10月 17 2018
親が与える子供への影響
前回、親離れできない女優さんの子供のことを少し書いたのですが、少々内容は異なりますが、似たような親子の指導を園頭先生がされたことがあります。
その体験談が正法誌に書かれてありますので、それを抜粋しておきましょう。
1983年、二月号より抜粋。
<まず次の問題をみなさんに考えてもらいたい。
父親は十年前電々公社を定年退職、くも膜下出血をして思考力が鈍り、そこひで視力低下、痔を手術、趣味なし、視力がうすいので新聞も読めない。
母親は実に従順そのもの、地味で落ち着いた感じの人。
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私が鹿児島出身だというので、二十八才になる一人息子のことで相談に見えた。
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上に三人姉がいて、四人目の一番下がその息子である。その息子は、鹿児島県で有名な進学校に優秀な成績で入学したので、その子供がよく出来るというのが自慢であった。ところが高校二年になって急に学力低下、遂についていけなくなって、本人はやめるというのを親が「せめて高校は出なければ」といって、他県の親戚に頼んでそこの高校を卒業。早稲田に行きたいといっていたが不合格。明治大学に入学したが、後もう少しで卒業という時に「作家になる」といって退学して家に帰ってきて、作家になるためには経済力も必要である。ある程度金をためてから書く。それで税理士の資格を取って、資格を取ったらすぐ開業して、二人位使って金儲けをする。といって勉強しているというのであるが、昼はカーテンをしめて、一日中暗いところに座って、外出するのは一ヶ月に一日か二日で、それも本屋へ行ってすぐ帰ってくる。友達は一人もいない。
その息子と三人暮らしであるが、その息子が父親にいろいろ質問する。ところが父親はくも膜下出血の後遺症で頭の回転が鈍いので、さっと答えれない。するとテーブルを叩いて「こんなこと何で分からんのか」と大声で怒鳴る。恐くなってなんとか答えると「これくらいのことが分からんのか」とまた怒鳴る。朝飯も、昼飯も食べずに蜿蜒と六法全書を持ってきて抗議する。それが毎日ほどだというのである。まったく異状である。
そうして、自分の世話をさせるために母親とは一緒に暮らすが、父親には養老院に入れという。
とにかく二時間くらい話が続いた。
家庭裁判所や精神衛生センターに相談に行ったが「そりゃ困りましたな」というだけで何の解決策も示されなかったと。
「その息子さんは、年は二十八になって身体だけは一人前の大人でも、考え方はまだ子供じゃないですか。そんな勉強の仕方で税理士試験が受かるもんですか、第一、もし仮に合格して資格を取って開業しても、誰も来ませんよ。実務を知らないしかも年も若いとあれば誰が頼みに来るもんですか」
といったら「それを私もいうんですが、いうと暴力を振るうのです。先生のいわれるように、考え方がまったく幼稚なんです」と。
一体どうしたら、こういう問題は解決するのであろうか。精神科医なら「すぐに入院させなさい」というのであろうが、こういう人を精神病院に入れると「なぜわしを入れたか」と親を憎むことになる。電気ショックをやったり睡眠薬を多量に飲ませておとなしくさせることは出来ても、それでは人格喪失者になるだけで救いにはならない。
そこで私は次のような体験を話した。
それは昭和二十八年、場所は鹿児島県川内市草道、浜田新一という人があってそこへ行った時である。私が事業に失敗して宗教家になろうと志してまもなくの頃であった。何人かが集まられるというので、集まりを待っている間に私がこういう話をしていた。
それは私が二十一才の時、出征して湖北省の通城というところに行った陣地の中であった。
兵隊さんたちの話は食物の話が多かった。その内に思いを故郷に馳せて、それぞれ自分の妻や子供たちの自慢話が始まる。家にいる時はいがみ合っていたであろう人たちでも、すべてが不自由な戦地へ来てみると、妻のしてくれたすべてのことがなつかしく回想されるのであろう。いつ戦死するかも分からないという身であればすべてを子供に託したいと思うのもまた自然である。
その時、松坂という上等兵さんが「小隊長殿、隊長殿はまだ独身だから分からんでしょうが、自分の妻となると、人から見たらどんな不細工な妻でもきれいに見えるもんです。眼のふちがただれて、眼の廻りが真っ赤になっていても、金縁のメガネをかけているみたいに見えるもんです」といったことを今でも私は忘れられない。それぞれ思いに耐えたように妻や子供たちの話をしていると、話はいつのまにか『ああ、もう一度母のつくった「おはぎ」を食べたいなとか、もう一度母がつくった「お煮しめ」を食べたいな』とか、母への思いを募らせるのが常であった。
その日もそういう話をしている最中だった。ある上等兵さんが、
「黙ってきいとると、みなそれぞれ自分の家内や子供たちの自慢話をするけど、それならその家内と子供と一変に川の中へ落ちたら、どっちから先に助けるか」といった。
ちょうどこういう話をしているところに、子供のことで苦労しているというおばあさんたちが来られたのであった。私は話を続けた。
私も、自分が結婚していて妻と子供とあって、一緒に川に落ちたらどっちから先に助けるだろうかと考えていたが、すーっと答えは出てこなかった。
そうしたら一人がいった。
「あ、俺は子供から先に助ける。子供さえ助けておけば、女は世間には多いからまたもらえばいい」するともう一人はいった。
「俺は家内から先に助ける。家内さえ助けておけば、子供はまたいくらでも生まれる」
人によって、それぞれ愛情の比重の置き方が違うんだなと思って私はきいていたのであったが、そういうことがあったものですといって話をしていたところへこられたその人は「先生、昔の人が持たぬ子は泣かん」といわれたということですが、子供のことでこんなに苦労するくらいだったら、もう子供なんかいない方がよかったと思います。私の子供は上から三人が女の子で結婚していますが、それもあまり夫婦仲がよくないし、私のところは実は養子が五代つづいて主人も養子なんです。
主人は早く死んでしまったんですが、女の子が三人つづけて生まれて、ああまた養子をしなければならんのかと思っているところへ男の子が生まれたんです。この男の子が川内の高校を出て大阪へ働きに行っているんですが、あまり身体が丈夫でないので、一日働いては二・三日休むという調子で、ですから、もらう金では足りないし、毎月毎月、金を送れといってくるんです。仕方がないので送ろうと思っても、そんなに財産があるわけでもないし少しばかりあった田畑を少しずつ売っては金を送ってきましたが、実は昨日もまた「金を送れ」といってきて、もう送る金もなくなってしまいました。思案にあまってこの人に相談したら「それなら丁度いい先生が来ていられるから一緒に行きましょうということでつれてきてもらったんです。どうしたらいいもんでしょうか」という話であった。
戦地での話をしている最中に来られてさっきの話をきいていられたので私はその人にこう質問した。
「あなたはさっきの話をきいていられたでしょうが、あなたはもし、そのご主人が生きていられたとして、そのご主人と、その息子さんと一緒に川に落ちたらどっちから先に助けますか」
その人は、さてといって考え込むでもなく表情ひとつくずさず、いとも合理的に次のようにいわれた>
追伸…ブログは次回に続くのですが、安部総理が来年の十月に消費税を十パーセントに上げる予定と表明されました。
これだけ災害が続いていて、まだ一年もあるというのに、この時点でそういう表明をされるのは正気の沙汰とは思えませんね。(この一年で何が起きてくるのか分からないからです。それにアメリカや中国のこともあり、景気もどうなるか分からないし)
まあ、予定は未定です。
これだけ増税される総理ではまたどんな罰が当たるかしれないからです。
(消費税を二度も上げた総理など初でしょう。これもまた災害級ですね…だいたい、消費税を上げる理由をもう少し議論されてはどうでしょう。財源不足とか何とかいっていますが〔赤字国債1000兆円ですか。これってそんなにあせって返さないといけないものなんですか?だいたい返さないといけないの?政府が子会社の日銀にです???〕財源はまったく問題ないといっている専門家もたくさんいるのだし、それに消費税を上げても景気が悪くなったら意味がありません。〔消費税を上げて景気がよくなったことないんですよね〕景気がよくなって税収が増えないとその赤字国債も減らないのです。では、先にしっかりした景気対策をしないといけないのではないですか。やっていることが逆なんじゃないでしょうか)



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