7月 03 2018
正しい人の道
前回ああいうブログを書いたとたん、有名人が亡くなりましたね。(桂歌丸さん)やはり暗示していますね。このブログはこれから起こることをです。
最近ちょくちょくブログを書いているんですが、なぜだか分かりますか?(分かるわけないでしょうが。〔笑〕)
実はブログを書かなくなって一、二ヶ月すぎたころからでしょうか、便秘気味になってしまったのです。
私はどちらかというとお腹が弱くて(だから毎日ヨーグルトを食べているんですが)下痢になることはあっても、便秘になったことなどここ数十年なかったのです。(便秘など十代の頃になったくらいです)
ところが、このブログを書かなくなってしばらくしてから便秘気味になって、ちょこちょこしか便が出ずに一日、二日、便が出なくなるともうカチカチになって何度もトイレに行って、それでようやく一変に出るということが、何度もあったのです。(一変に出るものですからもう出す時に苦労すること苦労すること。〔苦笑〕)
それで何でこんなに極端に体質が変わってしまったのかと、最初は不思議だったんですが、そのうちに「ブログを書いていないからかな」と思うようになったのです。
それで大きな地震が起きて(大阪地震)こちらもずいぶん揺れましたので、それをきっかけにちょっとブログを書いてみようということにしたわけです。
そうしたらです。この二週間、そういうひどい便秘になることもなくなったので「ああやはりそうか」と分かったわけです。
結局、世に出さなければいけないものを(正法神理)出そうとしないと、自分が出さなければいけないもの(便)も出なくなるということでしょう。
だから、布施してもらえないからと、まったくブログ(正法神理)を書くのをやめてしまうのではなく、少しずつくらいは書いていかないといけないなと反省したわけです。
ここに書かれたこと(正法神理)は、多くの人に知ってもらわなければいけないことであるからです。
しかし、どちらにしても布施をちゃんともらえるようになるまではブログをしっかり書くことはしません。そうしないといつまでたっても布施をしようとする人が出てこないからです。(まあ、まったく書かなくても誰も布施しないんですが…。〔苦笑〕)
布施する人が出てこなくては、法が説けなくなるばかりでなく、法の信用までなくなってしまうからです。(正しい法を説いている人には少なくとも最低限の衣食住は与えられる。〔道心あれば衣食自ら足る〕その神理が間違いだということになってしまいますから)
それではいけないので、だから、布施をしっかりもらえるようになるまでは、ちゃんとブログを書かないといっているわけです。
このブログを読んでいる人たちは、法を伝えられているのなら最低限の実践くらいはするべきなのです。それが法を伝えられている人たちの最低限の礼儀であるからです。
そのことをいつまでたっても理解しようとしないから不幸になるのです。
このブログを見ている社会人の人たちは報恩の行為くらいはするべきであるし、学生の人たちでも、法を伝えてもらっているのですから、私と道であうなどしたら、感謝の心で頭を下げるくらいのことはすべきでしょう。
それくらいの恩は私にあるはずであるからです。
それなのに、誰も頭を下げないどころか、私にあうと嫌がらせをしていくというのですから、これではいいことが起きてくるわけがありません。(だから罰が当たるのです)
この辺りで起きている多くの不幸は、法を説いている人に対する態度のあまりの悪さにあるといい加減、自覚すべきでしょう。
その態度さえ変えるのなら、多くの人に奇跡が現れてくるからです。
だから、そのような不遜な態度を変えない限り、この辺りで起きている不幸は止まりません。
早く行いを変えてください。そうすればこの辺りで起きている不幸はたちまち奇跡に変わるからです。(この辺り、ずいぶん多くの人がこのブログを読んでいるのに感謝一つなしですから。ほんと信じられない態度です)
どちらにしても、このブログを読んでいる人たちの多くが(昨日はまたウナッシーさんに布施してもらいました。ありがとうございました)報恩の行為をしないということが、日本に不幸が次々に起きている大きな原因の一つとなっているのです。(それだけ法を説いている人への間違った態度は天を怒らせるということです)
日本にこれ以上の不幸を起さないためにも、早くこのブログを読んでいる人たちの態度が変わることを願ってやみません。
これまでのこのブログを読んでいる人たちの態度は、法を伝えられている人たちの態度とは程遠い不遜なものでしかないからです。
法を伝えられている人たちが不遜な態度を取っているようなら、不幸なことしか起きてきませんし、だから、このブログを読んでいる人たちは不幸になる人が多いのです。(この辺りの人たちだけでなく、最近、有名人に死ぬ人が増えているのも、その不幸の一つの現れでしょう)
自分たちの態度がまったく道に外れたものであるからです。(法をきいていながら何の報恩の行為も行わない、これほど人として道に外れた行為はありません。それを多くの人は知らないだけなのです。だから不幸になるのです。一番大事なことをいつまでたっても理解しようとしないからです)
このブログを読んでいる人たちは、そのような不遜な態度をやめ、法に謙虚になり、喜んで報恩の行為を行ってください。
そうすれば、そのような人たちには、次々に奇跡が起きてきて幸福になっていくからです。
というより、それが正しい人の道であるからです。
(もう私のいうことをきく以外、救われる道はないのですが…まだ分かりませんか?)
追伸…サッカーのワールドカップの日本の戦いが終わりました。(ベルギーに3-2の逆転負け)
しかし、今回のワールドカップほど日本チームが話題になったこともなかったのではないでしょうか。
もちろん例のポーランドとの予選でのあの戦い方でです。(最後の十分をパス回しだけで終わらせた)
あの戦い方には賛否両論があるわけですが、法の観点からすればです。もちろんあの戦い方は正しくないということになります。
どういう状況にせよ、最後まで死力を尽くして正々堂々と戦うことが正しいからです。
だから、あの試合の後、私は「決勝トーナメントに行っても日本はすぐに負けるだろうな」とそう思ったわけです。
案の定そうなったわけですが、ただ、その負け方が凄かったですね。最後の最後に逆転負けを食らったというのですから。(だいたい負け方が凄いです。後半に二点を入れて〔普通、サッカーで後半に二点も入れたら負けないでしょう〕その後、後半残り時間が少ない中からベルギーに、二点入れられて最後の最後のアディショナルタイムにもう一点入れられて負けるというのですから。ちょっと考えられないくらい悔しい負け方をしています〕
こうなってしまうのです。こういう凄く悔しい負け方をしてしまうのです。因果応報です。(結局、それくらいああいう試合をされて、決勝トーナメントに行けなかったセネガルチームとセネガルの国民は悔しかったということです。その同じ苦しみを日本チームと日本の人々は味あわされたということです)
だから、試合ですから少々の駆け引きは仕方ないとしても、最後まで正々堂々と戦わないといけないということです。
自分たちだけではなく、相手チームだけではなく、他の多くの人たちの思いも大きな大会であればあるほど関係してくるからです。(それなのに自分たちだけ決勝に出られればいいなど、これほど自分本位な考えもありません)
原因結果、作用反作用の法則はどこでも作用します。悪い原因はつくらないことです。
そうすれば黙っていても幸福の道はついてくるからです。
(だから、ポーランド戦で、日本チームが正々堂々と最後まで戦って、そうして決勝トーナメントの道を進んでいたのなら、あのベルギー戦は勝っていたということです。普通であるならどう考えても勝てた試合であったからです)



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