は憑いていられなくなるのです。
心が変わると心から出る波動も変わってしまうからです。(その心から出す波動によって、光の天使が降りてきたり、地獄霊が降りてきたりするのです)
藤井四段の心が変わらないことを祈るばかりですが、こればかりは分かりません。
失敗する人(心が悪い方に変わってしまう人)の方が多いからです。
しかし、最近は若手有望株がたくさん出てきていますが、そういう人たちが法を勉強してくださることを願うばかりです。
そのような人たちの多くは、この法をしっかり勉強してきますと、菩薩界から出て来る時に約束してきている人たちばかりであるからです。
だから、そのような人たちはこの法をしっかり勉強しない限り、自分の本当の使命は果たすことが出来ないということです。
(いつまでも神を認めようとしないこの辺りの人たちに手本を見せてもらえませんか?そういう心の高い人たちがです。〔笑〕)



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