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10月 12 2017

逆恨み

10:47 AM ブログ

相変わらず朝から、引くほど怒っているところがあるようですが(もちろんどこかの会社なんですが)この辺りの人たちは毎日のように怒って誰か彼か私に嫌がらせをしてきます。(どこかの会社以外でもです)

しかし、そのような人たち(会社の連中)は、私に自分たちの悪いところを指摘されると、とたんに静かになる人も多いのです。(どこかの会社のように何をいってもきかないところもありますが)

昨日もそうでした。夕方、家の近くまで帰って来ると、わざとらしくガチャガチャ音を立てている会社が(二社くらい)あったのですが「何で人のブログを読んで心が救われているくせに、そんな嫌がらせばかりして来るんだよ。そんなことをしていて悪いことが止まるわけがないだろう」といったとたんに静かになりました。

この人たちは何で自分たちの行いを反省しないのでしょう。(何度いってもです。ほんと不思議ですね)その自分たちの行いさえ変えれば災いは止まるのにです。

何か起きたからと逆恨みして(自分たちのそのような行いを棚に上げて)私に嫌がらせばかりしていたら、もっと悪いことが起きてきます。

くだらない噂を真に受け、どれだけ悪いことを私のせいにしたところで、その悪いことは、自分たちの行いが自分たちに返ってきているだけなのですから、悪いことが起きたら、まず自分たちの行いを振り返り、その行いを正しいものにしないといけないのです。

その行いさえ変えれば、その起きている悪いことは(必ず)止まるからです。

実際、この辺りの人たちに次々に悪いことが起きているのは、起きている人たちの行いが悪いからです。

その行いを直さない限り悪いことは止まらないのです。

起きている悪いことをどれだけ私のせいにしてもダメなのです。

この辺りで悪いことが起きているすべての人(家や会社)は、私に感謝もせず嫌がらせをしているからです。

嫌がらせまでしていなくても(それは単に私と顔をあわす機会がないからであわせればやるという人はいくらでいるでしょう)悪口をいっている人は多いと思います。(その悪口でもダメなのです。園頭先生の悪口を散々いっていた未来の連中にも癌になる人がたくさん出たからです。法を説いている人に悪いことはご法度なのです)

しかし、そのような人たちはみな私に心が救われた人たちばかりなのです。

心が救われた者に(法を説いている者に)そのような態度(嫌がらせや悪口)は論外なのであり、心が救われた恩ある者に、そういう悪いことしかしていないこの辺りの人たちはよく考えてみればです。

いいことが起きるわけがないのです。

最初から(法を説いている者に)恩知らずな行いを(悪いとも思わず)多くの人がし続けているからです。

だから、自分たちの行いをよく振り返り、行いを正さないといけないといっているのです。(いつまでも的外れな逆恨みばかりしているのではなくです)

その行いさえ正せば、起きている悪いことは必ず止まるからです。それどころかいくらでもよいことが起きて来るからです。

法を説いている者によいことをするなら、逆に奇跡が起きるからです。

そこを誰も直さないから(悪いことが起きると逆恨みして感情的に私が悪いと決めつけ嫌がらせばかりして来るから)いつまでたっても自分たちにいいことが起きてこないのです。

最初から自分たちの考えが間違っていたのです。自分たちが間違えているから自分たちに悪いことが起きているのです。

その自分たちの間違いを自分たちが理解していないから、私を逆恨みしている人が多いのです。

そのいい例が、この辺りでもいまだ神などいないといっている子供も多いのです。(大人はずいぶん変わってきましたが、子供はまだ神などいないという子が多いです)しかし(正法の世に時代が変わっているにもかかわらず)いつまでもそのような考えでいては当然、罰は当たるのです。

子供とはいえ、それだけ不遜な考えもないからです。

神につくられた我々自身が神を否定しているのですから、これだけ不遜な考えもないわけです。

だから、そういう不遜な考えの子供が間違った噂を信じて私に嫌がらせなどしてきた場合、一発で罰が当たるのです。

その罰を多くの子供は、それは私が(病気に)したと思い込んでいるのです。

これは大人も同じで、大人は子供と違い無神論以外でも多くの毒をすでに心の中にためているのです。その多くの毒を持った心の人が私に嫌がらせをしてきた場合、これもまた一発で罰が当たるのです。

その私に(法を説いている人に)対する嫌がらせがトリガーとなってです。

それを、そのような罰が当たった人たちは(自分の心と行いの間違いは一切考えず)すべて私のせいにしているということです。

しかし、そのような心の人たちは(大人であろうと子供であろうと)遅かれ早かれ何か悪いことが起きるのです。(そういう心が災いを呼んでです。天変地変や事件や事故、あるいは病気などで体を悪くしたり死んだりする人は多いと思いますが、それがこのような心の人たちなのです)

そのような間違った心を、その人自身が持っているからです。

それに自分が気づいていないだけで、悪いことが起きている人はすべて自分自身(の心と行い)に問題があるのです。(その悪いことでも、私に嫌がらせさえしなければそんなに早くその人に現われなかったのです。しかし、そのような人たちは心を救われている私に嫌がらせをするという悪いことを実践してしまった。その結果、もっと後で起きるはずであった悪いことがすぐに起きてしまった。そんな〔恩を仇で返す〕悪いことを自分が行ってしまったからです。自分の行いが悪かったのです)

実際そうではないですか。この辺りの(大人さえ)私に自分たちの悪いところを指摘されてはじめて自分の悪い行いに気づく人はたくさんいるのです。

では、自分の悪いところに気づいていない人たちなど(大人、子供あわせて)この辺りだけでもごまんといるということになります。

多くの人は、ただ、自分の悪いところに自分で気づいていないだけなのです。それで私を逆恨みしている人がこの辺りにはたくさんいるのですが、自分の行いが悪かったのです。

だから悪いことが自分たちに起きているのです。

逆恨みをどれだけ続けてもよいことは起きてきません。逆恨みしている自分たちが悪いからです。

すべて(すべてです)心を救われていながら、それに一切感謝しなかった自分たちが悪いのです。

そこが始まりなのです。

最初にボタンを掛違えてしまうと最後までおかしくなりますが、しかし、最初に掛違えたボタンを直しさえすれば、その掛違いは段々直っていきます。

それをされませんか。それをしない限り、起きてくる現象は悪くはなってもよくはならないからです。

2コメント

2 コメント to “逆恨み”

  1. ウナっしー2017/10/12 at 12:46 PM

    私は見えなくとも、大変なのは共にある方々でしょうね。縁とは言え、例えば仕事ですと見えていないことでポカもあろうし、二度手間となる作業も発生するのです。事実そうなると労力は倍になるのですから余程心の出来た人でないとストレスではないでしょうか。しかし私はそうしたことは関係なく、共に縁ある働く仲間としての神の子としての幸せの祈りを日々実践しているので負い目もなくただただ感謝つきるのです。本当に法と縁があったことに感謝します。しかし人生はまだこれからですしお役目も果たしておらないこともあります。色々な側面で感謝しても足りないことが多いしまだまだ反省しながら日々精進して参ります。

  2. gtskokor2017/10/12 at 1:40 PM

    少々の不自由は周りも愛を出す勉強になりますので、そこはあまり気にされない方がいいと思いますが、ただウナッシーさんもいわれているように感謝の心だけは忘れてはならないでしょう。
    昨日も書きましたが、どこが悪くても心の勉強は出来ます。
    ウナッシーさんが心の目を開き、多くの人々を指導できますよう、頑張ってください。

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