6月 25 2017
心の広い人
今朝(七時頃です)長野で震度5の地震が起きました。
少々の断水と落石があったくらいで、けが人は今のところ報告されていないとのことですが、このクラスの地震が起きる時は必ず天を怒らせた人がいる時です。
昨日もそうでした。ずいぶんその天を怒らせた人がいたのです。
昨日はどこかの会社が休みだったので、今日は多少は静かにブログが書けると思いきや、何が何が、今度はその向こうにある会社の従業員が凄い怒りようで物をガンガン叩きつけています。
それがあまりにうるさくて途中でブログを書くのをやめたのです。
どこかの会社であるなら、そういうことをしてもそれ相応の災いを現されていますが(だからしていいとはいいませんが)そこ以外のところがそんなことをすれば、当然、天はおおいに怒りを現します。
このブログは天の心を書いているのです。(だからここに書いたことを実践した人には次々に奇跡が起きるのです)そのじゃまは天を怒らせるだけです。
何が起きているのか知りませんが、いい加減、このブログの大事さくらいはご理解いただけないでしょうか?
そういうことをしているあなたも、このブログを読んでいるはずだからです。
そういう人ばかりでなく、天の怒りに負けず劣らず、お怒りの人がこの辺りにはたくさんいます。
本当に困ったものです。何度も書きますが、自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きているのです。
それをどれだけ私のせいにしたところで、その災いは止まらないのです。
よく考えてみてください。本当に私が悪いのなら私自身に悪いことが起きないといけないのです。
しかし、私には悪いことどころか奇跡しか起きていないのです。
その起きていることで自分たちの善悪を判断すればいいのに、この辺りの人たちは、それは絶対にしません。
自分たちの行いはまったく振り返ろうとせず、悪いことが起きれば「それはお前のせい」の一点張りなのです。
周りを見渡せばそのような人たちばかりです。
これではよいことは起きないでしょう。そのような人たちがずいぶん悪いことをしていることを私はよく知っているからです。
その自分たちの悪をこの人たちは認めないだけなのです。
先週も大騒ぎでした。(もう最近は外に出て行くと毎日が大騒ぎですが)こちらは次々に奇跡が起きているというのに、周りの人たちには次々に災いが起きているようだからです。
昨日もそれで怒っている人がたくさんいたのですが、一昨日はまた特色のある怒り方をしている人たちが固まっていました。
そちらの方が面白いので、そちらのことを書きます。
特色のある怒り方というのもまた変ですが(苦笑)一昨日など皆が皆、私が歩いて来るところを待ち伏せしているのです。
あまりに皆さん同じような嫌がらせの仕方をしていたので(一昨日、一日だけでです)それで特色があると書いたのです。(皆さんよく私の帰り道を調べていられるようで……残念です。どうせ私のことを調べるのなら、説いている法をよく調べられた方がよほど救われるのにです)
最初に待ち伏せしていたのは中学生連中でした。
私が庄内川の川岸を歩いて帰ってくると(一昨日は庄内川に行っていましたので)一色大橋の下に中学生の三人組がいました。(男ばかりです)
ここに中学生などいる時は必ず私が歩いてくると何かしてきます。学校や家などで何か悪いことが起きたのでしょう。(なんでそれが私のせいなのか意味が分かりませんが。私はこの連中を見たこともないのですから)
昨日も案の定してきました。私が近くまで歩いて行くと一人の中学生が持っている笛を、メチャクチャな吹き方をし出してピィーピィーギャーギャーやり始めました。
後の二人の中学生もなにかしたくて仕方がないようです。
それでいつものように辻説法を始めます。すると、そういう連中も段々静かになって行くのです。
自分たちが間違っていると気づくからです。(自分たちが被害妄想であること、因果応報、悪い者に鳥が寄ってくるような奇跡は起きない、そういうことを伝えるのです。するとだいたいの人は気がつきます。ただし男ならという注釈つきですが。〔笑〕)
静かになったので「お前らの友達にもよくいっといてくれよな。俺が悪いことをしているわけではないってよ」といって帰ろうとすると、それでもまだすぐに私が悪くないと認めたくはないのでしょう。
私が帰りかけるとまた後ろからでかい音を立てて来ます。
それで「お前らもう多死社会になっているのを知らないのか?」とダメ押しの説法をするわけです。
「もう時代が変わったんだよ。自分たちの心が現れる時代になったんだ。だからこれだけ多くの悪いことが起き出したんだ。心の悪い人が多いからな。だから俺には鳥が寄ってくるような奇跡も現れているんだ。心がきれいだからな。心がきれいなものには奇跡が、汚いものには災いが起きる時代になったんだ。その時代が変わって起きて来たことを、この辺りの人たちはみな俺のせいにしているだけなんだ」と話し、そうして「『お前のせい』ではなく『自分たちが間違っていました。助けてください』なんだ。もう自分たちの汚い心のままではいつ悪いことが起きるか分からないからな。奇跡が起きる者のいうことをきかないと奇跡は起きないからな」と続けるわけです。
するとほとんどの人はそれで黙ってしまいます。
昨日の中学生もそうでした。
そこまでいうと、とたんにとぼけた顔になるのです。あれ誰だ、何かいってるぞ、みたいな態度を急に取り出します。
「おいおい、お前ら中学生のくせにずいぶん素直じゃないんだな。そういうとぼけた態度を取るんじゃなしに素直に自分が間違っていました。すいませんでした、と謝れ。そうすれば今度は奇跡が起きて来るから」というと、よけい「はぁ」という顔をします。
だからこういう連中は災いしか起きないのです。素直に自分が悪かったと反省しないからです。(しかも中学生のくせにです。本当に素直さがありません)
これ以上、バカを相手にしていても仕方がないと帰りましたが、その帰りに公園の横を通ると(私が庄内川から帰るコースはだいたい決まっていますから。そのところどころで皆が待ち伏せしているわけです)今度は小さい子供が三人ブランコに乗っていました。
こういう時もそうなのです。
この時間(夕方五時過ぎ)に、この公園に小さな子供がいる時は私に何か文句がある時なのです。必ずそこにいる子供らは私に何かして来るからです。(だから私からするとその子供らが小悪魔のように見えます。小悪魔たちがブランコ乗っているのです。まるでホラー映画のようです。〔笑〕)
それでまたかと思ったら、その公園の横に家があって、その家の人が急にガンとかやってきたものですから、ちょうどいいと思い、そこで辻説法を始めました。
するとその説法を、その向こうでブランコに乗っている子供らもきいていたのでしょう。
説法が終わって、そのブランコの横を私が通る頃にはその子供らはいませんでした。私の説法をきいて自分たちが悪かったのが分かり帰って行ったようでした。(向こう側の道を見るとその子供らの後ろ姿が見えました)
そうしてまた帰っていると庄内川の帰りにはいつも通る公園があるのですが、そこにもまた三人のオバちゃんとその子供が三人、その公園で遊んでいるのでした。(子供も女の子ばかりでした)
ここに人がいる時もそうなのです。その人たちも何か私に文句がある人たちなのです。(そういう人ばかりとはいいませんが、そういう人が多いということです)
やはり私が近づくと何かしてきましたので同じように説法をしたのですが、今度は女が六人です。
これはききませんね。(苦笑)
私が何をいっても知らん顔で自分たちの話をしています。そうして子供らは子供らで、私が近くを通るとガチャガチャ音を立てて遊具で遊んでいるふりをしています。(単に私に嫌がらせしているだけなんですけどね)
そうして私が通りすぎると、とたんに「帰るよ」といって、その子供らを自転車に乗せ、ガチャガチャ音を立てながら自転車をこいで、私の横を親子の三組が帰って行きます。
私が横で何をいっても無視です。(さすが女が六人もいては鉄の壁ですね。こちらが何をいってもきこうともしません。〔苦笑〕)
「あんたら子供がいるのに子供に対する愛もないのか。俺にそんな嫌がらせして子供に何か起きても知らねえぞ」と子供まで出していったのですが、それでも無視して帰って行きました。
本当に我の強いオバちゃんたちです。それに子供に対する愛もない。これでは悪いことも起きるのです。(この人たちは絶対に何か起きますね。こういう我の強い女たちを天はそのままにはしておかないからです。〔それでは本人のためにならないからです〕だから誰かに何かを現すのです。そういう現象で反省を促〔うなが〕すのです)
そうして家の近くまで帰ってくるとダメ押しで、おっちゃんが一人、私が帰る道に歩いてくる私をにらみつけながら立っていました。(ほんと地獄霊が立っているようでした。〔苦笑〕)
「またいるよ」と思い辻説法をしながら、そのおっちゃんの方に歩いて行くと、今度は先ほどのオバちゃんたちとは違いました。
私の説法をきいて何も出来なくなったのか、そのおっちゃんは渋い顔でこちらを見ていましたが何もしてきませんでした。
しかし、私が歩いていって後ろを振り返るとまだそのおっちゃんは私の方をにらみつけていました。
本当に哀れです。
きっと、ずいぶん悪いことがこの人たちには起きているのでしょう。そうでなければ、わざわざ私の帰り道に家から出て来て私を待ち伏せなどしないと思うからです。
しかし、私に対し、それだけ腹を立て待ち伏せまで考える暇があるなら(私に罪を擦り付けている暇がるなら)少しで結構です。
「自分たちも悪いのではないか」という反省の心を持たれてはどうでしょう。
そのような謙虚な心が、自分を、そうして周りの人たちをも救うからです。
どれだけ悪いことを私のせいにして怒って嫌がらせをしたところで、それでその災いが止まるのですか?
それで救われるのでしょうか?
一時の気晴らしにはなるかもしれませんが、それだけのことなのです。
そんなことをしたところで誰一人救われないのです。では、そんなことをしている暇があるのなら、この災いを止めたいと本気で考えてはどうでしょう。
この災いを止めることが出来れば、自分自身も、また周りの人たちも本当に救われることになるからです。
私にどれだけ嫌がらせしたところで起きている災いは止まらないのです。
少なくともそれだけは確かでしょう。実際に多くの人が私に嫌がらせをしていても災いは止まらないからです。
むしろ増える一方であるからです。
では、逆のことをされてはどうでしょう。
私に嫌がらせを続ければ続けるだけ災いは増えていくからです。
そうであるなら逆のことをすれば、その災いは止まるはずであるからです。
そのような心が多くの人を救います。同じことをいつまでもやり続けるより、別なことをする、それが賢い人のやり方であるのです。
少し素直になり私の話もきいてみませんか?
そのような心の広い人になることが救われる道であるからです。
追伸…最後に本当の神を知るチャンスを得たのですが、その神を信じ切ることが出来なかったのは本当に残念なことでした。
神を信じ切ることが出来たのなら、必ず、奇跡は起きたと思えるからです。



人目の訪問者です。

これからいよいよ私の生き方が変わって行くのです。それは私自身が進行性の病気で身体障害者手帳を受けるからです。30代からの発症でありましたかから将来にこうなる事は分かってましたから、それが現在であったということなので心変わりはないです。それでその障害は視覚障害ということで大変お世話になっている先生のブログもいつまで読めるのか分かりませんしコメントもできるのか、まさに神のみぞ知ることになります。その中でこうしてこのブログと出会い数々の指南を頂きこの道をこれたことは正に奇跡なのです。今後も変わらず心を神に向けやるべきことを可能な限り尽くすし精進するのみです。
えっ、そんなご病気だったんですか。(もっと早く教えてくださればよかったのに。そうすればその病気の進行も、もっと遅らすことが出来たかもしれないのにです。祈りでです)
今日は高橋先生が亡くなられた日でもあります。この日にそのようなことを教えられたのも何かの縁かもしれません。(高橋先生にも祈っておきます)
これからも神を信じ、ご精進ください。