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11月 13 2018

愛の実践

10:47 AM ブログ

今日の中日新聞に、例の中央省庁の障害者の雇用水増し問題で、厚生労働省は同省の職員の処分を見送るという方針を固めたと書いてありました。

厚労省以外でもこの問題の関係者の処分を公表しているところはなく、厚労省がいっている「道義的な責任はあるが、処分に値する違法行為はなかった」とする考えと、同じような考えのところばかりなのでしょう。

省庁はです。

この前ウナッシーさんのコメントにもありましたが、お上からしてこれです。

ずいぶん障害者の人たちは軽く見られているのではないでしょうか。(あの強制不妊手術の件もそうですが)

これが普通の人たち(健常者)なら、大問題になっているところでしょうが(差別だとかいってです。そのように大騒ぎする人たち〔左系の人たち〕が必ずいますから)障害者の人たちの場合、あまり騒がれません。

こういうのを本当の差別というのではないでしょうか。

先ほど厚労省がいっていることを書いたのですが、しかし、これからは、その道義的な責任が大きく問われる時代になるのです。

そのような道義的なことがしっかり出来ないと、次々に罰が当たる、そのような時代にです。

というか、すでになっているのです。

だから、現在の日本はこれだけ災いが集中して起きているのです。お上からして道義的なことが出来ていないからです。(官だけではなく政治家だってそうですもんね。道義的なことが出来ていない政治家はたくさんいます。というか、そういう問題が多すぎませんか?最近は特にです)

人の肉体しか見ていないから、このような差別が生まれるのであり、障害者であろうとなかろうと、同じ人間であることには変わりがないのですから、健常者と同じように扱うのは当然のことであり、また、そのような人たちが近くにいたのなら、人一倍、愛をかけてやるのがこれもまた神の子の人間としては当然のことなのです。(お互い様でしょう。自分もいつそうなるのかしれないからです)

そう口ではいっていても、実際には口だけの人が多いから、ウナッシーさんのコメントにもありましたが、障害者の人たちが不満に思うことがたくさん出てくるのであり、そういう差別的な行いを(普段から)しているから罰が当たる人も多いのです。

いま現在、日本中で悪いことがこれだけ起きているのも、普段から愛を実践する人が少ないから起きているのであって、自分たちの行いを反省して、もう少し愛を実践するなら、日本にこれだけ起きている悪いことも段々へってくるのです。

この辺りの人たちもそうです。

相変わらず朝からお怒りの人たちも多いのですが(ほんと朝からよくやります)悪いことを人のせいにして怒る前に、自分たちの行いはどうなのでしょう。

そのように怒っている人たちは愛の実践を何か行っているのですか?

少なくとも私にはしていませんよね。そういう人たちから私は嫌がらせしか受けていないからです。

しかし、私はそんな嫌がらせをしてくる人たちまで救っているのです。(このようなブログを通してです。そういう人たち全員がこのブログを読んでいますから)

そうして、祈りもしていますし(その祈りを嫌がる人もいますが、それは自分が悪いことをしているから嫌がるのです。いいことをしていたら私の祈りを嫌がるわけがありません。私は正しい祈りをしているだけだからです。ウナッシーさんがそのよい例です)説法もしています。

電車に乗っていても年寄りに席を譲ったり、障害者の人が乗ってくるなら、気を配ったりだってしています。

私は普段から、そのような愛の実践をしているのです。

そういう普段の行いが、自分自身に返って来ているのであり(だから、私には鳥や魚が寄ってくるような愛の現象が現れるのです。普段から愛を出しているからです)そのような愛の実践をしていない人たちが(愛の実践どころか、人に嫌がらせをしているのですから悪の実践しかしていないではないですか)よいことが起きるわけがないのです。

怒るようなことが起きるのは、自分が人に怒るようなことをしているから、そういうことが起きてくるのであり、それは人のせいでも何でもなくすべて自分のせいなのです。

自分たちの罪を人のせいにしている暇があるなら、自分の行いを反省し、行いを変えませんか?

その方がよほどよいことが起きてくるからです。

どちらにしても、もう自分の行いを変えない限り、にっちもさっちもいかないというような人たちが(悪いことしか起きないという人たちが)この辺りにはたくさんいるようです。

そういう人たちは自分の行いを変えることです。普段から、愛の実践を行うことです。

そうすれば、よいことは黙っていても起きてくるからです。

いつまでも怒っているだけ、差別しているだけ、では進歩はありません。(もう危ないのです。そういう進歩のない考えでいつまでもいてはです)

愛の実践を行ってはどうでしょう。

それが人だけではなく、自分自身をも救う道であるからです。

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