6月 22 2017
手本
昨日はまた庄内川に行ってきたんですけどね。その帰りにいましたね。あちこちにです。
私のことを見ている年寄りがです。(苦笑)
その中にはにらんでいる人もいます。だから私は「おっちゃん(またはオバちゃん)ブログ代くらい払わんと罰が当たるで」と声をかけました。
するとほとんどの人が下を向くか、横を向くかするのです。
少しは自分たちの態度を反省してもらいたいものです。
怒っているなど逆恨みもいいところなんですが、どれだけ年を取ってもそれが分からない人は分からないようです。
そういう年寄りの皆さんは、このブログを知ってどれだけ幸運を得たと思いますか?
自分のこれまでの人生を考えてみてください。
これまでの皆さん方は年を取ってもうやることもなく、残りの人生をただ時間を無為に過ごすだけの無駄な人生を送っていたのではないですか?(趣味に没頭することでもなんでも同じです。他にやることがないからそれをしているにすぎないのです)
そうして自分はいつ死ぬことになるのだろうと、死の恐怖ばかりが襲ってきた人もいたのではないでしょうか。(年をどれだけ取ったところで死への恐怖はそう簡単になくなるものではないからです)
しかし、私のブログを知ることにより、神の存在を知り、死後の世界を知り、人生はこの一回限りではなく、永遠に続くものであることを知り、また自分たちは生まれ変わることが出来ること知って、ずいぶん心が楽になった人も多いのではないでしょうか。(ずいぶん死への恐怖が和らいだ人も多かったのではないですか)
これは年を取れば取るほど、その実感が強かったのではないでしょうか。やはり年寄りの方が若い人よりも死への実感が強かったはずだからです。
そういう年寄りにとって、このブログは、まさに砂漠でオアシスに出会ったかのごとく感じ、救われた気持ちになった人も多かったのではないでしょうか。
だから私を知った当初の年寄りの人たちは私に頭を下げていった人もいたのです。救われた気持ちになった人が多かったからです。
しかし、その後、私への評判が悪くなるにつれ、頭を下げる年寄りは減って行きました。今はもちろんゼロです。(苦笑)
しかし、私の評判がどれだけ悪くなっても、それでもこのブログを読むのをやめない年寄りが現にいるのです。
このブログを読めば(心が)救われると知っているからです。だから読まずにはいられないのであり、だから、自分たちに都合が悪いことが書かれてあると怒るのです。
このブログに書いてあることは正しいと自分たちは知っているからです。(正しいことが書かれてあると知っているから怒るのです。適当なことを書いていると思えば怒る必要もないからです)
そういう諸々のことを考えればです。
老後にこれだけのブログに出会ったのです。もう感謝以外ないはずなのではないですか?
このブログはただの老後の楽しみで読んでいるだけのブログではないからです。
たとえそれだけでもずいぶん救われるでしょうが(年寄りにとったらです。年を取ったらそう楽しいこともなくなりますから。〔笑〕)しかし、このブログはどれだけ年を取ってもただ楽しかった、面白かった、で終わるブログではないからです。
このブログを読むなら、その人の人生観がまるで変わってしまう、それほどのブログであるからです。(実際に変わった人も多いでしょう。唯物論から唯心論にです。そうであるならずいぶん人生観がかわりましたよね)
なぜそうなるのかはお分かりいただけると思います。ここに書いたことが書いたことだけで終わらず、次々に起きるからです。(よいことも〔奇跡〕悪いことも〔災い〕含めてです)
その人生観を変えるほどのブログに人生の最後の最後に出会ったのです。
では、感謝以外ないのではないですか?
特にお年寄りの皆さんなどはです。
だから私は布施くらいされてはどうですか?といっているのです。
それほどのブログと出会って、何の報恩の行為もしないというのであれば罰が当たると年寄りなら理解できると思うからです。(若い人はともかくです。まだ不信心な人も多いでしょうから)
実際、次々にこの辺りで罰が当たっているようですし(もう朝からそこらじゅうで怒っていますし〔前後左右みな怒っています。もう半端ないくらい起きているようです〕どこかの会社も悪いことが起きっぱなしですって。さっき、ききました。〔苦笑〕)それは自分たちの行いが悪いからであると、信仰深い年寄りであるなら分かるはずであるからです。(マァ、それでもそれが理解できない年寄りが最近は多いようですが)
しかし、もう年寄りが引っ張るしかないのです。この辺りの人たちは、おかしな我ばかり強くなって(自分は悪くないというです)もうどうすることも出来ないようであるからです。(もうどこかの会社などもパニックで〔ずいぶん引いたです〕物に当たることしか出来ないようですし、それは他の人も同じなのです。大人から子供まで、次々に悪いことが起きているようでキレるか引くかしか出来ないようです)
お年寄りはずいぶん私に救われているはずです。(人生の最後の最後にです)
では、お年寄りが率先してやっていただけませんか?私に頭を下げることをです。
年寄りが手本となり、そういう態度を取るなら、それをまねる人も必ず出て来るはずです。
しかし、誰も彼もがいつまでも突っ張り続けるのであれば、この起きている災いはどれだけ増えていくか分からないのです。(本当にもうそこらじゅうで怒っています。私が何をいっても皆きかないのです)
人生の最後に多くの人を救いませんか?
信仰深いお年寄りの皆さんがです。
(本当にお願い出来ませんか。なんか大変なところも多いようですし〔顔が引きつっている人もいますし〕このままでは、そのお年寄りの皆さん方も危ないようであるからです。奇跡が起きている私のいっていることが正しいのです。いい加減、ご理解ください)
追伸…しかし、あの豊洲問題は大丈夫なんでしょうか?(あのような都知事の判断でです)
豊洲も移転して築地も再開発するって、一見よさそうですが、具体的な話は何もないんでしょう。
これでは、ただの都議選目当ての両方(豊洲移転派と築地に残る派)にいい顔しただけの先延ばし案に過ぎないのではないでしょうか。
このような先延ばしが後々、東京に大きな損失をもたらすのではないかと心配です。
オリンピックも何かバラバラになってしまいましたし、この豊洲問題もそうです。本当に法則を無視すると(女性を中心にしてはいけない)よいことが起きませんね。
改めてそう思います。



人目の訪問者です。

私は昨日未明に人を殺めてしまいました。そうです夢の中の話ですが、あまり良い気はしませんでした。しかし夢占いでみますと現状にストレスがあり自分を変えたい願望があり、またはこれから自分が変わるということが大方の内容です。ここで今わたしが神に感謝できるのは心の自由ということになります。どんな思いを持つかで未来が変わる。さればこの夢はこれまでの自分を捨て新しい自分を創っていく好機ではないかと思えるのです。心の自由を知らなければ負の連鎖に陥る可能性だってあったのです。不動心を心で得たことや最近になりなんとなく自分以外の力(えっーと、神ってるとか言いますよね)が環境を変えていく様な気配がする中でこの夢占いだと、ズバリ当てはまるのではないでしょうか。いずれにせよ心の自由を教えられた私は感謝すると共に周囲にも心の自由を広めていきたいと思います。
あまり夢占いなど信ぜず、法を信じてください。(占いなど所詮は確率ですから)
そうすれば奇跡が起きて来るからです。