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12月 18 2017

後は実践、一日一生

10:47 AM ブログ

何度もいいますが、やらないならやらないで結構なんですが、ただこの辺りはドンドン(危ない)現象が現われています。(悪いことをしすぎましたよね。この辺りの人たちは)

この辺りは、ずいぶん前からこのブログを読んでいる人も多いのです。自分がやれる範囲でいいから実践してみたらどうですか?

その方が危ない現象も減ると思うからです。

また、こういうことを書けば怒る人も多いのですが(本当にこの辺りはひねくれている人が多いですから)しかし、怒ったところで止まる話でもありません。逆に怒れば怒るほど危ない現象は現れるのです。(それは、どこかの会社で証明済みです。今日も静かです。本当に人が変わったようです)

罰が当たっているのですから、態度を変えるしかないのです。態度を(よい方に)変えれば、その罰は当たらなくなるからです。

そればかりでなく、せっかく法の勉強をしたのにもったいないですよ。何も実践しようとしないのはです。ずいぶん心が変わっている人も多いはずだからです。

高橋先生がいわれていましたが、高橋先生の本を何度も読んでいる人は心もきれいになるらしいのです。法が書かれたものからは光が出ています。その光で心が磨かれるからです。

正しい法が書かれたものは、高橋先生と園頭先生のご著書か、このブログしかありません。ということは、このブログをずっと前から読んでいる人たちは、ずいぶん心が磨かれているということになります。(ただし適当に読んでいるのではダメですけどね)

人によってはグンと心のレベルが上がっている人もいるはずです。(このブログを見る前と現在とでは考えがずいぶん変わった人がいませんか。そういう人は心も変わっているのです)そういう人が法を実践するのならすぐにでも奇跡が現れるのです。(ウナッシーさんなどよい例です)

そのような心の磨かれた人が読んでいても何の奇跡も現れないのは私に何もしないからです。

ウナッシーさんでもそうだったんですが、一昨年は今年と同じようによく寄付をしてくれていました。そういう時はよく奇跡が現れていたのです。

ところが去年は布施をしてくれなかったのです。そうしたら去年は、奇跡らしい奇跡が現れなかったのです。(コメントなど見るとそう感じました)

そうして今年です。また布施をしてくれるようになると、とたんに奇跡が現れてきたのです。(ウナッシーさんに今年おきた奇跡は、ウナッシーさんのコメントを見てもらえれば分かります)

別に、私に布施をしたから奇跡が起きたということではありませんが、それだけ法を説く人に対しての愛の行為は徳を得るということです。だから奇跡も起きるのです。(逆に災いもです。それだけ法を説く人に対しての悪の行為は罪になるということです)

そういう心が磨かれているのに奇跡らしい奇跡が起きない人は、よい実践をしていないからです。私に布施するくらい(法を説いている人に布施するくらい)よい行いもないのですから、それがきっかけで奇跡が起きだす人もいます。

頭で考えているだけではダメなのです。実践が大事なのです。実践しないことには奇跡は起きてこないのです。

では、されてはどうでしょう。愛の実践をです。

もちろん、このブログを読んで自分で法を実践した結果、奇跡が起きだすこともありますが、そのような奇跡は、どちらにしても、その法を教えてくれた人に対し報恩の行為を行わなければ、その反動も現れるのです。

だからもう、けがをした人や調子を落とした人が続出です。(男女ともにです)そういう、いいとこ取りしかしなかった人がこのブログを見ている人には多かったからです。

しかし、それではダメなのです。法を説く人はそれだけ大事な存在であるからです。(釈尊しかり、キリストしかりです。その法を知らなければ奇跡は起きないのですから)だから法を説く人をぞんざいに扱ってはいけないのです。

そういうことをしていれば、必ず、天罰がくだるからです。(実際この当たりは天罰がくだりまくりです。法を説く人を超ぞんざいに扱っているからです)

もうこのブログを読んでいる人たちは、特に、もう何年も前から毎日のように読んでいる人たちは、ずいぶん考え方が変わっているはずです。そういう自分(の心)と共鳴する部分が多かったから、そのような人たちはこのブログを何年も前から見ているはずだからです。

そういう人は過去世でも法をきいたことがある人たちなのです。だから(表面上はともかく)心では共鳴できる部分が多いのです。

自分の過去世の記憶はすべて心に詰まっているからです。

そういう人たちはすでに心では、ここに書かれたことが正しいと、本当の神の教えであると、分かっているのです。

それが表面意識までしっかり伝わってこないので、なかなか実践することが出来ませんが、そこがこの世の修行であり、その心の中の真実をどれだけこの世に現すことが出来るのかが、この世でどれだけ自分の修行になるのかの分かれ目なのです。

その心の中の真実を、この世で実践できれば出来るほど自分の修行が出来ているということになり、心は向上するのです。

また、そういう人たちの中には、このブログを毎日読んでいるだけではなく、一日に何度も読んでいる人たちもいるはずです。

そういう人たちは絶対にやらないといけないのです。そういう人たちは特に法に縁が深い人たちであるからです。

普通は読まないでしょう。人のブログなど一度読めば十分であるからです。(しかもこのブログは長々と書いてあるのですから。〔苦笑〕)

ところがこのブログを一日に何度も読む人がいるのです。(いますよね。そういう人が何人もです。〔笑〕)

そういう人は読みたくなるのです。読まなければいられなくなるのです。法との縁が特に深いからです。(私もそうでした。高橋先生や園頭先生のご本が読みたくて仕方がない時がありました。まあそれは今も大して変わりませんが。〔笑〕もう中毒ですね。法の本がないと生きていられないのです。〔笑〕)

そういう人は法が読めなくなると思うともう寂しくてどうしようもないですよ。園頭先生が亡くなられた時の私がそうでしたから。(園頭先生の書いたものがこれから読めないと思ったら、もう悲しすぎてゾッとしましたもん)

だからやらないといけないのです。そういう人は自分で法を実践していくのなら、必ず奇跡が起きるようになり、自分でその法も説けるようになるからです。

そうすれば、そのような悲しみも半減するからです。(自分で法を説けばいいからです)

また、そういう人はこの世でそのような法の実践を絶対にしてこないといけないのです。もし、その人たちが法にかかわることを何もしなくてあの世に帰るのなら即地獄行きです。

そのような法に特に縁が深い人たちは、それだけ(他の人とは違う)絶対に法をこの世に拡げてきますという、かたい約束を神と交わしているからです。(他の多くの光の天使たちともです。中には釈尊やキリスト、モーゼや七大天使たちと、そういう約束を交わした人もいるかもしれません)

それは男女にかかわらずです。性別は関係ないからです。男でも女でもやらなければいけないことはやらなければいけないからです。(こういう場合は男女平等です。〔笑〕)

それはともかく、どちらにしてもです。このブログを長年見ている人たちであと足らないのは実践だけなのです。

せっかくこれだけ法を知ってです。何も実践しないようなら、これだけもったいない話もないのです。(人によっては実践すれば次々に奇跡が起きる、そういう人もいるからです)

法を説いている人に無視や嫌がらせなどするから罰が当たるのです。

法を説いている人を見たら「ありがとうございます」と感謝して布施でもするのです。(過去の人たちは皆そうしていたのですから)

そうすれば、その人たちには奇跡が起きるからです。(何かよいことは起きると思いますよ。そういう人には私も祈るからです)

そういうことをあまりに知らないのです。現代の人たちはです。神から心が離れてしまったからです。

しかし、このブログを読んでいる人たちは、その神との距離もずいぶん縮まったと思います。そうして神の心もずいぶん分かったと思います。

後はそれを実践するだけなのです。

では、すぐにでもされたらどうですか?明日、自分の命がなくなるかもしれないからです。

別にこれは縁起の悪いことでも何でもありません。実際に私たちはいつ死ぬか分からないのです。(分からないでしょう。分かりますか?自分の寿命がです)

だから高橋先生は「一日一生」といわれたのです。

今日出来ることを明日でも出来るからと伸ばしていては、明日自分が死ぬことになったら、それは出来なくなる。だから、今日できることは今日やらないといけない、明日は明日でやれることをやればいいと、そういう意味で高橋先生は一日一生といわれていたのです。(今日一日を全力で生きろとです)

何度もいいますが、このブログを見ている人たちは、後はこのブログに書かれたことを実践するだけなのです。

そうして一日一生です。

今日、それを実践されてはどうですか?そうしないと明日では後悔するかもしれないからです。

(特にこの辺りの人たちはです。別に明日をも知れぬ命とまではいいませんが。〔笑〕)

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