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10月 04 2018

滅び

10:23 AM ブログ

正法誌1985年、十二月号より抜粋。

<高橋信次先生の言葉

布  施

布施というと、いかにも抹香くさいひびきを与えるが、布施の意義は、感謝の心を報恩として形に表していくことである。このため、物を献ずる、金を上げることもその一つだが、人にはそれぞれ得手、不得手がある。自分のもっともしやすい方法で人々に奉仕することが、立派な布施になるのである。

正法から布施を抜いたら正法でなくなる。なぜかというと、布施は、正法を信じ、神理を行ずる者の証であるからです。

正法には三つの柱がある。その一つは大宇宙を支配する大意識の存在であり、その二は転生輪廻であり、その三は慈悲と愛の心である。布施の行為は、慈悲の心の現れである。

慈悲は神の心から生まれる。それは、万生万物に光と熱とを惜しみなく与え、生きとし生ける者に、エネルギーを供給し続けている太陽の姿に現わされている。正法を行ずる者は、当然このような立場に立って、人々に接して行くものでなければならない。正法を信じながら、行為として布施が出来ないようでは、その人はまだ本当の正法を理解したとはいえない。

私たちは、現実に生かされている。このことは何びとも否定できない。米粒一つにしても、自然の恵み、自然の環境、人々の協力があってはじめて出来るのである。洋服にしろ、靴にしろ、そのほかもろもろの生活用品は、すべて自然の条件と人々の協力の賜物である。

この現実をよく考えるならば、感謝の心が芽生えてくるのは当然のことである。今日のわが国は、物が豊かになって金さえ出せばなんでも手に入る。そのため、ややもすれば、人々の協力や物に対する感謝の心が失われ、何とはなしに過ごしてしまう。

人間は自分を過信したり、感謝の心が失われてくると、動物以下に成り下がってしまう。どんなにうまいことを百万言しゃべっても、行為のない人が行くべきあの世の世界は、現世では想像できなほどの苦界であることを知るべきである。人が逃避的になったり、世を怨んだり憎んだりするのは、多くの場合、どうしてそうなったのかの事実を理解することが出来ないでいる場合が多いのであるから、よくよく心しなければならない。

人はまず、素直に今ある生活環境に目を向け、生かされていることの現実に感謝しなければならない。

正法者は、このような現実を素直に認め、感謝の心を報恩として、形に現して行くべきである。慈悲の心は神の心であり、その心は布施となって、無理なく、自然に行えるようになることが大事である。魂の前進、向上は、布施という慈悲の菩薩行を通して、はっきりと約束されよう。

解 説

現在の宗教指導者は、布施とは本山や本部、神社仏閣に献金することだと説いているために、しかも、現世利益を説いているために、献金しては願いごとばかりをしていて、大宇宙大自然の恵み、人々によって与えられた恩恵に感謝することを忘れている。感謝の心が失われてしまって、何ごともすべて当たり前だと考えるようになったのは、家庭教育、学校教育の罪でもある。

(中  略)

正法を行ずる者は、すべての人に、すべての物に感謝しなければいけない。>

最近は日本同様、この辺りの現象も激しくなっているようです。

異常なトラックの減り方でもそれは分かるのですが(また一段とトラックが減りました。もう普通車の方が断然多くて〔少し前まで道路を走る車はトラックの方が多かったですから〕トラックは普通車の一~二割くらいしか走っていないのではないでしょうか)道路を走る車自体も少なくなっていて、いつも道路はガラガラ状態なのです。(平日も朝も夕方もそうです。この辺りはです)

どこに行ってしまったんでしょう。名古屋の車はです。

トラック自体もたくさん走っていた頃に比べれば、二~三割くらいしか走っていないのではないでしょうか。その走ってくる二~三割のトラックも半分くらいは他の地域のトラックで(三重や岐阜、尾張小牧など)名古屋ナンバーのトラックなど少し前と比べたらもう一割か二割走っていればよい方です。(前はこの辺りで見かけるトラックはほとんどが名古屋ナンバーでしたから)

ということはです。

すでに名古屋のトラックの運転手は滅ぼされたといっても過言ではないのではないですか。

わずか、一割や二割くらいのトラックの運転手など代わりの運転手でどうとでもなるからです。(というか、最低それくらいの数は維持できるということです。誰か彼か、他の運転手を使ってです)

転職した人もいるのでしょうが、そんなにたくさんの人がトラックの運転手から転職したとは思えません。まあ、全員が全員、いなくなっているとは思いませんが、私にブシュとやって走り去る、多くの運転手がいなくなっているのは確かでしょう。

これだけ走るトラックが減っているからです。(何でいなくなっているんでしょうか?本当に癌かなんかですか?)

それはトラックだけではなく、バスや電車も同じようなものだと思うんですが(人が代わって運転を続けているだけでです。皆、怒っていますから)だとしたら、ずいぶん恐ろしいことが起きているようですが、その自覚は運転手の人たちにはあるんでしょうか?

もう、自分たちは滅ぼされつつあるという自覚はです。

これを私一人のせいにしているというんですから、いやはや凄まじいの一言なんですが(ほんとマジですか)これは、嘘でも大げさでもなく、事実起きていることなのです。

だから、最初に高橋先生や園頭先生がいわれている布施の部分を抜粋したのです。

それをしなければもうこの辺りの運転手の人たちは滅ぼされると思うからです。

この辺りの運転手が滅ぼされれば名古屋の人たちも同じでしょう。(名古屋だけではなく東海三県あたりもですか。その辺りの人たちにも似たようなことが起きているはずであるからです)そうしてそれは、日本も同じなのです。(これだけ集中して天変地変が起きているのですから)

魂の前進、向上は『布施』という慈悲の菩薩行を通してはっきり約束されるのです。(そう高橋先生が書かれています)

その魂の向上がなければ、この時代を生き抜くことは困難なのです。

そういう時代がすでに来ています。

それを無視しているのなら、そういう人たちはもう滅ぶしかないのです。

追伸…沖縄知事選は前知事と同じことを主張している候補者が当選したようですね。

しかし、同じ考えで同じことを主張するのなら、また同じことが起きるのではないでしょうか。

そのような前知事の考え方が間違っていたから、前知事はあのようなことになったからです。

もう間違った考えでいると、すぐに罰が当たる(自浄作用が起こる)そういう時代になっています。

くれぐれも判断は間違えないでほしいものです。

(台風二十五号が沖縄に迫っているようですが〔沖縄の人たちがおかしな知事を選ぶからです〕もう滅びそうなところばかりです)

2コメント

2 コメント to “滅び”

  1. うなっシー2018/10/04 at 7:32 PM

    今日は週に一度の外来で病院にリハビリを受けに行きました。受付で順番を待っていると、退院間近に同じ部屋過ごした方と会って今週末に退院だと聞いてその方の順調な回復を喜んでいました。そのうち私も順場が来たので時間内の訓練をしっかりと受けて終了となりました。部屋から出ようとするとさっきの同じ部屋の方が待ってました。するとこちらに向かって、明後日退院です、もう私と会うのが最後になるので挨拶をすると言うのです。それは嬉しかったですね。同じ手術を受け経過や過程を話し合ったことを思い出すと、良い方と出会えたと思うと同時に、この方とのお別れが病院で過ごした一区切りが着いたような気がしました。約一ヶ月過ごした病院生活を同じ部屋で共にした最後の方であり、縁があって出会った方々の健康と回復を神へ祈った事があったからです。そして、その祈りが効かれたように、満面の笑顔で応えて下さったそれこそが私の心に特別なものと感じ取ったのでしょう。まだ暫くは病院にお世話になるので、神を忘れずに現役復帰まで頑張りたいと思います。

  2. gtskokor2018/10/04 at 8:09 PM

    頑張ってください。

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