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7月 09 2017

年寄りの無理解

10:56 AM ブログ

参りましたね。パソコンが壊れちゃいましたよ。(だから予備の安物のパソコンでこのブログを書いています)

新しいパソコンを買ってから三年ほどでしょうか。その間、ほとんど毎日使っていたんですから、そりゃ壊れるのでしょうが、とりあえずすぐに直す予定はありません。(もちろん金欠でです)

また、ヒヤヒヤの毎日が続きますね。(このパソコンは安物ですから、いつ壊れるか分からないからです)

とはいえ、とてもすぐに布施などしてもらえる状況でもありませんしね。本当に不便です。法を理解する人があまりに少なくてです。

昨日でもまあ、歩いているとブシュブシュよくやってきますしね。(トラック連中などです)嫌がらせをしてくる人もまだまだ多い。

どれだけ辻説法しても、この辺りの人たちは法のことを理解しようとしないというのですからどうしようもありませんね。

「これは難しいな」と思いながら堀川に行くと不思議なことに掘川沿いは誰も歩いていませんでした。

あそこは散歩コースで、昨日は土曜日の午後で天気もいいのに(少々暑かったんですが)いつもは大勢いるはずの人が誰もいない、またまた世にも奇妙な物語のようでした。(それは堀川だけではなくいつもはたくさん子供がいる、家の近くの公園もそうでした。昨日は不思議なことに誰もいなかったのです)

たまたまでもないでしょう。最近はここですれ違う人も少なかったし、前に書いたことがありますが、このコースを日課のように散歩していたオバちゃんたちも(あのたくさん水面に上がってきた小魚を目撃したオバちゃんたちです)最近は全然あわなくなりました。(少し前までは私がここを歩いていると必ずあいましたから。歩く時間が同じだったのでしょう)

何か知りませんが、いつも同じ時間にあっていた人たちが段々へって行くのです。

歩く場所を変えたのでしょうか?それとも年を取った人が多いから病気か何かにでもなったのでしょうか?

しかし、そのような人たちはみな私の顔を見れば嫌がらせをしていた人たちばかりでした。

そういう人たちの顔を段々見なくなっているのです。(少々寂しい話ですが)

その堀川の帰りのことです。歩いているとある家からガンとか、ゴンとか音がしてきました。その家は私のブログを読んでいるオバちゃんがいる家でした。

「まだ、そんなことしているのか」と話しかけながらその家に向かい説法をしていると、その反対側の家からもオジちゃんが出てきました。

その人もまた私のブログを読んでいますが、その人も新聞を取るふりをしながらガチャガチャ音を立てて私の説法をじゃましています。

こういう人は家の近所にもまだいますが、この人たちはみないい年をした年寄りばかりなのです。(皆、六十、七十を過ぎた人たちばかりです)

そういう人たちが、私のブログを読んでいるにもかかわらず、少しも感謝しようとせずに嫌がらせを続けているというのですから、本当に呆れてしまいますが、しかし、そのような年寄りがいつまで元気でいられるのかは疑問ですね。

このような人たちは、もうそれほど長くはないのではないかと思えて仕方がないからです。(縁起が悪くて申し訳ありませんが)

実際にそういう年寄りを一人、二人と見なくなってきているからです。(先ほどの堀川であっていたオバちゃんたちもそうですが。ずいぶん嫌がらせをされましたから)

しかし、それも仕方がないことでしょう。もちろんそれは年が年だから何があってもおかしくはないという意味ではなく、態度が明らかに間違っているからです。

そうではないですか?心を救われている者に嫌がらせをしているのです。そういう態度が正しいわけがありませんし、そういう間違った態度をし続けているのです。

そういう大間違いをしている年寄りは、すぐにでもあの世に引き上げられても別に不思議でもなんでもないからです。

むしろそういう悪いことも起きるだろうとしか思えないからです。(因果応報です)

しかし、年寄りは普通なら分別もよくついて信心深くなるはずですが、この辺りの年寄りはどうやら逆の人が多いようです。

神仏の力を現している私に(鳥が騒いでいるのをきいて外にわざわざ出てくる年よりも多いですから)嫌がらせをしてくるのです。

では、神の力など屁とも思っていない年寄りが多いということになります。そのような鳥や魚が寄ってくる愛ある奇跡は神の力以外の何ものでもないからです。

その奇跡を(毎日のように)現している私に平気で嫌がらせをしてくる、それでは神に嫌がらせをしているのと同じことになります。(そういう分別がつかないようです。それでは子供と同じです)

だから私はこの辺りの年寄りは分別もつかず全然信心深くもないといっているのです。

私の評判が悪かろうがよかろうが、年寄りであるなら自分たちの長い経験があるのです。(この世でのです)では(その経験を活かして)その人が正しいか正しくないかは自分自身で判断すればいいのに、人の噂を鵜呑みにして人の顔を見れば嫌がらせ、そうしてそれだけ嫌っている者が書いているブログだけは読んでいるという、トンチンカンなことを平気で続けているのです。

そういうトンチンカンな態度をとっているのは、別に年寄りだけではありませんが、しかし、年寄りであるなら、せめて自分のこれまでの経験を活かした正しい態度を取ってほしいものです。

そのような皆の(若い人たちの)手本となるのが、年寄りの人たちであるはずであるからです。

昨日行った堀川でも、声をかけていたら多くの小魚たちが水面に上がってきてバシャバシャ騒いで可愛いものでした。鳥たちもよく騒ぎ私の周りを飛び回っていました。

私は毎日のようにこのような愛ある奇跡が現れています。

その私が本当にそんな悪者なのですか?

せめて年寄りの人たちは(もっと自分の経験を活かし)正しい判断をしていただきたいと思っています。(間違ったことをしている者にこんな奇跡が起きますか?)

そうでなければ自分たちが長く生きてきた意味がないからです。

(ふと気がつけば、今日は朝からずいぶん静かです。〔前のマンションが全然バシバシやってきません。どうしたのでしょう?〕そういえば昨日の帰りも、いつもならあうはずのどこかの運送会社の運転手の皆さんと全然あいませんでした。〔土曜日の堀川の帰りにはいつもはあちこちにいるはずなのにです。そうして嫌がらせをしていく人もいます〕なんで昨日は一人も会わなかったのでしょう?そうして先ほども書きましたが、いつもは子供がたくさんいるはずの家の近くの公園に昨日は誰もいなかったのです。そうして、家の近くに帰ってくればくるほど静かだったのです。〔いつもとは反対です〕何かここ数日で雰囲気がドンドン変わっていっている気がしますが…気のせいですか?早めにそのことに気づかれ〔何でこれほど雰囲気が変わってきているのかということにです〕よいことをした方がいいのではないでしょうか、私にです。状況はドンドン変わっていっているからです)

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