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12月 25 2017

厄害から守られるには

10:47 AM ブログ

今日はクリスマスですが、今日からまた北日本や北陸などは大荒れの天気になるそうですね。(キリストもお怒りです)

昨夜は名古屋も激しい雨になりましたが(名古屋は今月は雨が全然降っていないんじゃなかったですか?〔なんかそれらしいことを天気予報でいっていた気がしますが〕その分、一変に降ったみたいでした)この冬はこんな荒れた天気ばかりです。(まあ、理由はお分かりでしょうが)

もう少し正しい信仰に目覚める人が増えてくれば、こういう天気も防げるのですが、本当に残念です。いつまでもやる気のない人たちばかりでです。(どこかの会社も昨日からお怒りの人がいますが〔今日も朝から怒っているようですし、昨日は昨日で、でかい音を立てて思いっきりシャッターを閉めてるバカがいました。日曜日なのにです〕怒れば怒るほど災いは現れるのです)

分かっちゃいるけどやめられない、これまでの業というものは厄介で、なかなか自分たちの行いを変えることが出来ないということは分かりますが、ここまで悪いことが起きているのです。(天気にせよ、周りに起きることにせよです)

それだけ悪いことが起きているということは、自分たちの行いが悪いから悪いことが起き続けているのであり、では、その行いを変える以外、その起きている悪いことを(よい方に)変えることは出来ないのです。

自分の行いを変えるのなら、周りに起きてくることは必ず変わります。

もう年も変わります。では、自分の心と行いも変えて新しい年を迎えられてはどうでしょう。

そうすれば、新しい年はこれまでとはまったく違う奇跡と幸運に満ちた希望の年となるからです。(これまでは悪いことが起きすぎていますから。日本中にです)

心と行いを(この法に合わせて)変えてくれる人が一人でも出てきてくれることを願ってやみません。

この法に心と行いを合わせるなら、このような天気がよくなるばかりでなく、昨日書いたような運がよくなるばかりでなく、自分の身の安全までも守れるからです。

では、どうやったら守れるのか?その方法を書いておきましょう。あまりに自分の身が危ない人がこの辺りは特に多いからです。

法を勉強して、神の光に包まれているイメージが出来るようになれば(自分の体の回りに光の輪をイメージするのです)その神の光に守られ、おかしな厄害からも守られるのです。

園頭先生は、このような神の光に包まれる功用を次のように正法誌に書いていられます。

1981年一月号より抜粋します。

<自分の身体が、神の光に包まれていることを心の中に描き、その神の光の中に自分があることをいつも想念することです。そうすると、自分の身体の回りに光の壁が出来ます。

車に乗っていられる人は、車全体が神の光に包まれていることを想念することです。そうすると事故にあわなくなります。このような光の想念を持つようになると、自分の周囲には、自分を幸せにしてくれる人ばかりが集まってきて、自分を不幸にするような考えを持った人は自分には近づけなくなります。

商売をしていられる人たちは、いいお客だけが集まるようになり、自分に損害をかけるような人は自然に来なくなります。損得を先に考えてするのはよくありませんが、まず、人間は神の子であることの自覚が先にないといけません。

もし、仮に相手が自分を害しようと思っていた場合であっても、自分が光に包まれ、また相手も神の光に包まれていることを想念すると、相手は自分を害することは出来なくなります。あるところに、やくざの人に脅迫されて金をせびられている人がありましたが、それを続けているうちに自然にその人は来なくなりました。こういう時は、相手に対する恐怖心を持ってしてはならないのです。自分の心の中をまず安らかにして光を描かないといけないのです>

つまり、神の光が自分を包んでいるイメージを常にしてれば、様々な厄害から身を守ることが出来るということです。(どこかの会社の皆さん、ぜひ参考にしてください)

このような想念は、例えば、車や飛行機など乗る時でも(車に乗る時は車全体が、飛行機に乗る時は飛行機全体が神の光に包まれているイメージをすることです。そうすれば事故に遭うこともなく安全に目的地まで行けるからです)商売や何かイベントなどする時でも(そういう時は、今日来てくださるであろう人たちを想念し、その人たちが神の光に包まれているイメージをするといいのです)あるいはストーカー被害や脅しなど受けている人も(こういう時はもちろん、そういうことをして来る相手が神の光に包まれているイメージをするのです)するとよいということです。

そうすれば自然とよい道がついてくるからです。(自然にそういう道がついてくるということがよいところなのです。不自然にそのような道をつけても〔例えば力ずくなどでです〕よけいな恨みを買いますが、自然にそのような道がつくなら恨みなど買うこともないからです)

どうですか、知れば知るほど法の勉強をするならよいことが起きてくると思いませんか?

自然とよい道がついてくるのです。法の勉強をしている人は、すべてこのように神が力を貸してくださるからです。

法を知らない人たちは、このような神の力が(常に)働かないのです。だからいいことも起きれば悪いことも起きるのです。

自分の力だけで(人の力だけで)何ごともしているからです。

しかし、この世はすべて神がつくられたのであり、その神の力はそこかしこに遍満(へんまん)しているのです。

法を理解するということは、その遍満している神の力の使い方を理解するということなのです。

何度もいいますが、この法を理解しないということは、これほどもったいなく、また危ないことはないのです。

少し心を変えられてはどうですか?そうすれば(このブログを見ている人たちは)大きな幸運が手に入ることになるからです。

(最後にいっておきますが、心に怒りや恨みがあるようでは、この神の光は現れません。〔園頭先生もいわれています。心をまず安らかにしないといけないとです〕神の光は愛と調和の心がないと現れてこないからです。怒りや恨みの心を持ちながら、どれだけ想念しても、それは頭でそう考えているだけで実際に神の光は現れていないのです。〔そういう場合はもちろん効果はゼロです〕だから、くだらない怒りの心や恨みの心などいつまでも持っていてはいけないというのです。そういう心を持てば持つほど自分が危ないからです。いつまでも逆恨みをして怒っているのではなく、相手を許して愛と調和の心を持ちませんか。そうすれば自分が救われていくからです)

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