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1月 13 2018

奇跡の連鎖

11:22 AM ブログ

相変わらず、冬の嵐は続いていますが(最強寒波)こちらの嵐はもうずっと続いています。(苦笑)

昨日も歩いているとちょっかいをかけてくる人がたくさんいました。(本当に哀れです)しかし、いつまでも逆恨みしていたところで悪いことが起きるだけです。(それは逆恨み以外の何ものでもありません)

今年に入り、また一段と怒っている人や引いている人が増えているようです。ということは、起きている現象がまた一段と増えているということになります。

この辺りの人たちが、今のままの態度を取り続けるのなら、悪いことがドンドン起きてきます。(早い話、癌になる人がドンドン増えるということです)

それでもまだ突っ張り続けるのですか?神に対してです。

従おうとはしないのでしょうか?神の心にです。

それは自由ですが、神を認めず神の心に逆らい続けるのであれば、ドンドン不幸になっていきます。

どれくらい不幸が現れたら分かるのですか?その事実がです。(私に逆らっているのではないのです。神に対して逆らっているからこれほどの現象が現れているのです。人に逆らっている程度で起きている現象ではないからです。いい加減それを理解してください)

私に対し、今のような態度を取り続ける限り起きている災いは止まりません。その災いを止めなくてもよいというのなら、別にそのままの態度を続ければいいでしょう。

しかし、止めたいと思う人がいるのなら、その人は態度を改めることです。この辺りで起きている不幸の多くの原因は(もちろんすべてではありませんが)私に対する態度が悪いために起きていることであるからです。

その態度を改めさえすれば起きないことであるからです。

私は悪いことをしている者に無理やり頭を下げろといっているわけではないのです。

いま不幸になっている人たちが間違ったことをしているから、それを反省し、心を救われた者に感謝されたらどうですか?といっているだけなのです。

そうすれば今度は幸せの道がついてくるからです。

それを頑なに拒否していますが、そのような行いは間違っているのですから、だから間違っている方に災いが起きているのです。

間違ったことをしていれば、間違ったこと(災い)が起きるのが当たり前のことであるからです。

その当たり前のことをいつまでたっても認めないのですが(起きている現象がその間違いを教えているのですが…)自分たちの間違いを認めない限り、その不幸は止まりません。

いい加減、間違いを認めてはどうでしょう。どれだけその事実を認めようとせずにいたところで、間違いを認めず突っ張っている限りは不幸にしかならないからです。

よく考えてみて下さい。

私が歩いていて、嫌がらせをして来る人を祈るとドンドン悪いことが起きるのです。(その人たちは悪いことをしているのですから、悪いことが起きるのが当たり前のことなんですが…)

では、歩いている私に布施でもしてくれるのなら、その布施してくれた人に対しても私は同じように祈るのですから(もちろん祈りますよ。嫌がらせして来た人も布施して来た人も同じようにね。私にかかわったことには変わりがないからです。〔ということは縁が出来たということになりますから〕縁ある人を祈るのは私たち法を説いている者からすれば当たり前のことだからです)その祈られた人は今度はドンドン奇跡が現れてくるということになります。

私が祈ればなにか現象が現れるからです。

しかし、同じように祈っても、嫌がらせをしてくる人と布施をしてくる人とでは、そのしている行いが百八十度違います。

では、現れてくる現象も百八十度違ってくるでしょう。

私の祈りは、神に全托(ぜんたく)している祈りであります。では神は、その相手の行い(心)に応じて、現象を現してくださるからです。(だから奇跡が現れてくるといっているのです。私に対しよいことをしているからです。人によいことをすればよいことが〔奇跡が〕悪いことをすれば悪いことが〔災いが〕現れる。これもまた当たり前のことだからです)

私はそういう祈りをしているから奇跡が(現象が)現れるのです。個人の感情で(ああしてくれ、こうしてくれと)祈っているわけではないからです。

そのような神に対する素直な心が神の力をこの世に現すのです。

だから、私に対する態度を変えるのなら、この辺りで起きてくる現象もずいぶん違ってくると思うのです。そういう(布施する)態度を取る人が増えてくればです。(だから辻説法をしている坊さんなどいたら、たまにその坊さんに布施して、その坊さんに祈られている人がいるでしょう。〔祈られている人もその坊さんに合掌していますが〕あれと同じことをすればいいのです。ああいう坊さんに祈られても何も起きませんが、私に祈られれば何か起きるからです。ただ、よい事が起きるか、悪いことが起きるかは、その人の心次第ですが)

自分たちの行いを反省し、私に(嫌がらせではなく)布施する人が増えれば、この辺りで起きている現象も一変すると思いますが、それでも態度を改めるのは嫌だといわれるのでしょうか?

悪いのはお前だといい続けるのですか?

しかし、間違っているのは、そういい続けている人たちの方なのです。

この辺りの人は私のブログを見て心が救われている人も多いと思います。そういう人たちが、それに対して少しも感謝しなかったのは事実なのです。

そうして、本当に私が悪いことをしているのかどうか、自分で確かめもせず一方的に嫌がらせをしてきたのは、その私に心を救われた人たちなのです。

そのような行いは、どこをどう取っても自分たちが悪いのであり、私の行いうんぬんをいう前に、まず自分たちのそのような行いを反省するのが筋なのではないですか?

それを反省した後に私のやったことをとがめるならとがめればいいのです。

それが当たり前の筋であるからです。

どちらにしてもです。まず自分の行いを反省し私に報恩の行為をされてはどうでしょう。(そこまでが筋だからです。私に心が救われたのは事実であるからです)

それをしてからでなければ、この辺りの人たちの行いは何一つ神に認められることはないのです。(もちろん人からもです。筋を通していないのですから)

今、この辺りで災いの連鎖が起きているのは、法を説いている人に対する態度が悪いからです。

では、その行いを正せば、今度は奇跡の連鎖が起きてくるはずですし、正しい法を説いている人に善を行えば、それだけの神の力が現れてくるのです。

法を説いている人には常に神が(天が)協力してくださっているからです。(それは釈尊しかり、キリストしかりです)

自分たちのこれまでの間違いを正し、法を説いている人に対する態度を改めませんか?

そうすれば、自分だけではなく周りにも多くの奇跡が現れてくるからです。

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