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1月 12 2018

法を伝えてくれた人に対する態度

10:58 AM ブログ

最強寒波の影響で北海道から九州まで各地大雪になっているようですね。

そのような荒れた天気同様、この辺りも(雪は降っていませんが)ずいぶん荒れています。この辺りの多くの人たちが凄まじい怒り方をしているからです。(今年も変わりませんね。昨日も凄かったです。大人から子供までです。〔苦笑〕)

引いている人たちは引いていますが、怒っている連中は中学生くらいまで凄まじい怒りっぷりです。本当に呆れますね。

自分たちの行いを棚の棚の棚のもっと上の棚に上げているからです。

いい加減気づかないのでしょうか。自分たちの行いが悪いからそういうこと(怒るようなこと)が起きているとです。

だって、例えば、この怒っている中学生連中など、自分たちの方から私にちょっかいをかけてきているのです。(しかもかけまくりです)

私の方からちょっかいをかけたことは一度もありません。私はただ歩いているだけなのです。

ところが歩いていると向こうから歩いてきた中学生が必ず何かして来るのです。(百パーセントとはいいませんが、ほとんどのです)

そういうことを散々されたから、文句をいったり祈ったりしているだけで、相手が何もしてこなければこちらも黙って歩いていくのです。

自分たちはこれまでそういう(悪い)ことばかりしているくせに、それを忘れたかのように悪いことを私のせいにして怒っているのです。

だから呆れたといっているのです。

そのような態度を取っていていいことが起きるわけがないからです。(因果応報だと何度いえば分かるのでしょう。バカじゃないでしょうか)

この中学生連中は私のブログを見ているのです。しかし、感謝した者は一人もいないのです。

一人、二人、頭を下げた者はいましたが(ほんと少ないです)「いろいろブログで勉強させてもらっています。ありがとうございます」としっかり私に感謝した中学生は一人もいません。

では、感謝しているとはとてもいえないでしょう。

感謝もせずに私のブログを見ているようでは(私のブログには法が書いてあるのですから)そういう人たちにいいことが起きるわけがありません。

それだけでも不幸になるのです。本当の神の教えを伝えてもらっているのに、何の感謝もなしでは、それだけ礼を欠く行いもないからです。

だから、それだけでもいいことが起きないのに、この辺りの中学生は、私に感謝どころか嫌がらせをしているのです。

それでいいことが起きるわけがないでしょう。そんなことをしていては、必ず災いが起きるのです。

その災いは天罰以外の何ものでもないからです。

天罰は自分が悪いことをしているから起きるのであり、そういう自分たちの態度が(非常に)悪いから天罰がくだっているのです。

法を(本当の神の教えを)伝えてもらうくらいよい行いはないからです。

それに対する嫌がらせです。一番よいことをしてもらっているのに、それを悪いことで返しているというのですから、当然天罰はくだるでしょう。

そんな悪い行いもないからです。

では、その災いを止めたいのであれば反省するしかないのであり、それをしない限り(悔い改めない限り)その起きている災いは止まらないのです。

その災いの原因をつくっているのは他ならぬ自分自身であるからです。

それを私のせいにし続けているわけですが、だから止まらないのです。

その起きている災いの原因は自分たちにあるのであり、私にあるわけではないからです。

私に原因がないから私には奇跡が起きているのであり(私が災いを起こしているのなら、そんな悪い者に鳥が寄ってくるうような愛ある奇跡は起きません)自分たちに原因があるから、自分たちに災いが起きているのです。(自分たちに悪い原因がないのなら、その人に災いが現れることはありません。奇跡しか起きません。釈尊やキリストがそうであったようにです)

それを理解しない限り(自分が悪いと理解しない限り)起きている災い(天罰)は止まらないのです。

どれだけそれを否定しようが、どれだけ悔しかろうが、事実は事実なのです。自分たちが悪いから、自分たちに悪いことが起きているのです。

それ以上でも、それ以下でもありません。真実は一つです。自分が悪いから自分に悪いことが起き、自分がよければ自分によいことしか起きないのです。

それ以外の答はありません。それが正しい答なのです。(どれだけ認めたくなくてもです)

今のまま態度を改めなければ、起きる災いはまだこれからいくらでも現れてきます。その災いは、その自分の心と行いに応じて現れているものであるからです。

だから、反省するしかないのです。反省して、自分の心を入れかえない限り、その災いは止まらないからです。

どれだけそれを私のせいにしても無駄です。私のせいにしている間は(責任転嫁している間は)災いは止まりません。

そのような責任転嫁の心を直すために、その災いは現れているからです。

高校生以下の人たちは、私のブログを読んでいるのなら私に感謝しなければいけないし(ちゃんとそういう感謝の心と態度を取らないといけないということです)それ以上の人たちは、報恩の行為くらいしないといけないのです。

法を伝えてくれた人には、法を伝えてくれた人に対する態度というものがあり、そういう態度を頑なに取ろうとしないから、それだけの災いが起きているからです。(その態度が礼を欠いているのです。絶対に、礼を欠いてはならないのです。法を伝えてくれた人に対してはです)

中学生に置き換えて書いていますが、これは大人の人たちにとっても同じなのであって、そのような法を伝えてくれている人に対する態度を改めない限り、災いは止まらないのです。

何度も書きますが、その災いは天罰であるからです。

法を伝えてくれたことに感謝して、法を伝えてくれている人にそれなりの態度を取るなら、不幸どころか奇跡が起きてきます。

しかし、ぞんざいな態度を取り続けるなら、今のような(大変な)ことが起きるのです。

いい加減理解されたらどうですか?皆さん方は、これまで法を説いている人に対する態度を間違えていたのです。

というより、知らなかったという方が正確でしょうが、知らないで不幸になることはいくらでもあります。

しかし、知らないでいて一番不幸になることが、この法を説いている人に対する態度なのです。

だから、この辺りの多くの人たちが不幸になっているのです。その一番大事な法を説いている人に対する態度を知らなかったからです。

その通りのことが起きているのですから、信じるしかないのではないですか。それ以外のことで、これだけ多くの人が不幸になるなど考えられないからです。

しかし、この辺りは、その法を説いている人に対する態度が悪いばかりに、凄まじい数の人たちが不幸になっているのです。(実際にそういうことが起きているのだから、こればかりは認めるしかありません。私に対する態度が悪かったからこうなったのです)

法を説いている人に対する態度を改めませんか。そうすればこの辺りにもよいことが起きてくるからです。

(というか、それ以外でこの辺りによいことが起きることはありません。私に対する態度を変えない限りは〔大人から子供まで〕起きている災いは止まらないのです)

2コメント

2 コメント to “法を伝えてくれた人に対する態度”

  1. ウナっしー2018/01/13 at 8:11 AM

    心行を読んでいてフッと思ったことがあるのです。今までは心行を上げることが神への感謝であり自身への功徳と思いやってきました。しかし、今回思ったというよりは心で感じたのですが、これまでのその感謝や思いの他にプラスすべきことはこの心行があって神との縁がつながるのでありこの心行も神の慈悲であり愛の現れでありそのことへの感謝の心が大事であるという事を感じたのです。普段当たり前にしていることはルーティーン化して本来の目的を見失いがちである。そんなところにも視野を拡げ反省をしなきゃならんな、そんな事も思いました。

  2. gtskokor2018/01/13 at 11:49 AM

    その調子で頑張ってください。

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