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9月 17 2018

易・占い

11:13 AM ブログ

正法誌 1984年十一月号より抜粋

<高橋信次先生のことば

易・占い

〔問〕易、占いと、正法(正しい秩序、正しい法)との関係を、どのように理解したらいいものか、説明してください。

易、占いと、正法とはまったく関係がありません。人にはそれぞれ運、不運があり、明日の生命すらわからないのですから、易や占いによって開運をはかり、あやまち少ない人生を送りたいと願うのは人情であり、仕方のないことだろうと思います。

しかし、易・占いは、もともと、過去の統計を基礎にしてつくりあげられたもののようであり、また、これを見る人の条件と相手によって、その結果が違ってくるようです。そのために確率七分というような平均値が出てくるようです。もっとも人によっては、はずれたことはないと自信を持たれる方もあるようですが、しかし当たりはずれがあること自体が、易・占いの限界を示すと同時に、易・占いは現世のみ基本に置いて「ものを見る」という欠陥があります。

現世があるのは前世があるからであり、輪廻転生の歴史があるわけです。そのことを考えずに、ただ現世だけの運、不運を見立てようとするところに無理があるわけです。

人の一生が、占いや生年月日、姓名判断などによって決められ、あるいは変えられるとすれば、いったい人は何のために生まれてきたのか判断に苦しみます。ことに占いの目的が、人間が幸福を求めるのはそれはそれでよいとしても、不幸を避け、常に安楽を追求するとすれば、問題は非常に大きなものになります。

人生の目的は、魂の修行であります。己の魂を磨き、苦楽に対する執着から解脱し、平和に満ちた人間らしい人間としての自覚と、地上に仏国土を建設するのが人生の目的であります。

神の子である真実の人間であることを自覚するならば、易・占いに迷ってはならないのです。なぜかといいますと、人間は易・占いを越えていくものであるからです。

今月のいい方位は西南で、東は鬼門に当たる、今年は厄年だから静かにしていよう。星占いから見た生年月日では、いい年になっているからやりたいことをしよう、という具合に人が動くとすれば、占いは自己保存をつくりあげ、開運の名の下に、人は多くの執着を心の中に育て上げていくことになります。

人の一生は平坦ではありません。山あり谷ありで、好んで難を受ける必要はないし、難を避けたいのは人情ですが、だからといって開運に執着すると、今度は、ああしてはいけない、こうしてはいけないで、不自由な人間が出来上がります。そうなると開運のためだと思っていた占いが、ついに不運を招く原因をつくっていくことになります。

人生の目的は魂の修行にあるのですから、易や占い、生年月日で“悪い”という結果が出ていても、必要であれば決行しなければならないこともあるわけです。それを恐れていては何もできませんし、自分自身をよく知るのは、幸福な時よりもむしろ不幸な時であるのは事実です。

正しい生活には必ず現証がつきものです。

それゆえ正法を信じ、反省と正法の生活を送るならば、神は決してその人を見捨てることはされないでしょう。その不運を楽々と乗り越えられるようにされるでしょう。

人間は誰でも、ひとしく勇気ある人であってほしいと思います。

解  説

他力信仰をする人、易・占いに頼る人たちの共通的な欠点は、人はよいが気が弱いということと、知性・理性でものを考えるよりも、感情的にものを考えやすいということである。気が弱いということは自主性がないということであり、自主性がないというのは、自分で自分のことを決められないということである。

だからそういう人は、誰かがいってくれると、やっと腰をあげてやるということになる。

(中   略)

易・占いは「六千億産業」だといわれたのは昭和五十五年であるから、現在、日本人が易・占い、印相、墓相などに費やす金は「一兆円」を越しているかもしれない。

昭和五十二・三年、和泉宗章という人が「天中殺入門」を書いてブームになり、発行部数からして日本人の三人の内一人はこの本を読んでいるといわれたくらい売れて、和泉氏は何億という印税を儲けて金持ちになった。

金持ちになったとたんにこの人は易者をやめて、週刊読売に二二回にわたって「占い告発」を書き、易や占いは当たらないといい、それが「和泉宗章の“占い告発”」(読売新聞社刊)という本になった。この本の中には

大予言信仰の危険、病気、受験を占いで決めるのは傲慢、運命学で引き裂かれた夫婦、霊能者が誘った狂気、一人歩きする家相、相性のよい悪いはウソ、姓名判断のウソ、西洋占星術のウソ、易・占いのウソなど、とにかく運命学や易・占いの裏の手口がすっぱ抜いてある。

この本が出た以上、少しものを考える人ならもう絶対に易・占いに頼る人はなくなろであろうと思っていたのであったが、以前にもまして最近は特に西洋占星術が、それも小・中学生にまでひろがってしまって、ますますブームになっている。

「日本人はどうしてこうも無知なのか」

と思わざるを得ない。

人はそれぞれに過去の転生輪廻の経験が違い、また、この世に生まれてどういうことを勉強するのか、その目的も一人一人違えば、生まれた環境、その中での、しつけ、教育、また本人の心のあり方、努力、勉強の程度も違うのであるから、同じ星座の生まれだからといって、まったく同じ運命になるはずがない。

易・占いに頼る人の共通点は、起こった出来事に対してどうしてそうなったのか、反省しないということである。どうしたらいいのかということを真剣に考えないで、他力的に易や占いによって、あるいは名前を変えてみたり、印を新しくつくってみたりする。それでは一向に魂の進歩はないわけであるから、易や占いに夢中になればなるほど不幸が絶えないということになる。

自分を不幸といっている人の中には、個性が強く周囲の人々に順応できない人や、先見性、予見性があるために周囲に受け入れられないという人もあるから、そこは智慧を働かして周囲にしばらく同調するか、または自分を生かせる場所に移ればよい。

会社など、組織で仕事をするところでは、上役に人を見る眼があると能力のある個性の強い人は伸びるが、上役が無能で人を見る眼がないと、能力のある人ほどつぶされて不遇になりやすい。そういう時に不平をいわないで、余力を本業以外の自分の勉強したいことにふり向けて、自分の人間性を向上し、自分の知識を高めることに努力する方がよい。現在の日本の一流会社の社長でも、若い時に左遷されて、それでくさらないで一生懸命勉強しているうちに会社全体の風向きが変わって、出番が来て認められたという人が多い。

不遇な時に不遇だといって不平をいったり、易・占いに凝るよりも、じっくり自分の力をつける方が運命は早く開けていくのである。>

園頭先生は、よく正法誌の中に高橋先生のご著書の中から文章を抜粋されて、それに解説を加えていられました。

今回、抜粋したのも、そのようなところなんですが、前回のブログの追伸に現在のカトリック教会のおかしさ(異常さ)を書いておいたのですが、今回のブログも易や占いのおかしさを書いたものです。

黙って座ればピタリと当たる、などという、うたい文句で人を集めている占い師がいますが、その占いはこの世のことだけを対象にしたものであり、当たる人もいれば当たらない人もいるということです。

占いは、過去の統計を基礎にしたものであり、まったくのデタラメというわけでもないからです。

これまで、そうなる人が多いというのですから、そのような傾向性はあるのでしょう。そこに、その占いをききに来た人たちの性格をプラスするなら、だいたい、今生に起きてくることは予想できるのです。

人は皆やっていることは似たようなことが多いからです。

しかし、この教え(正法神理)を勉強し実践するなら、そのようなありきたりの運命を越えていくのです。

だから、この教えを勉強している人たちに対する占いは当たらないのであり(当てはまらないといった方が正確かもしれませんが)占いをされて当たっているなどといって、喜んでいる人たちは、まだまだ(この世の)修行が足りない人たちであるといっても差し支えないのです。

だから、厄年などよい例なのです。

あんなの何か起きるわけがないのです。(男は四十二で女は三十三とか何とかいわれていますが)この世で勝手につくりだしたものに過ぎないからです。(だから私は厄払いも何もしていませんが、その年に何も悪いことなど起きませんでした。園頭先生も同じようなことをいわれていました)

人は前世もあって、今世でも使命と役割、これまでの修行課程など全部違っているのですから、人と同じことが起きるわけがないのに、ありもしない厄などというものを怖がる、その怖がる心が厄を呼んでいるのです。(怖がる心も悪だからです)

前回のブログにも書きましたが、いつまでも間違った考えで間違った信仰など続けていて大丈夫なんですか。

それではもうよいことは起きてこないのです。

というより、そんな(末法の)心のままでいては、現在の日本は非常に危険なのです。

追伸…凄まじい災害が起きる『災害列島』と日本はかしてしまっているからです。

しかし、日本をこれだけの災害列島にしてしまったのは日本の人々なのです。(災害は天罰であるからです)

この辺りも含め、これだけ多くの災いを日本にもたらしている最大の原因は、このブログを見ている人たちにあるのです。

何年も前から平気で、このブログを(布施一つしないで)読み続けている人がたくさんいますが、そういう人たちにはもう多くの天罰がくだっているのです。(どこまでそれに気づいているのか、それは知りませんが)

これまでの常識がいかに間違っているのかはもう分かるはずです。(そういうブログを〔今回も含めてですが〕何度も書いていますので)

心を入れかえ行いを変えようとしないと、この先まだどんな悪いことが起きるか知れないのです。

自分たちに、その災いが起きてくる前に早く(このブログをボケッとただ見ているだけの人たちは)そのような危険な状況に気づいてほしいもです。

これだけの災いが日本に起きているのですから。

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