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11月 24 2017

今の心が死後の世界を決める

11:04 AM ブログ

昨日は祝日でしたが、ちょこちょこやっている会社がありました。みな怒っていましたね。昨日のようなブログを書けば当然そうなるのでしょう。(笑)

私に詫びをいれ布施するしか救われる道はないと書いているからです。それだけは死んでも嫌だという人たちばかりであるからです。(笑)

しかし、それ以外ないのです。散々、嫌がらせをしたところなどほっといてもいずれ災いは現れるでしょうし、それに怒って嫌がらせを重ねれば重ねるだけよけい災いは現れてきます。(そういう行いが自分たちに返ってきているのですから)

そのことが長引けば長引くだけ災いはたくさん現れてくるのです。(それが現実です。どこかの会社などもう悲惨の一言です。〔所々で怒っているようですが、前と比べれば静かなものです〕何が起きても頑としてきかず嫌がらせをし続けていたところが急に静かになったのです。一体、何が起きているんでしょうか?)

では、早く反省した方がいいということになります。それが一番、罰が当たらない方法であるからです。

ここに書いていることに従うなら奇跡が起き、逆らうなら災いが起きる、そういうブログを読んでいるのです。

それに従うも従わないも自由ですが、災いが起きて怒るくらいなら、災いが起きない方法もここにはちゃんと書いているのですから、そちらを行えばいいのです。

そうすれば怒る理由もなくなるからです。

とにかくそのような災いは生きている時だけにとどまりません。そのままでは死んでからも起きるのです。(死んだ後の地獄でも〔怒りの心のまま死ぬのであれば死後は当然地獄に堕ちますから〕そのようなことが起きるのです。死後の世界はこの世の心のままの世界に行かなくてはいけないからです。いつ自分が病気になるのかとヒヤヒヤしながら生活し、本当にその恐ろしい病気になり死ぬことになれば、死後の生活も同じようにいつ自分が病気になるのかとヒヤヒヤしながら〔地獄で〕生活し、本当にその病気になり苦しんで死んでまたしばらくすると生き返り、またヒヤヒヤしながら生活し、また恐ろしい病気になって死んで、また生き返るという同じ生活を繰り返すのです。そのような生活が自分が悪かったと反省できるまで続くのです。この世と違い地獄は楽しみがまったくありません。怒りと恐怖の生活がずっと続くのです。そういう場所で自分が悪かったと反省できるのでしょうか?)

どれだけ怒ろうが、泣こうが、わめこうが、いま悪いことを私のせいにして怒り続けている人たちは、そのような未来しか待っていないのです。(奇跡が起き続けている私がいうのですから間違いありません。適当なことをいう者に奇跡は起きませんから)

それでも考えを変えず、今の自分の考えを押し通すのですか?

結構ですよ、それは本人の自由であるからです。しかし、今の考えのまま死ぬのなら大人子供に関係なく、多くの人が地獄に堕ちなければいけません。(もちろん人数も関係ありませんから)

地獄は苦しい世界です。(本当に苦しく恐ろしい世界です)それでもよろしいのですか?(誰であろうと死は必ずやってくるのです。だから、どれだけ若かろうが、忙しかろうが、この世のこともあの世ことも両方考えて行動しないといけないのです。死はいつやってくるか分からないからです。その時に後悔しても遅いからです)

昨日、私は久しぶりに荒子川公園まで行ってきました。

冬が近くなるともうあの辺り川は水鳥で一杯です。魚のさの字もありません。(皆もぐってしまってです。それはそれで少々寂しいです。〔笑〕)

半年振りくらいに、その水鳥たちを見たのですが、みな私を知っているようで、羽をバタバタさしたり、ピーピー鳴いたりしているのがところどころにいました。

その中でもやはりカモメは愛想がいいです。

私の近くまで飛んできたり川面でバシャバシャやっているのがたくさんいました。(カモメも嬉しそうでしたが、今年はそのカモメが少ないですね。昨日の荒子川公園も少なかったし〔去年、一昨年などよりです〕堀川なんてほとんど来ていません。そのせいで今年は堀川はいまだに魚が跳ねたり、川面近くまでたくさん魚が〔ボラですけどね〕上がってきたりしています。カモメが少ないので魚たちが喜んでいるようです。〔笑〕)

私にはこういう愛ある現象がどこに行っても起きてきます。ということは、私は死後の世界もそういう愛ある世界(もちろん天上界です)に行くということになります。

この法に従うなら、こういう愛ある奇跡が、そこかしこで起こり、それは死後の世界まで続くのです。(ただし、そのような心で死ぬ間際までいないといけませんが。だから、心変わりせずに死ぬまで法を実践できれば確実にその人は天上界に行けるということです…これがなかなか難しいんですけどね。いま現在ではほとんどの人たちが失敗しているからです。〔高橋先生や園頭先生の弟子たちなどです〕)

その荒子川公園で、帰り際にスカーフのような布を頭からかぶった女性二人とすれ違いましたが(いかにもイスラム教という感じの女性たちです。日本人ではありませんでした)その二人も私のことは知っているようで、私が近くまで来ると一人の女性がゴホゴホと咳き込むようなことをしていました。

それで私が「間違った信仰は平気で人に嫌がらせするんだな」というと、その女性はビクッとしたようでした。

それを見て私は立て続けに「正しい教えは人に嫌がらせなどしないんだ。日本にはその本当の神の教えがあるのだから、それを自分の国に帰ったら国の人に伝えておいてな。その教えは俺のブログを読めば、誰だって分かるのだから」といっておきました。

その女性二人は私のいうことを無視して行ってしまいましたが、自分の国に帰れば(どこの国の人か知りませんが)私のことは、その国の人たちに伝わるでしょう。そのような女性たちが当然しゃべるからです。(まあ、いいことはいわないでしょうが。〔笑〕)

日本にはたくさんの外国人が来ていますが(観光ばかりじゃなく出稼ぎ労働者などもです。すでに日本は移民大国ですから。〔苦笑〕)そういう人たちが、私の噂をきき、自国に帰って私のことを話すなら、法は黙っていても他国に伝わっていくのです。

最初は悪い噂でもよいのです。(悪名は無名に勝りますから。〔笑〕)いずれ正しいことは分かるからです。

しかし、本当の神の教えを知ったのなら、いつまでも間違った考えでいてはいけないのです。本当の神の教えを知り、いつまでも間違った考えのままでいれば、その人は本当に罰が当たるからです。

それをいつまでも理解せず(認めず)本当の罰が当たっている人が現在の日本にはたくさんいるのですが、しかし、どこかで、その間違いに、本当の事実に、気づくことになるのです。

そうしなければ、その民族は滅ぼされることになるからです。(神に逆らい続けるのなら滅ぼされるのが当たり前だからです)

それが早いか遅いかだけなのですが(ちょっと遅すぎの感はありますが)それにいつ気づくのですか?

しかし、日本の人々が気づこうが気づくまいが、この教えは着々と世界に拡がりつつあります。

この教えが世界に拡まり、世界の人々が正しくこの教えを理解するなら世界中で奇跡が起きることになるのです。

小さな考えはいい加減捨てませんか?

日本の人々が、この教えを実践し、世界に拡げるなら、本当の神の世が、世界に現れることになるのです。

それが実現するか否かは、いま法を知っている人たちの心次第なのです。

いま現在、法を知っている人たちのやる気次第で、この本当の神の教えはいち早く世界に拡がりもするし、なかなか拡がらないということにもなるのです。

この法が拡がれば拡がるだけ自分も周りも幸せになります。

今だけではなく、死後の世界まで救われていく、この教えを世界に拡げませんか?

それに協力するのなら、これほど徳となる行いもないからです。

(徳となる行いをたくさんするなら当然その人は死後、天上界に行きます。ただ、本当の神の教えが拡がれば間違ったことをすれば罰が当たります。それが怖いというのなら、そういう人は協力してくれなくて結構です。〔笑〕いいことも悪いこともして適当に生きられればそれでいいという人もいるからです。〔もちろんそういう人は死後の世界は地獄でしょう〕しかし、それでは向上していきません。自分の心の向上を目指したいのであれば協力すべきでしょう。〔法を実践するくらい心が向上することもないからです〕そうすれば自分の知らなかった本当の幸せも体験できることになるからです)

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