4月 07 2010
絹の心②
同じく「正法と人生の原点」から抜粋します。
<そのすなおなおっとりした、やさしい妻は早く死んでしまった。その夫はあまりにも思い出が深く、一生独身で通すつもりであったが、年とともに会社での地位も上がると、独身でいられなくなって二度目の妻を迎えた。その人はやはり名門の出で、昔の殿様のお姫様であって、料理から裁縫から社交まで、あらゆる点で、できないことは何一つないという、実にすぐれた賢妻であった。天地が逆さまになっても、夫にご飯だけの弁当を持たしてやるというようなへまはしないという実によく気のつく人であった。
その二度目の妻を迎えたその人が、森田たまさんの所に来ていうには、
「前の妻は、絹のようなあたたかさを通わせてくれるやさしい妻でした。やることなすことへまだらけで、なんにもできない妻でしたが、そのたびに『すみません』『ごめんなさい』と、自分の失敗をすなおに認めて謝ってくれるやさしい妻でした。
しかし、それに反して二度目の今度の妻は、なんにもできないことはないというすばらしい妻ですが、前の妻が絹のような心を持っていてくれたのに比べて、今度の妻はズックの袋ですよ」と。
あなたは夫にとって、絹のようなあたたかさを通わせるやさしい思いやりのある妻なのか、それともズックみたいなごわごわした、がさがさした荒っぽい、ひとりよがりの妻なのではないのか。どのような妻であることがあなた自身にとって幸せなのか。よく考えてみられることである。
だから森田たまさんは、いわれているのである。
「気性の勝った、どんな落ち度もない女というものは、他人からはほめられるかわからないが、夫の愛情は、そういう女からはうすれてゆくものであるらしい」と。
そうして最後にこういっていられる。
「七十になろうと、八十になろうと、女というものがどういう存在であるべきかを忘れないでいる人の心には、羽二重のようなすべすべした、きめの細かな思いやりが潜んでいるのであって、お弁当にご飯ばかりを持たせた新妻の、あのおっとりとした、すなおな気持ちが一生つづいているようであって欲しい。それは、人の中へしゃしゃり出て、なんでも牛耳るという社交婦人ではなく、といって家庭の中で、子供の勉強を励ます教育ママでもなく、格別内助の功のある良妻でもなく、ただいつも涙もろく、人のあわれな話を身に沁みて聞くという普通のやさしい女、私はその心を絹の心と思うのである」>
最近は仕事のよくできる女性は増えましたが、園頭先生の本の中に書かれてある“絹の心”を持つ女性はどのくらいいるのでしょう。私の思い違いかもしれませんが、あまりいないように感じます。
仕事がそれほどできなくても、女の素直で優しい心が男を浄化し、ひいては殺伐とした世の中をも浄化していきます。女が愛の心を忘れ、男に逆らいきつい態度をとれば、不調和な殺伐とした世の中が、まだまだ続くことになります。女性の深い愛は神に通じます。
“絹の心”をもつ女性が、増えていってくれることを願ってやみません。



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