12月 09 2017
同じ現象
あんなブログを書いたのです。昨日はずいぶん怒っている人がいたんですが、怒るには怒っていても引きながら怒っている人が多かったですね。
もうそんなにいきり立って怒っては、危ないということを知っている人も多いからでしょう。(結局、同じなんですけどね。怒ることには変わりがないからです)
しかし、冗談ではなくずいぶん出ているのではないですか。癌になる人がです。
私は前に一度そういう経験をしています。だから分かるのです。(もう何度も書いていますがね。そのことは)
未来の時もそうでしたが、今回はその比ではありません。早く心を入れかえた方がいいでしょう。今回の場合(やっていることが)度がすぎている人が多いからです。(私の悪口程度ではすまないでしょう。もう私など陰でボロカスいわれ、そこらじゅうで嫌がらせを受けているのです。〔プラス無視です〕ここまでひどいことを法を説いている者にしてしまってはただではすまないでしょう)
では、凄まじい出方(罰の当たり方)をしていると想像できます。園頭先生の時でもずいぶん癌になる人が出ていたからです。
園頭先生の時は悪口をいっていただけです。(未来の連中はです。でもボロカスいっていましたけどね)しかし、今回は私の悪口だけではなく、それプラス嫌がらせプラス無視ですからね。(その嫌がらせにしても、音を立てられるだけではなくカンや石まで投げられたことがあります。そういうことをした人は本当に哀れです。何が起きているのか分からないからです)
していることも、している人たちも当時の未来とは規模が違います。それだけでも凄い数の罰の当たり方をするでしょう。(未来はその当時、二、三千人の会員しかいませんでしたから。その全員が園頭先生の悪口をいっていたわけではありませんでしたから。それでも未来の会員に癌になる人が続出したのです)
じゃあ出ているんでしょうね。癌になる人がです。法を説いている人に同じ(悪い)ことをしているんですから、同じことが起きるはずだからです。
逆のことをすれば(布施)逆のことが起きるのに(奇跡)そこは本当に残念です。しかし、どれだけいってもそれを直そうとはしないのですから、もう行くところまで行かないと分からないということになりますが、仮に癌になってもです。
その後、反省して私に布施などすれば、その癌が治るような(完全にです)奇跡も起きてくるんですが、そういう人もいません。
では、その癌が治ったという人もまたいずれどこかで再発することになるでしょう。反省しない限り、その罪は消えないからです。(法を説いている人に対する罪が消えないのなら、どこかでその罪が現象化した癌はまた現れますから)
しかし、そのような人たちの中で、そういう態度は間違っていた、心を救われているのに嫌がらせなどして本当に悪かった、と反省して私に布施などしてくれる人がいるのなら、その人の私に対する罪は消えます。
そうすれば、その人に癌が再発することはなくなるでしょう。その人のその罪が消えるのなら、その罪として現れている癌も現れることはないからです。
その後もその人の心が変わらなければ、今度は奇跡が現れるようになります。
どちらにしても、ここに書いた通りのことが起きるのです。(いい加減なことを書く者に奇跡は起きません。書いたことを信じた方がいいでしょう)ずいぶん違うと思うんですけどね。
法を説いている人に対する態度一つで起きてくることがです。
お前だけはどうしても許さないと(何ででしょうね?こちらは心を救っただけなのに)こうなったのは全部お前のせいなのだから、絶対に態度は変えないという人は仕方ないんですが、私は同じ経験を前にもしています。
そうして、その時の経験では、園頭先生の悪口を多くの人がいった結果、その多くの人たちに癌が現れたというものだったのです。
もし、同じ現象が現れているのなら、同じ悪いことをこの辺りの人たちがしているのではないですか?
だから、同じことが起きているのです。
経験をしている人と、まったくそういう経験をしていない人とでは、いっていることの正確さも違ってくるでしょう。
経験者のいうことをもう少し真剣にきかれてはどうですか。やはりその経験の差は大きいからです。
私もあの時は気持ち悪かったですからね。
未来の会員が次々に癌になるのです。何でこんなことが起きているのかと不気味でしたね。いくらあの時も法を勉強していたとはいえです。あの時は、未来主宰の北村氏がいっていることをそのまま信じていただけだからです。
この人のいっていることは本当に正しいのであろうかと不安にもなりました。同じ会員の人たちが次々に癌になっていたからです。
しかし、いい加減なことを説いている人は、適当なことをいってそれをごまかすのです。
北村氏は、あなたが悪いからそうなるとか、こういうところを反省しなさいとかいってごまかしていました。北村氏本人も、なぜそんなことが起きているのか分からなかったようだからです。
しかし、北村氏がいわれることを反省しても、結局、その癌が治った人はいなかったのです。
みな苦しんで死んでいったのです。
それはそうでしょう。そのようにいわれている人たちは皆、園頭先生の悪口をいっている人たちばかりであったからです。自分で悪口はいわないまでも、その悪口を信じている人たちばかりであったからです。
そういうことは(神の子の人間として)絶対にやってはならないことであるからです。
法を説いていられた人の悪口をいうのはもちろんですが、その悪口を信じてもいけないのです。
それは釈尊やキリストを悪く思ってはいけないということでも、その事実は分かります。
釈尊やキリストを悪く思っていれば、その人には当然罰は当たるのです。(嘘だと思うならやってみてください。釈尊やキリストを悪く思い続けてもいいし、悪口を人にいい続けてもいいです。そういうことをしていれば必ずその人には悪いことが起きるのです)
それと同じことが、いま現在起きているだけなのです。
そうではないですか?
私が正しい法を説いているのは事実なのです。(だから奇跡が起きているのです)
その私をこの辺りの人たちは、よく思わず、悪口をいって嫌がらせをし続けている。もし、釈尊やキリストに同じことをすれば同じことが起きると思わないでしょうか?
だから、起きているのです。同じ現象がです。
それは十年前であろうと、百年前であろうと、千年前であろうと、いつの時代であろうと変わらないのです。
法を説いている人に対する態度を間違えれば同じことが起きるのです。
それだけのことなのです。未来の人々も、そうして、この辺りの人々も、法を説いている人に対する態度を間違えたのです。
だから、同じ悲劇が起きているのです。
それを未来の人々も、この辺りの人々も知らないだけなのです。知らないからこういうこと(悲劇)が起きているのです。
だから、釈尊は「知るべきことを知らない人が一番悪い」といわれたのです。
だから、そういう一番大事なこと(法を説いている人に対する正しい態度)を知らなかった自分が悪かったと反省して、態度を改めるのなら、これ以降、その人に災いが現れることはありませんが、それでも改める気はないという人には、いま起きていることと同じような災いがいすれ現れるのです。
その人は、法を説いている人に対する態度を間違えているからです。
それを間違えていれば必ず罰が当たる、それは何十年前も、何百年前も、何千年前も、そのもっと前から変わらない事実であるからです。
自分たちが一番大事なことを知らなかっただけなのです。だからこういうことが起きているのです。
私のせいではないのです。すべて自分たちのせいなのです。
ということなのですが(だから自分たちが悪かったということですが)それでも態度を改める気はないのですか?
意地を張り続けるのでしょうか?
それはあまりに神の子の人間として愚かなことであるのです。



人目の訪問者です。

世間的に命を大事にしようとか尊い命とか言いますがどのくらい命の尊厳について考えているのでしょう。例えば命の強さを考えると、太陽は人目につかぬところでも草木を育む。引けばすぐに切れる草でさえ硬いコンクリートを押しのけ生えてくるのです。そのように命とは育むだけでなく強さも持ち合わせているのです。では広さではどうでしょう。天と地があり太陽は熱と光を与え風雨jをもたらし草木植物を生やし育くむのである。そう命とは全てを生かし全てを育むほどのエネルギーを持ち、広く大いなるものなのです。そしてその命は地球上を包み天体を無限に生かしてしまうほど更に広がりを持つものなのです。それと同等の命を頂いているのです。なのに俺の命だ、俺の人生だ等と簡単に割りきってしまう事を聞くが、命とはそんな小さな器ではないと思うのです。したがって自分の命とは自然の命と同等であり、大いなる存在であり地球上を包み天体を無限に生かし育むような未知なる可能性を秘めたエネルギーに満ちているものなのだと自負しています。単に今の自分が捉える命の尊厳ではありますが、本当に命とは尊いものであり大事にしなければならないと思います。一度でも皆が命について考える機会があれば良いと思います。
命ですか…。
ちょっとウナッシーさんは、命と心をゴッチャにしている部分がある感じがしますが、命も尊いものではありますが、その命をかけてやらなければいけないものもあります。
その命がけで行おうという志こそもっとも尊いものでしょう。
ご指摘い下さいましたこと有り難うございます。心で感じることを伝えるには時期尚早であり、もっと整理してからでなければと反省しております。この経験を生かして次のステップへと精進致します。感謝