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11月 19 2017

天罰を食らっている人たちへ

10:38 AM ブログ

どこかの会社の連中があまりにひどそうなので書いておきます。(あまりに悪いことが起きすぎて、烈火のごとく怒っていることと、思いっきり引いていることを、同時にやっています。この連中、本当に器用です)

この辺りは、そんなどこかの会社だけではなく天罰を食らっている人がずいぶん多そうです。だから、そのような人たちのためにも書いておくのですが、前回も書きましたが、私に嫌がらせをして病気になった人は、その私によいことをすれば、今度はその病気は治るということになります。(理論的にはそうですよね。私に悪いことをして病気になったのなら、私によいことをすればその病気は治るということになります)

もし、私のせいで病気になったという人がいるのなら(なんかずいぶんいるようですが)試しに私によいことをしてみてはどうでしょう。

そうすれば、その病気は治るかもしれないからです。

庄内川の工事の連中もそうなんでしょう。私に一方的に嫌がらせなどするから、病人が多発して(癌かどうかそこまでは分かりませんが)工事が出来なくなったんではないでしょうか。

それで工事を休止したのであろうし、その後また工事は始めたのですが作業員も少なく私に対する態度も変わったのです。

まあ、これは私の推測ですが、しかし、そういう人がこの辺りにはたくさんいるはずです。それは次のようなことからでも分かるのです。(ちょっと私に普段何が起きているのか書いておきます)

この辺りはよくあちこちで大工が家をつくっているのですが(最近はほんと増えました。家をつくったり改築したりするところがです…いいですね。お金があって。ほんとうらやましいです。〔笑〕)私がそういう家の近くを通るとまず大工連中がガンガンやってくるのです。(やってこないところはないですね。皆、必ずやってきます)

ところがそれから何日かして、同じところを通るとガンガンやってきたところは皆無といってもいいくらいないのです。

少しくらいは無理してやって来るところもありますが、二回目に通って同じようにガンガンやって来るところは百パーセントありません。

なぜか知りませんが、一度目と二度目では大工たちの態度が変わるからです。

不思議なほど変わるのですが、どうも私が歩いている時に、そういう嫌がらせをしてきた大工たちには後で必ず何か起きるようで、それで次に通った時には、大工たちもそのような嫌がらせをやらなくなるようなのです。

もう何度も(何十度ですね。数を数えていないのではっきり分かりませんが)そういうことが起きています。だからその連中に何か起きたことがすぐに分かるのです。

私は、その大工連中を祈っているわけでもなんでもないのです。

それなのに、とにかく私に嫌がらせをして来る大工たちに次々に災いが起きているようで、それでどの大工たちも二回目に私が通るとおとなしくなるようなのです。(これは本当の話です。この辺りで家を建てたことがある大工にきいてみてください。まず何か起きているはずだからです。私に嫌がらせをした大工たちにはです)

だから、一番分かりやすいのがこの大工連中で、他はマァ、会社の連中とか学生連中ですかね。みな、二度目、三度目は態度がずいぶん違うからです。(ただ同じところにいる連中はよく態度を変えるので分かりにくいのです。しかし、大工連中は一時、その場所にいて仕事をしているだけです。だから、一度、何か起きるともう私に何もしてこなくなる者が多くて分かりやすいのです)

こういうことが私の周りには数え切れないくらい起きているのです。(もう何年にも渡ってです)

だから、この辺りで天罰を食らっている人はたくさんいるはずだと書いているのです。それが体験として分かるからです。

そういうのは全部天罰です。いちいちそういう人たちを私は祈らないからです。(だって数が多すぎて、そういう人たち全員を祈れるものではないですから)

しかし、祈った人も祈らない人も、とにかく私にちょっかいをかけてきた人の多くに災いが起きるようなのです。(だから皆、態度が変わるのです。何も起きていないのに態度が変わるわけがありません)

では、それは天罰でしょう。私の祈りで何か起きているのなら、私が祈っていない人にまで何か起きることはないからです。

しかし、祈りにかかわりなく私に嫌がらせをしている人たちに災いが起きているのです。

ではそれは確実に天罰です。

だから、この辺り私に関するだけでも多くの天罰がくだっているようなのですが、それ以外でも悪いことが起きているようなのです。(サイレンがよくしていたことなど、その典型ですが、だからそこらじゅうの人が怒っているのです。子供も含めてです)

しかし、私にかかわった人に何か起きたというのなら、それは私のせいといわれても仕方ありませんが、私が何もかかわっていないのに(顔も見たことなければ祈ったこともない人に)悪いことが起きて、それまで私のせいにされてもこちらも困ります。

そういう人は、自分たちに何か問題があったのではないですか?病気は誰でもするからです。(それは世界各国共通です。この辺りで病気になった人たち全員を私のせいにされても、それはいくらなんでもやりすぎでしょう。そんなことをいっている人たちを被害妄想というのです)

何でも私のせいにしている暇があるなら、そういう人たちの心はどうであったのか。

まずそれを反省してみることです。そのような心に病気の原因は隠されているからです。(病気は気の病ですから。自分たちが勝手にストレスをためたり頑固すぎて、それで癌になっているのに、そういうのまで私のせいにされてはかないませんから)

または、例えばそのような人たちが私のブログを読み、反発ばかりしていたとします。(文句ばかりいう人はどこでもいますから。〔苦笑〕)

そういう人はたしかに病気になります。本当の神の教えに対し文句ばかりをいうなら、それもまた罰は当たるからです。(それは間違いであるという気づきの現象は現れるからです)

だから、このブログをずっと読んでいるのなら、ボケッとただ読んでいるだけでも、それはかまいませんが(苦笑)少なくとも反発はしない方がいいですね。反発などすれば、それは神の心に逆らっているということになり、よい事は起きてこないからです。(だいたい反発するくらいなら読まなきゃいいんだし)

まあ、とにかくです。法を説いている者によいことをしている人には奇跡が起きますが、その法をきかされているのに、何もしようとしなかったり、嫌がらせしたり、反発などしている人にはいいことは起きないということです。

それは起きている現象ではっきりしているのです。

そのような自分たちの行いを棚に上げ、起きてくる悪いことをいくら私のせいにされても、それは自分の行いが悪いからそうなっているのであって、私のせいではありません。

悪いことが起きるのが嫌なら(それは誰でも嫌なんでしょうが)自分の行いを正せばいいのです。(私のいうことに従うとかしてです)

ただ、この教えを無視すれば無視するだけ、逆らえば逆らうだけ、悪いことは起きてきます。

本当の神の教えを知ったのなら、その教えを勉強し実践するのが、この世に出てきた人の(神の子の人間としての)最低限の義務であるからです。(これは最低限のことですから)

その義務を果たさなければ(そういう人が多ければ多いほど)気づきの現象は激しく現れるのです。(いま現在、大変激しく現れています。その気づきの現象がです。最低限の義務さえ果たさない人がほとんどであるからです)

皆、お前のせいというのなら、では、その私のいうことをきくのなら悪いことは収まるでしょうし、お前のいうことなどきけるかというのなら、何が起きても人のせいになどしてはいけないのです。

すべて自己責任で自分の判断が悪かったと納得すべきなのです。

そのような人たちは、その私のいうことをきかないという判断を自分でしているからです。

しかし、多くの人は、自分でそのような判断をしておきながら何か悪いことが起きると、お前のせいでそうなったと、すぐに責任転嫁します。

それがいけないのです。そういうことをいうのであれば、最初から私のいうことをきいておけばよかったからです。

その私の意見をまるできこうとせず、悪いことが起きた時だけ、その悪いことを私のせいにするなど筋違いもいいとこです。

そういう筋の通らないことを多くの人がしているから悪いことが止まらないのです。

いい加減、この法を信じていただけないでしょうか?

この法を信じ行うなら、必ず、多くの奇跡が現れてくるからです。

(この辺りは、これだけ悪いことが〔天罰が〕現れているようなのですが…それでもまだ私に対する態度は変えないといわれるのでしょうか?しかし、そのような態度を続ければ続けるだけ天罰はくだるのです。〔本当に皆さん、礼儀がなっていません。心を救われている者に嫌がらせしかしないというのですから。それでは天罰がくだって当然なのです〕)

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