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12月 11 2018

この教えの偉大さ

10:52 AM ブログ

本当に皆さん、引きつった顔をした人が多いですね。そうして細かく怒っています。(最近は怒り方が変わってきました)

昨日でも銀行に入ってATMを操作していたら回り中の人に鼻をすすられました。

半分呆れて(あまりにあちこちの人がそんなちんけなことをしてきましたので)さっさとやることやって「皆さん、ずいぶん熱心に私のブログを読んでいるようですね。分かりました。では、心の汚い人たち、滅びても元気で」と捨てゼリフを残して出てきました。

グダグダグダグダ怒っている暇があるなら、これまでの自分たちの行いをさっさと反省し、この教えに帰依すればいいのです。

そうすれば、そんなにビビることもないからです。

もう、歩いていても、そこらじゅうの人がそんな感じです。(まあ、無理もありませんが。この車の少なさを見ればです)だから、そこらじゅうで「いつまでも心を入れ替えようとしない、心の汚い皆さん、滅びても元気で」といいっぱなしでした。

自分たちの深刻な状況をよく理解してほしいからです。(ほんと、そんな態度を取り続けていれば自分たちもじきにいなくなるでしょう。運転手連中のようにです)

もう少し、この教えの凄さ、偉大さを書いておきましょう。そのようにいまだグダグダしている人たちのためにです。

前回のブログで書いた正しい祈りは不思議な奇跡を次々に起こします。

例えば、正しい祈りをするなら、修復不能と思われるような夫婦でも奇跡が起きてよりを戻すということも可能なのです。

最近はすぐに別れる夫婦も増えていますが、せっかく夫婦の縁を持ったのなら(そんなに簡単に夫婦となるわけではないのですから。過去、様々な縁を経て今生夫婦となっているのですから)とことん一緒にいたらどうでしょう。

その方がよほど心の勉強となるからです。

まあ、結婚していない私がそのようなことをいうのもなんですが、一つ、二つ、正法誌から園頭先生が指導された夫婦の体験談を書いておきましょう。

1987年、三月号より抜粋。

<丁度この原稿を書こうとしている時、ある人からの手紙が来た。

女心のあやしさは、女が自分の本心を掴みきれないところにある。もちろん、男もそうであるが、まず手紙を紹介しよう。

「先月はお返事ありがとうございました。

先生よりお返事いただく前に主人と別居生活をはじめました。やはり主人の浮気は許せませんでした。浮気して帰宅して子供を抱いたりすることがとても不潔で、ましてや風呂に入られたりすると、もう風呂をきれいに洗ってからでないと入れませんでした。お茶碗もお箸も、主人のさわったものは全て不潔でどうしようもなかったのです。同じ部屋で寝られるのも嫌、下着は全て焼き捨ててしまいました。それに加えて主人の考え方。結局合意の上で主人が家を出て行きました。出て行って一ヶ月が過ぎようとしております。

私は主人を心から好きでした。だから、よその女性と浮気することは絶対に許せませんでした。なのに別れて住んでも、そうすれば心は晴れて明るくなると思っていたのに、心は一向に明るくなれず、今は主人に対して、どこでどのように生活しているのか、家を借りているのか、洗濯はどうしているのか、ひどく心を痛めています。

結局、私自身がダメになってしまいました。子供を思うと申し訳なくて、この寒空で主人はどうしているのかと思うと心配で、私はどうしたらよいのか、とても苦しい思いをしています。

私にとっては、どんな男性が、どんなにやさしく言葉をかけてくれても、やはり私には主人しかないと思うのです。

でも今さら、お互いに許せないと憎みあって別居してしまった以上、主人は戻ってくれないと思いますし、今まで以上に相手の女性と強く結ばれていると思うと、私はなんと愚かなことをしてしまったのかと後悔してやみません。

私はもう許されない罪を犯してしまいました。救われる道はないのでしょうか。

私は主人のことについて、どう子供に詫びたらいいのでしょうか、途方にくれるばかりです。もう救われる道はないのでしょうか。愚かな私にもう一度お力をお貸しください」

憎しみに変わる愛は本当の愛ではないのであるが、そのことが分かるためにはいろいろな経験をしなければならない。最初から愛し合うことを約束した夫婦であってすらも、お互いが本当に分かり合うということはいろいろと時間のかかることである。

別れた後でそうではなかったと気がついて、また一緒になったという夫婦は幸せであるが、そうだったと気づいてももはや一緒にもなれず、愛し合いながらも別々に別れて暮らさなければならないということは悲しいことである。

そうした悲しみを経験しないために、だからこそ賢明な妻は、男が浮気をするのは、妻を愛しているからだということもあるということを知らなければならないのである。男が妻に求めているものがある。それを妻が満たしてくれない時、男はつい他の女性にそれを求める。その女というのは、妻とはまるっきり反対の性格を持った女性である場合が多い。

自分の心も分かってもらえず、妻に出て行けといわれて、下着も全部焼き捨てられた夫は、表面では強がりをいっても心の中では自分の出来心を反省しつつ、心の中では泣いて家を出て行ったことであろう。

こういう時、妻が大きな心で自分を赦してくれたとしたら、その夫はどんなにか感激して変わらぬ愛を誓うことであろうか。

だから、妻は母となることによって成長し人格が完成されていくのである。

新聞や雑誌の人生相談欄には、夫が浮気した場合はすべて夫の不貞をなじって、そんな男とは別れなさいという答えばかりが書いてあったが、本当に別れてしまった妻たちは、それで本当に幸せになったのであろうか。私はそれをきいてみたい。

正法会ではこういう時、どう指導するのか。人間は霊的存在である。人にはそれぞれ守護霊や指導霊がいる。

こういう時、次のような順序で祈るのである。

一、夫のニコニコしたやさしい顔を心の中にしっかり思い浮かべる。あるいは、その夫が、自分の眼前に座っているように思い浮かべてもよい。

二、その夫に対して心の中で、また、少し小さな声を出していえばなおよい。

「あなたは神の子です。私も神の子です。あの時はあのようにいいましたが、しかし、私は心からあなたを愛しているということがよく分かりました。

わたくしのためにも、子供のためにも、あなたは大事な方であるということが、今よく分かりました。すみませんでした。どうぞ早く家にお帰りください」と祈る。

三、次に、夫の相手の女性の人を想念して、次のように祈る。

「私があなたを怨んだことをお許しください。本当は私の愛が夫の心を満たしておりましたら、あなたとの関係も出来なかったのでありました。本当は私が仕えなければならないところを、あなたが満たしてやってくださいましてありがとうございます。同じ女性の立場として、今のままではあなた自身も、こういう関係はよくないと考えていられると思います。

私も夫と別れてみてはじめて、私がどんなに夫を愛しているかよく分かりました。

あなたもどうぞ心から幸せになってくださることをお祈りいたします」

その女性が本当に幸せになっている状態を心の中にしっかりと想念する。

お互いに、夫もその女性も、そうなったことをそれでよいと思っているわけではない。

どちらもうしろめたい心を持っているのである。こういう関係をこのまま続けていても、どっちも幸せになれないということは、それぞれ二人がよく知っているのである。そういうことを感じていても、どちらもそれを表面に出さないだけのことである。

そういう祈りをすると、それぞれの守護霊、指導霊が心の内面から働きかけて、二人の間に気まずくなるような状態をつくり出してしまって、やはりこのままではいけないと思うのである。

そういう祈りをしておいて、

四、夫に直接、または人を介して、帰ってきてもらうように伝える。

五、夫を赦して、また、自分も十分に反省しているのであるから、大きな母の心で夫を受け入れるのである。

私がこういう問題にはじめてぶつかったのは昭和二十九年、まだ鹿児島にいる時だった。その人は鹿児島市の次に大きな市で、タクシー会社と自動車学校を経営して成功されたのであるが、その夫婦は上海で恋愛結婚をして引き上げてこられたのであった。

終戦後の日本内地には、まともな自動車は全くなかった。その人は上海でタクシーをやっていられたのであるが、鹿児島、宮崎、熊本、大分の四県を股にかけて、例えば大分は大分で、使えなくなった自動車を買い集めてはそれをばらしていい部品だけを取り、それを組み立てて走れるようにして売るという仕事をしていられた。

だから、大分なら大分にいかれるとそこに一ヶ月も二ヶ月もいて組み立てる。そうなると、そこで世話してくれる女性が出来て、大分に一人、熊本に一人、宮崎に一人、鹿児島に一人と、四人の女性が出来て、それに子供が六人生まれた。その本妻の人には子供がなかった。生活費もろくろくもらえなかった。

私はその頃、鹿児島本線沿いの湯之元という温泉のある町にいて、その本妻の人は私の家まで訪ねて来られた。

私は、相手を神の子として祈る時、その祈りは必ず相手の魂に通ずることを知っていたので、その四人の女性を怨んではならないこと、その四人の女性が本当に幸福になることを祈ること、そうして、夫に対しては、自分が妻として足りなかった点を心の中で反省して詫びること。夫が帰ってきた時にいつもと変わらぬ顔で笑顔で迎えることを話した。

それから一ヶ月位して、その四人の女性たちは「私は○○の世話になるのはいやになりました」とか「妹が大阪にいますので大阪に行きます」などと、わざわざその本妻の人に告げて別れていかれた。

無理に別れさせようとすると、それぞれ子供もいた間柄であるから手切れ金を要求されてもしかたのないところであったが、それぞれ魂の要求に従って自発的に別れて行くということになって手切れ金は一銭もいらなかった。

そうしてその夫は完全に奥さんの元へ帰ってきた。そうなってある時、その奥さんが来られた。

「うちの主人は上海でタクシーをやっていましたし、動ける車が一台あります。あの町にはまだタクシー屋がないので主人にタクシーを始めてもらいたいと思いますが」といわれるので「ああ、それが一番よいです」といってタクシー屋を始められた。戦後の復興とともに段々大きくなって、昭和三十五年、私が鹿児島を離れる頃には車が三十台いる大きなタクシー会社に成長し、その後、自動車学校もつくられたのであった。

神の子の実相を見つめてする相手への祈りは、必ず通ずるものであることを教えてくれたのは私の妻であったが、そのことはいつかまた書くことにする。

夫婦というものは、いろいろな試行錯誤の中から調和を見出して魂を向上させて行かなければならないものである>

園頭先生は、女性は母となって完成するとよくいわれていました。

妻が(妻という立場だけでなく)夫の母となって夫を成長させるなら、夫はさらによくなっていくでしょう。(だから、妻が母となって夫を教育できるなら、どんな粗暴な男も〔いま問題になっているすぐに煽り運転などするような男でもです〕またどんな甘えているような男でもしっかり教育できるということです。母なら自分の子供をどのようにも教育できるからです)

夫婦というものは(キリストがいわれたように)一体なのであり、同じように成長していかないといけないものであり、一方だけが悪いというものではないのです。

自分も悪いところが必ずあるのであり(だから自分たちに悪いことが起きるのです)そういう自分の悪かったところを反省し、そうして神に(すべての人は神の子であるという神の実相を)祈るなら、必ず奇跡は起きるのです。

そのように(正しく、ちゃんと奇跡が起きる方法を)教えているのは、この教え(正法神理)だけなのです。

この教えの偉大さを少しは理解いただけるでしょうか。

追伸…改正水道法が成立したものですから、うちの河村市長が水道の民営化を検討するとか何とかいいだしましたね。(昨日ニュースでそんなことをいっていました)

おまけに、カジノを、三重県のナガシマリゾートの辺りにつくりたいとか勝手なことをいっているようですし(なんで他県のことを名古屋市の市長が勝手に決めているんでしょう?)ほんと、勘弁してほしいものです。

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