1月 05 2018
本当のご利益
今日からご近所の方々、仕事始めのところが多そうですが、もう凄まじい怒りようで……などという予想に反し、あれ?今日はずいぶん静かですね。
いつもの年とは違うようです。(全然です。これまでは毎年うるさかったですから。特にどこかの会社などです)
嵐の前の静けさでしょうか。(苦笑)そうならないよう今年は平穏に過ごしたいものです。(笑)
今日の中日新聞に「千客万来 福を求め」と題して「熱田神宮・初えびす 商売繁盛と家内安全を祈願する『初えびす』が五日、名古屋市熱田区の熱田神宮内の上知我麻(うえちがま)神社であり、縁起物の『一番札』や『福熊手』を求める人たちで未明からにぎわった。一番札は、この日に売られる札をいう。福熊手は、福をかき集める熊手。いずれも、手に入れると御利益があるとされる」という記事が載っていました。
そうしてたくさんの参拝客が、この一番札や福熊手を買っていったそうですが、残念ではありますが、こういうものをどれだけ買ったところでご利益があるわけではありません。
本当にご利益があるなら、こういうものを買った年は、買った人に確実によいことが起きないといけないからです。
しかし、こういうものを買ってよいことが起きる人もいれば起きない人もいるはずです。(というか、よいことが起きない人の方が多いのではないですか?)
では、こういうものを買っても買わなくても同じであるということになります。(縁起物とはいえ、それが現実なのです)
いつまでこんな迷信を信じているのでしょう。特に名古屋の人たちは、このような迷信をいつまでも信じているから病気になるのです。
本当のご利益がある教えがすでに名古屋に存在しているのです。
それを知っているにもかかわらず、その教えを無視しているから名古屋の人たちはよいことが起きないのです。
今のままの態度を続ければ今年は去年以上に悪いことが起きてきます。(それはそうでしょう。増えることはあっても減ることはないと思います。多くの人たちが名古屋に存在する本当の神の教えを無視し続けているからです。それでは天罰は当たり続けます)
昨日も一昨日もそうでしたが、人の顔を見れば嫌がらせをしていく人たちばかりです。本当に罰当たりな態度です。
本当のご利益がある教えを説いている者に(自分たちはその教えをきいているにもかかわらず)感謝もせず、嫌がらせをしているというのですから。
これで罰が当たらなければ何をしたら罰が当たるのでしょう。
いい加減、自分たちが間違ったことをしているために当たっている天罰を人のせいにするのはやめて、そのことを反省し、この教えに帰依されてはどうでしょう。
災いを祓い、本当の福を呼び寄せるにはそれ以外で道はないからです。
くだらない我をいつまで張り続けるのですか?それでは本当のご利益はいつまでたっても得られないのです。
(なんかやっと書いています。あんまり書くことが浮かんでこないからです)



人目の訪問者です。

今朝目覚めと共に疑問が湧いて来ました。これまでの感謝は間違っているのではないか。思うままに自身を振り返ると、神より頂いた命そしてそれにより生かされている事への感謝、頂いた環境等受けている恩恵に、又、縁のある方々への感謝は日々を通しできていると思ったのです。それに対し次に思ったことは神より頂いた命に感謝とは何に対してなのか、生かされている事への感謝とは何に対してなのか等とその感謝に対しての疑問が次々と浮かんでくるのでした。そうして最後は仕事に感謝しているが今の仕事ぶりは感謝しているものなのか、そういった疑問なのでした。あつまり整理すると感謝の思いと行動が伴っているのか否か、でなければ正しいとは言えないそんな事ではないでしょうか?今年は心行を取り入れたより実践的な年としたい中で頂いた気付きであり天の協力を頂いている事への感謝を思いしっかりと取り組んで行こうと思います。
難しいことを考えていられるのですね。(笑)
実践していて奇跡が現れてくるのなら、その感謝の仕方は間違いではありませんよ。
あまり難しく考えず(あまり難しくしては人に伝えることが出来ませんから)よいことをドンドンしていきましょう。
そのような行いの中に答えは見つかるはずだからです。