>>ブログトップへ

12月 26 2017

究極の反省

11:02 AM ブログ

しかし、参りましたね。

何に参ったかといえばです。私が祈ってもいない人たちにまでドンドン災いが現れているようだからです。

三日、四日前のことです。近くで家をつくっているところがあるんですが、そこの大工連中は珍しく私に何もしてこなかったのです。

「へぇーこういうところもあるんだ。珍しいな」と思っていたのですが、急に、その三日、四日前から私が通るとガンガンやり始めたのです。

二、三週間くらい前からではなかったでしょうか。その大工連中がそこで家をつくりはじめたのはです。しかし、それまでは私が何度近くを通ろうと何もしてこなかったのに、急に怒り出したのです。

その時、ちょっとピンと来たことがありました。

たしかにそこの大工連中は私に何もしてこなかったのですが、もう一人、ガードマンみたいなオッちゃんがいて(狭い道のところで家をつくっているので、そのガードマンのオッちゃんは人や車の誘導などしていたようです)そのオッちゃんは私が近くを通るとよく嫌がらせみたいなことをしてきていたのです。

近くを通る時に何度かそんなことをされたものですから、私も少し祈り「オッちゃん、そんなことをしていると何が起きても知らないからな」といっておいたのです。

もしかしたら、そのオッちゃんに何か起きたのかもしれないなと思い、その時に怒っていた大工に「もしかしたら、あのガードマンみたいなオッちゃんに何か起きたのか?だとしたらそっちが嫌がらせをしてきたからそうなったんだぜ」と声をかけておいたのです。

そうしたら、一瞬シーンとなりましたので、案外図星だったのかもしれませんが、しばらくしたらまた怒ってガンガンやっているのがいました。

まあしかし、この程度のことはたいしたことではありません。(私はそこらじゅうの大工にもっとやかましいことをされていますから)ちょっかいをかけてきたのは、そのオッさんなんだから、そのうち分かってくれるだろうと、こちらは気にも留めなかったのです。

そうして昨日また近くを通ったのですが、そうしたらもう皆がカンカンに怒っているのです。

「えっ」と少し驚きました。もうそこの大工たちのことなど忘れていたくらいだったからです。(私は毎日、そこらじゅうで嫌がらせを受けています。気に留めていないことなどすぐに忘れてしまいますから)

この前は一人の者がガンガンやっていただけでしたが、昨日はもう何人ガンガンやっているのか分からないくらい、何人かの大工がガンガンやって凄い怒りようです。

この連中の怒りようからすると、どうもあの後もまた何か起きたようで、それで怒っているようなのです。

あまりの怒りように「こちらは祈ってもいないのだから、嫌がらせなどしたらいけない」とか何とかいろいろいったのですが、もう聞く耳持たないといった感じでみな凄い怒りようでした。

こちらは別に怒っているわけでもなく、祈っているわけでもないのに、相手が私に嫌がらせなどしてしまうと(その後も悪いことを私のせいになどしていると)どうも、とたんに災いが現れてしまうようで(しかも次から次にです)それで参ったと書いているのです。

こちらにその気がなくても、勝手に現象が現れてしまうようだからです。(当然、そういうパターンで何か起きれば全部私のせいになりますから。だから法を説いている人への態度を考えないといけないのです。あまりに皆、法を説いている人に対する態度が悪いのです)

しかし、起きない人は起きないのですが、何で起きる人はこうも簡単に起きてしまうのでしょう。そこらへんは申し訳ありませんが、こちらの事情ではなく(私が祈ったり何なりしたわけではないのですから)そちらの事情なのです。(自分たちのこれまでの行いや心のあり方)

だから、そういう場合は(私がかかわって何か起きたら)逆に、自分の悪いところを教えてくださりありがとうございますと私に感謝しないといけないのです。

そうすれば悪いことが起きていても、そのあと奇跡が起き、その悪いこともすぐに解決の道がついてくるからです。(だから、そういう心になれば病気などになっても、奇跡が起きてすぐにその病気も治るということです)

そうなったのは自分に悪いところがあったから、そういうことが起きたからです。

直すべき悪いところがなかったらそういうことは起きないのです。極端な話、釈尊やキリストなら私がいくらかかわっても何も起きないからです。

しかし、私がかかわり何か悪いことが起きたのなら、それは自分に直すべきところがあったからそういうことが起きたのです。

もうそういう時代になっているからです。(自分の悪いところがすぐに現象化する)

だから、きつい言い方になりますが、私とかかわって何か悪いことが起きた場合、悪いことが起きる方が悪いのです。

そういう天罰を食らうような心と行いをしているから、その人は、そういう天罰を食らっているからです。

それを私のせいにして怒っていますが、まったくのお門違いなのです。私にどれだけかかわろうが悪いことが起きない人はたくさんいるからです。

だから「自分に問題があるのですよ」と私はいっているのです。

しかし、まったく私が影響していないということもないでしょう。(前から書いていますが、私に何かすれば自分の罪が早く現れる人はいますから)だから自分の悪いところが(早く)現象化するのが嫌なら、私にかかわらなければいいのであり(何があってもです)別にそんなことは関係ないという人はかかわってくればいいのです。

自分の心が悪ければ(私に何かすれば)ちゃんと自分にそのような悪い現象が現れてくるからです。

だから、そういう人たちは自分の悪いのがよく分かって、私に感謝しないといけないといっているのですが、何で怒る人ばかりなのでしょう。

これほど有難い話はないのにです。

有難い話でしょう。すぐに自分の悪いところが分かるというのですから。そういう人たちは口で何かいったところで分からない人たちばかりなのです。(だから、そういう病気になるのです)

ところが病気にでもなれば何か、かにかそういう人たちでも反省するのです。(あるいは回りに感謝したりです。自分の体が悪くなれば回りに世話にならざるを得ないのですから感謝せざるを得ません。自分さえよければいいといっていた人も回りの人がいて自分があるのだと分かるからです)

とにかく、傲慢な人などは病気をするのが一番反省が早いのです。(それでもしない人はしませんが)

では、よかったのではないですか?そういう現象が出たお陰で自分の反省も早くなるからです。

まあ、こういう時代になるとです。そういう究極の反省の仕方も次々に現れてくるということです。真のユートピアが現れる日も段々近づいているからです。(あとわずか七百年後ですから)

その時には、そのような傲慢な人は一人もいなくなります。そのユートピアにいる人たちは、みな愛と慈悲と調和に満ちた人たちばかりであるのです。

では、そんな(傲慢な)人たちがいつまでも反省しないでいて、それでよいことが起きると思いますか?

当然、そのような人たちにはもう次々に天罰がくだり究極の反省をさせられるのです。

そのような(真のユートピアが現れる)時が近づいているからです。

この辺りに起きている出来事は(私がかかわっていることもそうですが)その究極の反省の一つに過ぎないのです。

天変地変が激しくなっているのもそうです。それもまた究極の反省の仕方でしょう。人によってはその天変地変で命を失う人までいるからです。

しかし、そういうことが起きた場所では、皆の愛が集まり(寄付やらボランティアやらしてです)被害を受けた人たちは、嫌でも多くの人の愛を知ることになって感謝するのです。

傲慢な人たちも傲慢でなくなるのです。

残念ではありますが、こうならないと愛が分からない、傲慢さ(我の強さ)がなくならない、そういう人もいるからです。(というか、多いんですけどね。そういう人がです)

だからこういう現象が最近は増えているのです。もう心を変えないといけない時がきているからです。

こういうことになって皆から愛をもらっているにもかかわらず、それでもまだ不足をいっている人がいます。(あるいは、それを口にしなくても不足を思っている人がいます)

そういう人たちが、その後、病気をしたりするわけです。

そういう不幸はすべて反省の材料であり、その時、反省できないと、その後もっと悪いことが起きてくるということです。(そうしないと反省しないからです)

だから早く反省しないといけないと私は何度もここに書いているのです。

反省しないと、そのような(命にかかわる)究極の反省を最後にはさせられるからです。

しかし、もうそのような現象は次々に現れているのです。(もちろんこの辺りだけではなく、例の爆弾低気圧でもそうです。〔北日本など大荒れの天気になっていますが〕そういう荒れた天気がもう夏から続いています。これも究極の反省の一つなのです。いつまでも多くの人が〔特に神への心を〕反省しようとしないから、こういう現象がずっと続いているのです)

反省せずに責任転嫁ばかりしていたところで、起きている悪い現象は止まりません。

自分たちに悪いことが起きている間は徹底的に反省しないといけないのです。そのような悪いことはすべて自分たちに責任があるからです。

その反省がしっかり出来た人から奇跡が現れてくるのです。

自分には愛があるのですか?感謝はしていますか?人の悪口ばかりをいっていませんか?考えてみればです。反省することなどいくらでもあるはずです。

そういうところで出来ていないところがあるから、自分たちに悪いことが起きているのです。

何度もいいますが、そのような反省をしないといけない時代にすでになっているからです。

反省できない限り、自分が救われることはありません。

責任転嫁はやめ、悪いのはすべて自分のせいであると考えを改めませんか?(もちろん、このような荒れた天気も含めてです)

そういう心になってはじめて救われる道がついてくるからです。

2コメント

2 コメント to “究極の反省”

  1. ウナっしー2017/12/26 at 9:10 PM

    先日のブログで紹介して下さった光に包まれるイメージを早速やっています。
    朝の通勤ラッシュそしてバスに揺られて道中、会社へついて職場でのイメージと一日中どこでもできる方法なのでとても良いです。そしてその成果なんですが、未だ駆け出しのため明確なものではありませんが明るさが感じられます。そこに心が伴えば尚宜しいのですが、恥ずかしながらそこはまだ及第点とはなりません。朝の祈りから始まり光のイメージで日中を過ごし晩の反省で終わる、そんな手探り状態の実践ですが継続して力にして行きたいと思います。今年一年を通し御指南を頂いたことでこの道を歩んでこれた事に感謝申し上げます。一日でも早く自立できるよう一日一生の心で精進に励みたいと思います。今後とも宜しくお願い致します。

  2. gtskokor2017/12/26 at 10:30 PM

    はい、こちらこそよろしくお願いします。
    もう今年も終わりですが、来年は今年以上にご活躍ください。

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。