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10月 08 2017

恩は恩で返す

11:04 AM ブログ

しかしまあ、あちこちで皆さんずいぶん怒っているようですね。(ほんと段々怒っている人が増えます)

昨日でもあるところを通るともうガンガンやってくるのです。

あんまりうるさかったので祈ったりなんかしていたんですが、その嫌がらせを全然やめようとしません。(相当怒っています)

それで私が「お前ら、俺のブログを散々見ているくせに感謝もせずに、嫌がらせしかしないくせに悪いことが起きると俺のせいなのか。じゃあ、お前らのそういう態度は間違っていないのか」というと、急に静かになりました。

小さな音でかすかに音を立てているようです。(ガンガンガンガンがカンカンカンカンになりました。〔苦笑〕)

「お前ら俺に神のことや心のことを散々教えてもらっていながら、まったく感謝せず嫌がらせしかしていないんだぞ。そんな態度では俺が祈ろうが祈るまいが遅かれ早かれ癌になるだろ。何で自分たちのそういう態度を無視して悪いことをみんな俺のせいにしてんだよ」と続けていうと、先ほどまでの勢いはどこへやら、もう嫌がらせをしているのかしていないのか分からないほどでした。

この連中はこの程度のものなのです。

自分たちの行いはまったく棚に上げ、悪いことが起きたことだけを問題にして、それを全部私のせいにして「皆お前が悪い」と怒っているのです。

本当に勝手なものです。ここで散々自分たちの行いを振り返れと書いているにもかかわらず(その連中もこのブログは読んでいるくせに)まったくそれはせずにいて、自分たちに起きた悪いことだけを私のせいにして私を見かけると烈火のごとく怒る。

本当に自分本位です。周りのことが(正確にいえば自分のことが)まるで見えていません。

では、自分たちは間違ったことをしていないのでしょうか?

とんでもありません。間違いも間違い、その怒っている人たちは大間違いをしているのです。だから、それだけ悪いことが起きているのです。

その自分たちの(行いの)間違いはまったく考えず、人のことばかりいっている、この辺りはそのような人たちばかりのです。

だから、災いが止まらないのです。

だいたいこの辺りの人たちは、みな私のブログを読んでいながら(そのことは一切いおうとせず)平気で私に嫌がらせをしていた人たちばかりなのです。

結局それは自分の行いは考えずに、人のことばかりいっているということになりますから、この辺りの人たちは、そういう人ばかりといってもさほど間違ってはいないわけです。

そうでない人もいるのであれば(自分の行いをしっかり考え、そうして私のやっていることもしっかり考える)私に感謝して布施する人もいると思うからです。

しかし、そういう人が一人もいない、それは即ち自分の行いはまったく考えようとせず、人の悪いところばかりいっている、そういう自分本位な人ばかりであるといっても過言ではないのです。

では、そういう人たちが一体どういう末路を辿るのか?

そのような自分本位の典型が固まっている、どこかの会社の連中を例にとって書いてみましょう。

この連中は、私がちょくちょくここに書いているように、私が書いているブログ(パソコン)の音がうるさいと烈火のごとく怒り嫌がらせをして来るわけです。

でかい音を立て続け、少なくとも私がこのパソコンの前に座っている間は、この連中がその嫌がらせをやめることはありません。(誰か彼かは何か音を立ててきます。〔大小、様々なです〕)つまり私がパソコンの前に座ると静かな時間を与えようとせず、ずっと嫌がらせをし続けているわけです。(ほんと苛酷な環境です)

そういう(悪い)ことをこの連中は、もう何年にも渡りし続けているのですが、しかし、私にでかい音を立て続け嫌がらせをし続けているということは、その嫌がらせをしている音は、私だけではなく、この近所の人たちにもきこえているということになります。

この連中が何か音を立てるのなら、その音は嫌でも多くの人の耳に届くからです。

では、この連中が私に嫌がらせをしているということは、それは同時に、私の周りの人たちにまで嫌がらせをしているということになるのであり、つまりそれは多くの人に不幸を与えているということになるのです。

では、その多くの人に与えている不幸はどこに行くのでしょうか?

もうそれは何度も書いていますが、全部自分たちに返ってきます。

しかもそれだけ多くの人に何年にも渡り不幸を与え続けているのですから、では、その多くの人に与えた不幸は一体どれくらいの量(量という単位なんですかね。ちょっとそこは分かりませんが)になるのか分からないほどなのです。(この連中は大きな音を立てる時もあれば小さな音を立てる時もあり、朝早くからやっている時もあれば夜遅くにやる時もあります。〔急にでかい音を立てますから〕だから、その不幸の量は誰にどれだけ与えているのか分からないくらいなのです)

では、次々にこの連中が癌になるのも仕方のない話ですし、その数が数百人という話もまんざら嘘ではないということになります。

この連中は、それくらいの数の人くらいには(大きな)不幸を与えているからです。

大きな音を(小さな音も含めて)立て続けてです。

それだけの不幸を人に与えているのですから、その与えた不幸は必ず自分たちに返ってきます。

つまり因果応報ということです。

この連中は、自分たちがした通りのことが、自分たちに返ってきているだけであるのです。

善因善果、悪因悪果、その法則通りのことが起きているに過ぎないのです。

それにもかかわらず、この連中は、それを(自分たちがつくった罪を)みな私のせいにして怒りまくっているのですから、それではまた新たな罪をつくってしまうことになります。(自分の罪を人にかぶせるという、責任転嫁の罪です)

それで自分たちの罪がドンドン膨(ふく)れ上がり(日本の赤字国債と同じですね。〔苦笑〕)もう次から次に罪が返ってきている(癌になっている)という状況になっているのです。

しかし、これは神の呪いでもなければ、私が祈ってこの連中を癌にしているわけでもなく、ただ単に法則が作用しているに過ぎないのです。

自分たちがつくった罪が自分たちに返ってきているだけであるからです。

この辺りで起きている災いはこれとまったく同じなのです。この辺りの多くの人は、自分たちが心を救われていることを隠して私に嫌がらせをし続けていたのです。

当然その(恩を仇で返している)罪は大きいにもかかわらず、その自分たちの罪を一切認めようとせず、あまつさえその罪まで私にかぶせて怒って嫌がらせをし続けているのです。

これでは罪のダブルパンチであり、こういうことをし続けていては自分の罪はさらに重くなります。

だから、この辺り大人から子供まで癌になっているのです。それだけの罪を大人から子供までが自分でつくっているからです。

多くの人が恩を仇で返しているから、恐ろしい現象が止まらないのです。

では、何をすればその恐ろしい現象が止まるのかはすぐに分かるはずです。

何も難しく考えなくてもいいのです。恩を仇で返しているのがいけないのなら、恩は恩で返せばいいのです。

そうすれば恐ろしい現象は収まるからです。

では、そうしてください。

この辺りの人たちは大人から子供まで私のブログを読み(または噂をきいて)心が救われているのですから、そのことに対し(その恩に対し)子供は(小、中、高生くらいまでは)私の顔を見たら頭を下げるか、こんにちわくらいいって感謝の心を現せばいいのだし、大人は感謝の心で報恩の行為をすればいいのだし、そういう行いをするのであれば、恐ろしい現象は段々収まっていきます。

それが恩を恩で返すということであるからです。

それを誰もしようとしないから(恩を仇で返し続けているから)恐ろしい現象が起き続けているだけなのであり、その自分の行いを少し変えれば、この現象はすぐに止まるのです。

単にこの現象は法則通りのことが起きているに過ぎないからです。

だから不幸を起したくないのであれば、恩は恩で返す、その(人として)当たり前のことをすればよいだけの話なのです。

それをいつまでもしようとしないというのは自由なのですが、しかし、法則は誰にでも公平に作用します。(えこひいきはありません。どこかの政治家のようなです。〔苦笑〕)

その法則をいつまでも理解しようとしなければ自分が不幸になるだけなのです。

それでも頑なに「お前が悪い」を通すのですか?

それはあまりに愚かな行為なのです。それでは必ず不幸になるからです。

(必ずです。法則は必ず作用するからです)

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