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9月 24 2018

道徳教育

11:01 AM ブログ

しかし、子供が癌になるなど本当に世も末ですね。(時代が変わってきたとはいえです)

昔は子供が癌になるなどあまりきいたことがなかったんですが、やはり昔より心が固く毒がたくさん詰まっている子が多いのでしょう。

そういう心が自分の体に癌をつくり出してしまうのです。

心が柔らかくて毒が少なければ癌になることはありません。子供より大人の方が(特に年をとった人の方が)癌になる確率が高いのは、身体の問題ではなく、そのような心が問題であるのです。

子供より大人の方が断然、心が固くて(頑固で)毒素も一杯詰まっているはずであるからです。

だから年をとればとるほど癌になる人が増えるのです。年をとればとるだけ、そのような頑固で心に毒が詰まっている人が増えて来るからです。

しかし、心が素直で柔らかい(だから当然毒素も少ない)はずの子供たちが癌になるようになって来た。

これは、それだけ子供の心が素直で柔らかくなくなって来ているということになります。

それは、昨日も少し書きましたが、そういう心の教育がなされていないからです。

こういう状況になって来ると、もう小さな時から、心の教育をよくするとしないでは、命にかかわる問題になって来るということになりますが、昔と今ではどれくらい心の教育(道徳教育)が違うのか、ちょっと書いておきましょう。

正法誌 1984年、十一月号より抜粋します。

<どういうわけかこの朝、小学校五、六年頃の私の愛読書の中の一冊が(愛読書といっても子供のことであるから、そんなにたくさんあったわけではないけれども)婦人倶楽部の附録の「礼儀作法」の本であったことを思い出した。早く大人になりたかった。そういう心がこの本を読ませたのかもしれない。とにかく一人前の大人が、心得ておかなければならない礼儀作法は全部心得ていて、大人になった時に恥をかかないようにというよりも立派な大人としてふるまいたいということで、学校の勉強の暇で、自分が大人になった時のことを考えながら「こういう時には、こうするのだな」と、その情景を想像しながら読んだ時のことを思い出した。

(中  略)

そういうことから思い起こされたのは「道徳」のことである。現在の若者は道徳を知らないといわれるが、知らないのが当然である。学校でも家庭でも「人間はこういうことをしなければいけない」とか「こういうことはしてはいけない」と、はっきり教えられたことはないのであるから、知らないのが当然である。私は立派な大人になろうと礼儀作法の本など読んだが、今の子供たちはマンガばかりである。道徳を知らないといって若者を批判する前に、責めなければならないのは、教えるべき時期に、教えるべきことを教えなかった親や教師の責任である。

六月十八日サンケイ新聞「正論」に、京大教授市村真一氏が、次のことを書かれた。

「教育荒廃の根はどこにあるか、真の道徳を知らぬ親と先生」

昭和十二年 中学生の教科書「新日本修身」には、どのような徳目が教えられていたかを列挙してみよう。

巻一 国民の自覚、学校、師弟、友人、智能の啓発、身体、作業と趣味、近隣、家族、孝行、兄弟、他人に接する時、報恩、徳器の成就、勇気、同情、倹約、祝祭日と国風、皇室と国民、国民道徳の要領、時勢と詔勅

巻二 立志、偉人の伝記、言語、容儀、身体、反省、国土郷土、家族(親子、祖先、兄弟、姉妹、親族、経済)社会団体、公正、寛容、我が国体、皇祖皇宗、国法、忠君、質実剛健、案逸奢侈、誠実、公益、博愛

巻三 幸福、勤労、職業、立志と成業、勉励と努力、節制、友人関係、信実と軽信、名誉、恭倹、勇気、敬神祟祖、忠君愛国、協同と秩序、責任、男女夫婦、社会事業、海外発展、国際関係、青年敬愛の教

巻四 国民文化(文化の意識、学術技芸、芸術)国民道徳と政治、国民道徳と経済、身体の意識、時代思潮、行為の動機、良心と至誠、意志の修養、感情の修養、人格、個性と職分、自由と服従、個人の真意義、社会と道徳、国家国際親和と人類福祉、維新、我が国民性

巻五 国民道徳、国体の淵源、我が国忠孝の特質、我が国忠道の発達、国民道徳の発達、祭祀、教育に関する勅語、現代の道徳思想、思想問題、社会問題、婦人問題と結婚、財産の論理、道徳的感情、世界の文化と我が国民、公民、道徳の力、皇運の扶翼

これら五巻の修身教科書を通覧して感じられるのは、実に親切丁寧に少年に向かってーーー少女に対しては別な教科書が用意されていたーーー日常の生活の中で、自分を磨いていく上での「心がまえ」が説いてあることである。

身体、作業、容儀の重視

大方の人々にとって以外かも知れぬと思うのは、身体、作業、容儀のあり方を極めて重視してあることである。

例えば、その細目を示すと、

身体、体育、体操、教練、武道、競技の精神、技能、趣味、娯楽、作業、健康と節制、療養の途、健康と飲食、身体の修養、労働、労働は人の義務、国民と勤労、勤労と報酬、徳器成就と節制、飲酒喫煙、節制と理想、身体の強弱、栄養、鍛錬、休養、外貌と精神、容儀態度、礼儀作法、内心と外形、応待、服装

といった次第である。

そこには、心身を一如と見、外に身体態度の端正をはかって、内に徳を修めようとする東洋古来の教えがある。

今の少年少女は、これらの徳目のうち、一体どれだけのことを教えられているのであろうか。きちんとした教科書はなくとも、あらゆる科目を通じて道徳教育はできる、などという考えは、教育の重大さとむつかしさを知らぬ者のたわごとにすぎない。

釈尊は「無明」即ち、本来知らなければならぬことを知らないのが、一切の苦の原因であるといわれた。何も教えられることなく、ほっておけば三、四歳の子供が、ひとりで国語、算数、理科など、大学で教えられるような学科や人の生きる道としての道徳などを勉強していくであろうか。そういうことは絶対にない。

「人は教えられて、はじめて人間になるのである」

教えるべきことはしっかり教えなければいけないのである。>

園頭先生は、このように道徳教育の大事さをいわれていましたが、このような人としての生きる道を小さな時からしっかり教えていくなら(釈尊は苦の原因は知らないことで起きるといわれているのですから)先々、苦労することも減って、心に毒をつくることもないということになります。

昔の子供に癌が少なかったのは、このような道徳をよく知っていたからであり、それで心に曇りをつくらず(心に毒を入れることもなく)ひどい病気になることもなかったということです。

今の子はこのようなことを知りません。(教えていないのですから知るはずがありませんが)今年から小、中学校で道徳教育が始まりますが(中学校は来年からですか?)これからこのような心の分野はしっかり教えた方がいいということです。

そうしないと(ある程度人間として心が出来ていないと)これからは(先ほどもいいましたが)命にかかわることになるからです。

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