9月 18 2017
人生の目的
予想通り(というか、予想以上に)台風の被害はひどいようです。
九州の大分では猛烈な雨となり河川の氾濫が相次ぎ、宮崎では突風で家が壊され、四国でも激しい雨が降って冠水や土砂崩れが相次ぎました。
この辺りも昨日は(雨はそれほどでもありませんでしたが)風が強かったです。(あちこちで木が倒れたらしいですから)
今日はこれからまだ北海道が(その台風十八号の影響で)大荒れの天気となる予報が出ています。
これ以上被害が出ないよう祈るばかりですね。
これほどの台風を呼び込んでおいて(本当はこの台風は中国の方に行くはずであったからです)まったく無反省な人たちが相変わらず多いんですが(今日も朝からバシバシやっています。どこかの会社が休みの時はどこかのマンションの連中がじゃましてくるというのですから、この辺りの人たちは本当に救われません)その無反省といえばです。
政治の世界も無反省な人たちが多いようです。
不倫やら暴言やら吐いている人たちはもちろんですが、そればかりでなく、なんとこの時期に総理が衆議院を解散する意向を固め、解散総選挙を行う気であるそうですね。
このような時期に解散総選挙を行うって、するだけの大義名分はあるのでしょうか?
それだけの意義があるのなら、それは行えばよいのでしょうが(いつ北朝鮮がミサイルを撃つかもしれないこの時期でもです)それもなくて、ただ野党がバタバタして自民の受け皿もない、このような時期だから行うような火事場泥棒的解散であるならば、形的には自民が勝つかもしれませんが、それは形だけのもので人心は離れていきます。
後で困るのは自民党(総理)ということにもなりかねませんが、それでもよろしいのでしょうか?(こういうのもまた因果応報ですから)
何か最近は、日本のためとか、国民のためとか、いっているだけで、本当にそうなのか?と思えるようなことが多々あります。
政治家の方々は、どのような心でいなくてはいけないのか(特別、政治家の方々だけではなく指導者の方々はということですが)ちょっと、園頭先生のご著書から書いておきましょう。
正法誌の1980年五月号より抜粋します。
<人生の目的は霊を磨くことにある
政治も経済も教育も芸術も科学も、すべて霊を磨くための手段である。政治は人間が霊を磨くための環境を整えるものであり、経済は霊を磨く土台である肉体を維持するためのものであり、教育は人間生活に必要な知識と教養を得るためであり、芸術は美の表現を通じて霊を磨くことを目的としたものであり、科学は心と物質の法則の探求とその活用のためであり、それらが相まって、人間が霊を磨く環境を整えるための手段である。
政治をすることが目的ではない。政治はあくまで手段である。いい政治家とはそこに存在する人間が安心して霊を磨くことが出来るように社会の秩序を整えるものであって、謀略をこととしていかに総理大臣や大臣になったとしても、心が乱れ執着に満たされていたとしたらその人の人生は落第である。いかに経済的に多くの財産を得たとしても心がきれいでなく、その人が財を得るために多くの人を犠牲にしたとしたらその人生は失敗である。教育によって人間が混乱を起こすような思想を教育して霊を堕落させたとしたらその教育者は犯罪者である。芸術家として名をなしたとしても金や名声に執着したらその芸術作品はなんらの価値もない。科学が殺人に利用されたらおしまいである。
世界の混乱は、人生の目的が霊を磨くことにあることを忘れて、霊を磨くための手段であるべき政治そのもの、経済そのものなどを目的としてしまったところにある。人生の目的は霊の向上にあるのである。
私の師、高橋信次先生は「いうこととやることが違う人を信用してはならない」とよくいわれていた。世の指導者たちはこの言葉をよく考えてほしい。>
以上のように園頭先生は書かれています。
霊の向上(心の向上)を目的としている手段(政治、経済、教育、芸術、科学など)が目的となって、そこにしか目が行かず、執着の塊となっている人をよく見ます。
手段と目的を間違えてはならないのです。
そうして「いうこととやることが違う人を信用してはならない」と高橋先生も園頭先生もよくいわれていました。
しかし、そのいうこととやることが違う人を最近はテレビなどでたくさん見ます。(嘘をついている人たちもこの部類でしょう)
そういう人たちを信用してはならないし、また、そういう人たちのようにだけはなりたくはありませんよね。(苦笑)
このような人にならないためにも、私たちは常に反省と努力を忘れてはならないのです。
霊の向上(心の向上)が人生の目的であるのです。
それを間違えてはならないのです。
(だから霊が堕落すようなことを行ってはならないということです)



人目の訪問者です。

今回の内容も非常に勉強になりました。年代的に定年の壁が目の前にちらつき始めている時に何の為に働くのか?そう考えることが多くなっているのです。定年まで指折り数えるまでになって何で今更技術の向上を目指そうか、第一線級の処遇を望むことができようか?20代30代40代と各節目に相応の疑問が起きて思いを巡らせ来ましたが心を意識したのは初めての気がします。ブログとの縁があり今日を迎えたこと。これも神のお導きと思い真摯に受け止めていこうと思います。
頑張ってください。ブログの中にも書きましたが、手段と目的を間違えてはならないのです。