12月 13 2017
結婚初夜に夫に性病を移された女性①
前回、前々回と子供のことを書きましたが、最近はその子供をほっておいてすぐに別れる(離婚する)親たちが増えました。(子供の気持ちなど考えずにです。私は体験者ですから)
そんなに簡単に別れるのではなく、ずいぶん苛酷な夫婦生活を続けていて、園頭先生のご指導を仰ぐことにより、幸福になった夫婦の例が正法誌の中に出てきます。
その苛酷な例を一つ書いておきましょう。そういう夫婦を知れば、そんなに簡単に離婚する人たちも減ると思うからです。
1980年九月号から抜粋します。
<正法は人生をどのように解決するか
お釈迦様が説かれた八正道こそは、人生のすべての問題を解決する道である。正法によって解決出来ない問題はない。ある時、次のような手紙が来た。あなたたちならこれをどのように解決されるであろうか。
「前略、先生に思い切って何度となくご相談したかったのですが、書こうとするとすぐに涙があふれてしまい、なかなか書けませんでしたが、本日思い切ってペンを取りました次第です。
結婚して二十四年です。気性の激しい、欲望を満たすためには手段を選ばないそんな主人ですが、反面気の小さな情の厚いところに私は引かれたのかもしれません。結婚して子供を育てるのと、酒を飲んで少ししか給料を入れてくれないそのやりくりに精一杯で、子供を捨てるわけにはいかないと意地で頑張ってきました。結婚十七年目にOO市に出て家を求め(借金で)ホッとしたところに突然主人が「好きな女がいるからその女に子供を生ませる。その子供は私に育てさせてその女はこの家から働きに出させる」といいだしました。びっくりしたのです。中三の娘の高校受験を眼前にして、毎晩のように酒飲みに明け暮れ、深夜主人の友人が送ってくると、私にその友人と俺の前で関係しろというのです。その友人の人を玄関まで送って部屋に帰るとなぜ関係して来なかったかと怒るのです。そのような日が約三年つづきました。その後、主人は飲んで帰ってきては私に浮気しろとせめるのです。そうしているうちに娘の家出です。娘が男と夜逃げしたのです。娘の問題でごたごたしている間はおとなしそうにしていたのがまた突然「若さを保つために若い女がほしい家庭はこわさないから」といいだしたのです。いい年をしていて服装容姿と派手さを加え、まるで不良青年なみでございます。
ある日突然、ある人妻の人が私に泣いて訴えて来られたのです。「お宅の先生(このご主人は学校の教師である)が、わしは家内と別れるから、あなたはご主人と別れて私と一緒になってくれと泣いて頼まれたのです」と。彼女との関係は去年の夏からこの春まで続きました。やれやれと思っていると今度はPTAのご婦人のお宅に入りびたりの日が訪れたのです。そこはご主人もあり、子供さんも三人もあるのですが、主人は学校帰りにその家に寄って、日が暗くならないと家に帰って来ないのです。私が苦しい余りに信仰を求めていろいろ会合に出ると「そこで知り合った男といつでも関係してきていいよ」というのです。
私は四十八才になりました。こんな動物みたいな人と暮らすのはもうご免です。いつまでも主人の犠牲になりたくありません。どこの学校にいても、女の先生と問題を起さなければPTAのご婦人と関係が出来て、それがばれてその学校にいられなくなるということのくり返しで、今は教育委員会で学校には置けないということになり教育主事をしております。まだ四十代であったら女一人生きていく道を探されると思います。五十になったらだめだと思いますので別れるなら今のうちだと思います。私はどうしたらいいでしょうか教えてください。
二十七日 O O O O
園頭先生へ
申し添えますが、私は結婚二日目、初夜に主人に性病を移され、それが原因で四回手術をしています。病気も一度ではないのです>
このような相談の手紙が来たら、このブログを見ている人たちならどうされますか?
こんなメチャクチャな旦那ならすぐに別れろと、夫も子供も捨てて(どうせ子供は家出してしまっているのだし)女一人で生きていけばいいではないかと、今の人たちならそういうでしょう。
それが一番、この人にとってよいことであるはずだからです。
しかし、それは違うのです。園頭先生は続けてこう書いていられます。
同じく1980年九月号から抜粋します。
<新聞雑誌などの人生問題担当者や婦人運動家たちは、人権じゅうりんも甚だしい、女性侮辱である。即刻離婚して自分一人で生きて行きなさいという指導しかしないであろう。こういう人が家を飛び出して千石イエス(この時ちょうど千石イエス問題が話題になっている時でした)の下に走ったとしたら、地獄から逃れたみたいでほっと救われた気持ちになるであろう。しかしそれは逃避であって解決にはなっていない。道徳的という人たちは心を考えずに上辺の形だけで解決しようとする。正法は心の面から解決して行くのである。人間は何のためにこの世に生まれてきたのかという人生の原点に立って一切を解決して行くのである。逃避した人の心の中には安らぎはない。たとえばどんなに自分を正当化する理由があろうとも「夫を捨てた」「子供を捨てた」という心の暗さ、悔いは最後まで残るはずである。正法の基準は真の心の安らかさである。一見、表面上はどんなに穏やかに見えていても、心の内面に穏やかでない暗さ、悲しさ、さびしさが潜んでいるとしたらそれは本当の正しい解決ではない。
では一体、正法ではどんな解決方法をとるのであるか>



人目の訪問者です。

園頭先生のお言葉を時折掲載して下さり読ませて頂いています。されど、この3回に渡りこれまでにない心の揺さぶりを受けています。当時は頭で考えていたようです。そうか、なるほどと言ったふうにです。しかし今回は心で受け止めている反動として心が揺さぶられているのだと思います。よく日常でも言われてみれば「なるほど!」とうなずけることがありますが、園頭先生のお言葉は法でありその法はどこか縁遠いものでなく生活に沿っているものとつくづく感ます。それだけに立ち止まり(止観)よくよく振り返らねば(反省)ことは進まぬ(成就)こととあらためて気付いたような気がします。感謝です。
その通りですね。これからも頑張ってまいりましょう。