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8月 17 2011

ヤハウェ②

10:32 AM ブログ

高橋信次先生は、昭和四十三年十一月二十三日に大悟され、昭和五十一年六月二十五日に昇天されるまでの八年の間、法を説かれ全国を周られます。

多くの人々の過去世を思い出させ(永遠の生命、輪廻転生の証明)多くの病人を癒し、様々な奇跡を起こされます。その間どれだけ多くの人が救われ法を知ったことでしょう。本来なら、ここから日本は元より世界中に法は拡まるはずでした。(それが神の計画であったからです)

ところが、高橋先生が昇天されると、高橋先生の法を理解しているはずであった多くの過去世からの弟子たちが、高橋先生を否定し、その法までも否定してしまったのです。

このままでは高橋先生の説かれた法がなくなり、迷える人々をたくさん出してしまう、と危惧された園頭先生は、高橋先生の説かれた法を自分が正しく継ぐ、と宣言され一人立たれました。

高橋先生の弟子たちの中で“宇宙即我”の境地に到達されているのは、園頭先生がお一人であり、その正当性からいっても、園頭先生が高橋先生の法を受け継ぐのが筋でした。ところが高橋先生の多くの弟子たちは、法の正当性より、高橋先生の身内(娘)であるという理由だけで、園頭先生を高橋先生の後継者とは認めず、高橋先生の娘を高橋先生の後継者としてしまったのです。

園頭先生についていく人はほとんどいませんでした。しかし、このような状況を見られた園頭先生は、様々な奇跡を起こすより、まず、高橋先生の説かれた法を、多くの人に理解してもらうことが一番大事なことであると思われ、霊道現象などの奇跡を封印し法を説くことだけに専念し、園頭先生はお一人で全国を二十年近く周られます。(唯一行われた奇跡が癒しの奇跡でありました。園頭先生が光を入れられることにより、どれだけ多くの方々の怪我や病が癒されたことか、それはまた別の機会にしっかり書いておきたいと思っています)

ところが、不思議なことは行わず(と言っても園頭先生の話を聞かれ、心を変えられた方々には多くの奇跡が起きたのですが)法だけをひたすら説いて周られる園頭先生にはほとんどの人が興味を示さず、法は思うように拡がっていきませんでした。

高橋先生が多くの奇跡を起こし法を説かれても、高橋先生の過去世や奇跡の方ばかりに目をやり、肝心の法を理解しようとせず、園頭先生がそれではいけないと、今度は重点的に法を説けば多くの人は法に興味を示しません。

奇跡を起こしてもダメ、法を重点的に説いてもダメ、では、一体どうすれば世の中に法は伝わるのでしょうか?本当の神の教えを世の多くの人々に伝えるにはどうすればいいのでしょうか?

如来が優しく法を説き多くの奇跡を起こされようと、その如来の肉体がなくなれば(この世を去れば)多くの人はまた元の木阿弥で現実主義者となり、神など存在しない、奇跡など起きるわけがない、自分がよければそれでよい、と同じことを繰り返しているのです。

このような人々に法を理解させるにはどうすればいいのでしょうか?

今回、私は、ずいぶんきついことをこのブログに書き、また、それを行いました。

最近の私のブログを読んで、脅しているのではないか、と思われた方も多いと思います。しかし、別に脅しているわけではありません。ここに書いたことは先になれば必ず実現することなのですから、脅しというより予言の要素の方が強いのではないでしょうか。(…何か余計脅しているように書いていますが)

しかし残念ではありますが、このような部分も含め皆神の心の一部であり、神は優しいばかりではないのです。

例えば皆さんに子供がいたとします。その皆さんの子供が自分自身の身の回りのことだけやり、あとは何もしなかったならば皆さんはどのようにされるでしょうか?子供が小さな時はそれでもいいでしょう。むしろ自分の身の回りのことがよくできるねとほめられもするでしょう。しかし、その子が成長し大人になっても自分の身の回りのことだけしかしなかったならば、皆さんはほっておかれるでしょうか?

当然それではいけないと注意もし、それでも自分のことだけしかしないのであれば、叱りつけたりもするでしょう。神も同じなのです。今、皆さんがしていることはこれと同じことなのです。いや人のこともやっている、と言われる人もいられるでしょうが(例えば今回の大震災のこととか)しかし、それは人として当たり前のことをしているだけで、肝心要の神の手伝いをしていないのです。

日本に生まれた人々は(如来が生まれられているのですから)如来が説かれた神の心を知り、それを世界に拡げる、ということも当然しなければならないのです。(もちろんこれが一番大事な目的です)ところが現在の人々の多くはそれを一切しようとせず、自分のことばかりしているのです。

如来が日本に生まれられたのだから、それではいけない、とどれだけ口で言っても聞こうとしないのです。いつまでたってもそれが分からず、それをやろうとしなければ、一番大事なことを強引に分からせることもあるのです。

でなければ何でモーゼがあんな“過ぎ越しの祭り”のような奇跡を起こしますか。

偽の教えと本物の教えをゴッチャにして、それを聞こうが聞くまいが自分たちの勝手だ、と言われていては本物の神の教えは永遠に拡がらないのです。(高橋先生、園頭先生がいられる時まではそれが許されました。しかし、現在はもう違うのです。だから、これほどの現象が日本に次々に起きているのです)

この世で本物の教えと出会えた幸運は計り知れないのであり、心の奥ではそのことを知っているのであり、その自分自身の心の奥の声を、人々は聴かなければならないのです。一番やらなければならないことをやろうとせず、それをしてないことを棚に上げ、少しきつい文章を書けば脅しだ何だと、この世の物差しで計って喋っていること自体、浅薄なことであり本物の教えをなめているのです。本当の神の教えの奥深さ、ありがたさをあまりに知らなすぎるのです。

神の心を知るとは、それほどきびしく、重く、尊いことなのです。

神は愛と慈悲の塊とはいえ、その神の愛や慈悲とは、正しいものは正しいと大きな愛を与えられ、間違っているものは間違いである、ときびしい気づき与えられるのです。神の愛や慈悲は、ただ、かわいいかわいいという盲目的な愛や慈悲ではなく、正しさと間違いがはっきりと分かる、きびしく、激しい愛と慈悲なのであり、そのような体験を通して私たちは心が向上していくように仕組まれています。

神はただの愛と慈悲の塊の全知全能の存在なのではなく、間違ったことをし続けていればきびしく教えられる存在であり、神を思うとは、神の愛を知るだけでなく、同時にその恐ろしさも知らねばならないのです。

私たちが恐れる存在は、唯一、神のみであり、その神のすべてを私たちは知らなければならないのであって、そのような意味もあり、仮に脅しているのではないか、と思えるようなことでも、それは神の心を知る一つの材料であって、そのようなことを通してまた私たちは神の愛を知らなくてはならないし、心を広く大きくしていかなくてはならないのです。

神とは愛と慈悲の塊の存在であり、唯一私たちが恐れなければならない存在でもあるのです。

2コメント

2 コメント to “ヤハウェ②”

  1. 谷加奈子2011/08/17 at 11:16 PM

    こんばんは。高橋先生のお弟子さんや、その教えを受けた方々は何故 皆さん沈黙して平気なのでしょうか?私は 高橋先生の教えを伝えて下さる方を ずっと探していました。私も本でしか 知らないので 大きな事はいえませんが 努力します。こういう状況も 今始めて知り、驚いています。

  2. gtskokor2011/08/18 at 9:48 AM

    高橋先生の弟子だった方や教えを聞いた人たちは、別に沈黙しているわけではありません。それぞれ高橋先生の教えを伝えている人たちはたくさんいます。ただ、それが間違ったことを伝えている、ということに過ぎません。なぜ、間違ったことを伝えているのか、過去世からの修行をしっかりやってこなかったからです。中途半端な修行しかしてこなかったため(今生も含めてですが)園頭先生以外の人は高橋先生の教えを知っても、正しく教えを伝える力がないのです。そのため、高橋先生の教えは多くの人たちに歪められ園頭先生亡き現在、その正しい法がなくなりかけているのです。(だから日本に今のような様々な現象が出ているのです)すでに時は来ています。誰が正しく高橋先生の教えを伝えているのか、それをしっかり見極め、自分自身で高橋先生の教えをしっかり勉強する、その気持ちが一番大切であると思います。(高橋先生の教えを伝えている人の中で、私のような現象が出ている人はいません。このような現象一つとっても、誰が高橋先生の教えを正しく伝えているか、分かられると思います)

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