8月 08 2017
布施(愛と慈悲の心)の大事さ
やっと台風五号は日本海に抜けたようですね。
しかし、これだけゆっくり列島を縦断した台風もそうはありません。(だいたい上陸した台風はあっという間に行ってしまいますから…本当にひどいことをされています)そのせいであちこちで大変な被害が出ています。(こちらも昨日の夕方から夜にかけて大荒れでした。豊橋など突風〔竜巻?〕被害まで出たようですから)
日本海に抜けたとはいえ、まだこの台風は東日本の広い範囲で断続的に激しい雨を降らせています。(今回の台風は異常に雨の範囲が広かったともいわれていますから…何から何まで最悪です)まだまだ油断できませんね。
しかし、この間、このブログを見ている何人かの人でも反省して(愛の心を出して)私に協力してくれていたのなら、これほどの広範囲に渡って、これほどのひどい被害は出ていなかったはずなのにと思うと残念でなりません。
この間に、私がくどいくらい協力してくれといったのに、このブログを見ている人は誰一人、私に協力しようとしなかった(これまで協力している人たちは別にしてです)それが今回の台風がこれほどの大きな被害を出した最大の原因なのです。(あまりに出す愛が足りなかったということです。愛を出さないから愛が返ってこないのです。愛がないからこういうひどい現象が現れるのです)
まだ信じられませんか?私のいっていることがです。
ちょうど一ヶ月前です。パソコンが壊れたとこのブログに書いたのはです。(七月八日にパソコンが壊れましたから本当に一ヶ月前です)
それからあの異常なゲリラ豪雨は始まったのです。毎日のようにどこかで一時間に百ミリ前後の雨が降り、浸水被害や土砂崩れ被害などが多発しました。
しかし、それでもこのブログを読んでいる人たちの心は変わりませんでした。(これ以上、悪いことが起きてもいけないと愛の心を出す人が一人もいなかったというのですから、本当に唖然としますね)
私はその間「この激しい雨はこのブログを読んでいる人たちのせいです。だから心を入れかえ布施してください」と何度頼んだか分かりませんが、誰一人、私に布施してくれる人はいなかったのです。
そうしていたところ、あの台風五号が発生したのです。(七月二十一日に台風五号は発生しましたから)天は、このままでは埒(らち)が明かないと思ったからでしょう。(激しいゲリラ豪雨だけでは、このブログを読んでいる人たちの心は変わらないと思ったからでしょう)
この台風五号は最初からおかしかったのです。ずいぶんモタモタして、太平洋上をずっとウロウロしていました。
それで私はピンと来たのです。この台風は何か天の思いがこもっているとです。
だから私は、この台風はこのブログを見ている人の様子を見ている、このままこのブログを読んでいる人の心が変らなければ、この台風は日本を直撃するといったのです。
それが嘘ではないということは、前に書いたブログを読んでもらえれば分かります。
例えば、八月一日に書いたブログには、今のままではあの太平洋上でウロウロしている台風五号は確実に日本を直撃するでしょう、と書いています。(この時はまだ、台風五号はどのようなコースを通るのか全然分からなかった時です)
そうして、この時に、あれだけ(五号の)コースが定まらないのは神が(天が)様子を観ているからです(このブログを読んでいる人たちのです)とも書いています。
その後、その通りのことが起こります。
このブログを読んでいる人たちの心がこの後も全然変わらなかったがため、この台風五号は大変なコースを通り(わざわざ日本の端まで回り込まれましたから)大変な被害を(前代未聞のノロノロさでしたから)日本にもたらしたのです。(もたらしているのです)
しかし、私はこうなることを予想し(あくまで予想ですね。このブログを読んでいる人たちの心はちょっとやそっとでは〔少々の激しい雨くらいでは〕変わらないと思っていたからです)そう書いたのですが、本当に残念です。
その予想が的中したことがです。
あの異常なゲリラ豪雨から始まり(正確にいうなら、もっとずっと前から、このブログを読んでいる人たちに対する気づきの現象は現れているのですが)今回の五号台風まで、日本中で大変な被害が出ているのです。
それもこれもすべて、このブログを読んでいる人たちが心を変えないからです。それでこのような凄まじい現象が現されているのです。(パソコンが壊れてから、そのような気づきの現象はなお一層激しくなりましたから)
このような気づきの現象は、その人たちが気づくまで止まらないのです。(この辺りがいい例ですが、凄まじい現象が現れているようです。どこかの会社などです…何か〔今日も朝から〕大変そうです)
それどころか、気づかなければ気づかないだけ、その起きてくる現象は激しくなっていきます。(つまり、今回で気づかなければ次はもっと激しい現象が現れて来るということです)
もう気づいている人も多いのです。布施くらいされてはどうでしょう。それが法を伝えてもらった側のしなければいけない当然の義務であるからです。
その義務をいつまでも果たそうとしないから(もう何年にも渡ってですから、いくらなんでもやりすぎです)凄まじい現象が現れてくるのです。
それに布施の行為は愛と慈悲の心を体現している行為でもあります。だからこそ、そのような行い(布施する行為)は非常に大事なことであるのです。
布施の行為は神の愛を実践していることに他ならないからです。
多くの人はそのことを知らないのです。(布施の大事さ、偉大さをです)しかし、それを知らないばかりに悪いことが起きてくるのですから、その知らなかったことを反省し、それを(布施を)行えばいいのです。
そうすれば、今度はいいことが起きてくるからです。(それだけ布施するという行為はよいことであるからです。神の愛を実践しているのですから。それに愛を出すなら黙っていても愛は返って来るのです)
それだけよい行いをするのなら、当然、逆の現象が現れてきます。そう考えるなら、皆が私に布施したらどういうことが起きてくるでしょう。
そうなれば大変な奇跡が現れ来るということです。
そういう現象を世に現さないといけないのです。そういう(神の奇跡が次々に現れる)世界こそ真の幸せな世界であるからです。(そういう現象は必ず現れますよ。逆の現象〔災い〕がこれだけ現れているのですから)
ところが、現代の人たちは現してはいけない現象を次々に現しているのです。
平気で法を無視し布施を行おうしないからです。(布施の大事さを知らないからです)
だから災いばかりが現われる不幸な世界になっているのです。
多くの人が神の心からあまりに遠いからです。(布施という神の愛を実践しようとしないのですから、当然、神の心から離れていきます)
何度もいいますが、気がつかないなら、気がつくまで、その気づきの現象は現れます。
多くの人はあまりに布施の価値を知らないのです。
早く布施の大事さに気づいてもらえませんか?
それに気づいて、心からの愛ある布施を実践するなら次々に奇跡が現れてくるからです。
(実際に布施を〔毎月のように〕しているウナッシーさんには奇跡が現われているではないですか。それだけ神の愛を実践しているからです。だから神の奇跡が現れるのです)



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