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8月 12 2017

心が救われることの有り難さ

10:55 AM ブログ

昨日は名古屋で激しいゲリラ豪雨がありました。(熱田区で一時間に七十五ミリ)

私も外にいて降られたんですが(ほんと凄い雨でした。傘など役に立ちませんでした)昨日のブログに、このブログは天まで動く、あまり皆さんが動こうとしないとまた天の怒りが爆発する、などと書いたとたんの激しい雨です。

名古屋の人たちはもう少し動かれたらどうでしょう。(せっかく多くの人が法を知らせてもらっているのですから。このブログでです。〔笑〕)

そうしないとやはり天の怒りは激しそうであるからです。(でしょうね。本当の神の教えを教えられて感謝も何もないなど〔何もないどころか、その恩を仇で返しています〕これ以上の過ちもありませんから)

世は盆休みのようですが、私に休みはありませんね。法を伝えられた多くの人々が大きな間違いを犯しているからです。(その間違いを正さないと天の怒りも激しいでしょうから。ということは悪いことが起きる人がたくさん出るということですから)

今日も朝から怒っているマンションの人がありました。(朝からバシッという〔窓を閉める〕でかい音を何度も立てていましたから)

私が人を病気に出来るのなら、前の会社の連中はとっくに全員が病人です。(この連中がどれだけ私に嫌がらせをしているのか知っていますよね)しかし、いまだ元気な者も多いのです。

このような事実が私が人を病気にしているわけではないということを物語っています。(私が人を病気に出来るのなら、嫌がらせをして来る者を片っ端から病気にします。どれだけ私が普段から嫌がらせを受けているのか、あなたたちは知らないのです)

人が病気にするのでなく、自分たちの心がその病気をつくっているのです。(病気という漢字をよく見てください。気の病と書かれているではないですか)

その間違いに早く気づかなければいけないのです。

昨日も私はあちこちでいい回っていました。「このブログをただで読んでいる人がコロコロいっている」とです。

するともうあちこちの人がビクついています。そういう人に畳み掛けます。

「人のブログ読んで散々心が救われたくせにまったく感謝もせず、嫌がらせばかり、そういうことをしていて悪いとは思わないのか」「そういう態度を皆が皆していて、それで自分たちに悪いことが起きて来ると、それは全部俺のせい。皆さん、自分のしていることがお分かりですか?」「何で自分たちがそんな恩を仇で返すようなことをしていて、あのサイレンが皆、俺のせいなの」「自分たちのやっていることを棚に上げ、よってたかって俺一人を悪者にして心は痛まないんですか?」「皆さん、良心はないんですか?」など、もうここぞとばかりにいいたい放題いいます。

するともう多くの人がいやらしそうな顔をして逃げるように歩いていきます。(実際に逃げていく人もいますし)

別に憂さ晴らし(うさばらし)でやっているわけではありません。(マァ、少しくらいはそういうのもあるかもしれませんが…)気づいてほしいからやっているのです。(とにかく凄まじい勘違いぶりですから。これだけ罰当たりなことをしていては、この辺りにたくさん病人が出るはずです。しかし、その病人まで私のせいです。ほんとどこまで行ってしまうのでしょう。この辺りの人たちはです)

このことに(自分の大きな間違いに)気づかないと、その人は絶対に幸せになれないからです。

心が救われることの有り難さをこの辺りの人たちはまったく理解していないのです。(それはこの辺りの人たちだけではありませんが)

「心が救われることの有り難さ」それは普段の生活から考えてみても分かるはずです。

普通に生活をしていて、心が救われることがありますか?そんなに頻繁に心が救われているのなら、これだけ思い悩む人は多くはないでしょうし、自殺者が年間三万人も出ることもないでしょう。

それに普段は悩みがないような顔をしている人たちでも、実際は悩みを持っている人は多く、それを遊びか何かでごまかしているだけなのです。

だから多くの人が救われたいと、神社やお寺などのパワースポットに行ったり、占いなどに頼ったりしているのです。

それは多くの人が心が救われたいと願っているからです。(肉体が救われたいのなら病院に行くはずですから)

では、その心が救われるブログがあるのなら、誰もそのブログを読むのではないでしょうか。その心を救われたいと願っている人が一番多いからです。

その心をこのブログを読んでいる多くの人は救われているのです。(程度の差こそあれです)

このブログには神のことや心のことが詳しく書かれ、死後の生(あの世の存在)まではっきり書いて、奇跡から災いまで実際に起こしているのです。

これだけ物質以外の(精神の部分、つまり心の)部分が分かるブログはありません。(実際に書いた通りのことが起きているのですから)では、それだけ心の部分が分かってくれば、その心が救われた人は多いのではないでしょうか。

このようなブログに巡り合ってです。

それにもかかわらず、感謝する人がほとんどいないというのはどういうことでしょうか?

自分が一番救われたいと願っていた心が救われているにもかかわらずです。

そういうことをしていれば、いいことは起きないと、ちゃんとこのブログの中に書いています。

その書いた通りのことが起きているだけではないですか。それが何で私のせいになるのでしょうか?

このブログをしっかり読まなかった(それを行おうとしなかった)自分たちの責任でしょう。私のせいではありません。

このブログは多くの人の心を救っているのであり、感謝されこそすれ、恨まれる筋合いのものではないのです。

ここに書いた通りのことを行えばちゃんと奇跡は起きるのです。(それを証明した人は私以外でもたくさんいます)

奇跡が起こせるはずのブログに書いてある通りのことをせず、それで悪いことが起きて、それを私のせいにされても、それは(自分たちの智慧が足りないばかりの)逆恨み以外の何ものでもないのです。(智慧が足りないからやろうとしないのです。〔智慧が足りないからこの教えの大事さが分からないのです〕)

だからよけい悪いことが起きてくるのです。ただでさえ悪いことをしているうえに(この教えに逆らってです)悪いことを重ねているからです。(逆恨みして嫌がらせをしているからです)

このブログは小さな子供から(それこそ小学生くらいから見ていますね)年寄りまで広い範囲の人が読んでいるのです。

では、それだけ多くの人の心を私は救っているということになります。(正確には救い続けているということですね。いまだブログを続けているのですから)それなのに、そのような人々が感謝一つしない、それではそのような(感謝もしない)人々にいいことが起きるはずがないのです。

自分の行いが間違っているからです。心を救ってもらったのなら、少しくらいの報恩の行為は当然しないといけないからです。(報恩の行為があって初めて感謝したといえるのですから)

それくらいのことはしないといけないのです。こちらはこちらで人々の心を救うための努力はし続けているからです。

そこまで広い範囲の人々に読まれるためには、それだけの努力は(勉強は)していますし、そういう正しい努力をし続けているから、それだけの奇跡もまた起きてくるのです。(善因善果、悪因悪果)

何度もいいますが、私の周りに多くの奇跡が現れていることが、私が正しいことをしている証拠でありますし、また、それだけ多くの人々の心を救っている証拠でもあるのです。

それだけ多くの人の心を救っているから(それだけのよい行いをしているから)それだけ多くの奇跡も現れて来るのです。(それだけのよい行いが返って来るのです)

起きていることの大きな違いが、やっていることの大きな違いなのです。それを起きて来ることが教えているのです。

大きな間違いをしているのは自分たちなのです。(いつまで〔自分たちの悪い行いを棚にあげ〕悪いことを人のせいにして怒っているつもりですか?それでは悪いことしか起きないのです)

心が救われることの有り難さをもう少し理解されませんか?

その理解が深ければ深いほど、自分も救われていくからです。

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