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1月 02 2019

心の痛み

10:27 AM ブログ

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

さっそくですが、正法誌より抜粋します。

1987年、十月号より抜粋。

<高橋信次先生の言葉

布  施

布施というと、いかにも抹香臭いひびきを与えるが、布施の意義は、感謝の心を報恩として形に現していくことである。このため、物を献ずる、金を上げることもその一つだが、人にはそれぞれ得手、不得手がある。自分のもっともしやすい方法で人々に奉仕することが、立派な布施になるのである。

正法から布施を抜いたら、正法でなくなる。なぜかというと、布施は、正法を信じ、神理を行ずる者の証であるからである。

正法には三つの柱がある。その一つは大宇宙を支配する大意識であり、その二は転生輪廻であり、三番目は慈悲と愛の心である。布施の行為は、慈悲の現われだ。

慈悲は神の心から生まれる。それはちょうど、万生万物に熱と光りを惜しみなく与え、生きとし生ける者に、エネルギーを供給し続けている太陽の姿である。正法を行ずる者は、当然このような立場に立って、人々に接して行くものでなければならない。正法を信じながら行為として布施が出来ないようでは、その人はまだ本当の正法というものを理解していないということになるだろう。

私たちは、現実に生かされている。これを否定する者はなにびとにもいないはずである。米粒一つ作るにも、自然の環境、自然の恵みと、人々の協力があってはじめて可能なのである。洋服にしろ、靴にしろ、そのほかもろもろの生活用品は、すべて自然の条件と人々の協力の賜である。

こうした現実を見るならば、感謝の心が芽生えてくるのは当然である。今日のわが国は、物質の洪水といってもよいほど物が豊富に出回っている。金さえ出せば何でも手にはいる。そのため、ややもすれば、物や人々の陰の協力に対する感謝の心が失われ、なんとはなしに過ごしてしまう。

人間は自分を過信したり、感謝の心が失われてくると、動物以下になりさがってしまう。どんなにうまいことを百万間しゃべっても、行為のない人が行くべきあの世の姿というものは、想像以上の苦界であることを知るべきである。多くの場合、その事実を知る手がかりがつかめないため、人は逃避的になったり、世をうらんだり、憎んだりしてしまう。よくよく心しなければならない。

人はまず素直に、今ある生活環境に目を向け、生かされている現実に感謝しなければならない。

正法者は、このような現実を素直に認め、感謝の心を報恩として、形に現して行くものである。慈悲の心は神の心であり、その心は布施となって、無理なく、自然に行えるようになることが大事である。魂の前進、向上は、布施という慈悲の菩薩行を通して、はっきりと約束されよう。

解 説

「正法から布施を抜いたら正法でなくなる」与えられてあるものに感謝し、それに対して報恩の行為をすることが循環の法則である。受け取るばかりで出さなかったら行きづまる。呼吸でも、吸ってばかりいて、息をはかなかったら呼吸できなくなる。

「布施というと、いかにも抹香臭いひびきを与えるが」と書かれているのは、今まで「お布施」というと、お寺に何かを頼みに行く時、また、お坊さんが各家の命日に読経に回って来られた時に包んで出すのを「お布施」といっていたから「お布施」「布施」というと、どうしてもお寺、坊さんとイメージしてしまうからである。

狭い意味ではそれも布施の一つであるが、それだけではない。本当の布施はもっと広い意味での報恩の行為である。

生長の家や天理教では「痔になるのはケチな、出すものを出さないという心を持っているからだ」といっているが、そればかりではないが、確かにそういう心を持っている人もある。出すべきものはそのまま出す方が気持ちがよいのである。

「痔」という字は「寺が病気をした」という字である。寺の病気とはなにか。寺は人々に法を説く所である。拝ませるばかり、お経を上げさせるばかりで、法を説いて人を救う力がなくなったことを「痔」(寺が病気をした)というのである。そう考えてみると、今はどこのお寺も「痔」になっている。

(中  略)

「正法だ、正法だ」といっても、布施する報恩の行為がなかったら第一に心が広くならない。先に書いたように、お寺が病気になって法を説かなくなったのが「痔」であるが、痔という病気は、食べることは出来るが、出す時に痛むのである。出すことがつらいのである。恩を受けるばかりで、それに対し感謝し報恩しなかったら心が痛んでくるのである。

そう考えてくると「ケチ」というのは心の痔であるということになってくる。

ある人は水を汲むのに盃を持って行った。ある人は茶碗を、ある人は一升瓶を、ある人は樽をと……それぞれに持って行った。その器の大きさしか水を汲めないのと同じように、心の器が大きくなければ、神の恩恵も大きくは受けられないのである。

布施は報恩の行為であるだけでなく、自分の心を大きくするものでもあるのである>

今年も、このブログを見ている皆さんが、これまで通りのことをしているようなら、去年以上の災いが起きることになります。

もう神が許されている期間もすぎているからです。

だから、去年あれほどの災いが起きているのだし(この辺りも含めてです。今年の正月は違和感ありましたね。〔昨日のことですが〕何の違和感かといえば、道路の車が普段とあまり変わらないのです。これまでは正月になれば本当に車がすいていると実感できたのですが、昨日など「あれ、車の数が普段と変わらない。正月ってこんなに車が走っていたっけ?」と今までとは逆の思いが出てきました。あまりに違和感がないので、そういう意味での違和感があったのです。〔少々ややこしいのですが〕本当にこの辺りは恐ろしいことが起きています。普段、走っている車が正月と変わらないくらい減っているからです)これまでもそうなのです。

数々起きた災いは、このブログを見ている人たちが現しているのです。

それは、このブログを見ている人たちが行いを変えればわかります。そういう意味で、心が痛みませんか?

このブログを見ている人たちはです。

私に対してだけではなく、多くの人々を自分たちが散々神を怒らせた結果、不幸にしているからです。

もう、その事実を認めてください。私のいっていることは正しいから奇跡が起きているのです。

どれだけそれを否定しても、私のせいにしてもダメなのです。

自分たちが、そのような不幸を撒き散らしているから、自分たちも不幸になっているのです。(特にこの辺りの人たちなどはです)

だからこそ、そのような人に対する心の痛みを知らないといけないというのです。

そういう人の心の痛みが(全然)分からない人たちが次々に病気になっているからです。(人の心の痛みを知らないから、この辺りの人たちは私に平気で嫌がらせが出来るのです。そこらじゅうの人から嫌がらせを受けたら、どれだけ心が痛むと思いますか?そういうことを全然考えようとしない、何が正しいかも考えようとしない、ただ、感情だけで嫌がらせしてくる人たちが次々に病気になっているのです)

だから、もっと心を広く大きくしないといけないのです。そうしないと、人の心の痛みなど分からないし、人の心の痛みが分からない限り、災いも止まらないからです。

高橋先生は「魂の前進、向上は、布施という慈悲の菩薩行を通して、はっきりと約束されよう」と書かれています。

そうして園頭先生は「布施は報恩の行為であるだけでなく、自分の心を大きくするものでもあるのである」と書かれています。

今年の日本は皇位の継承が行われ、新元号となる歴史的な年でもあります。

次の新しい時代は、真の神の世となる、本当の愛と慈悲の世界が現れてくるのです。(正法の世)

この歴史的な年から始めませんか。自分自身の(本当の)魂の向上をです。

それには布施という菩薩行は欠かせないのです。

2コメント

2 コメント to “心の痛み”

  1. うなっしー2019/01/03 at 9:23 AM

    明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。また初投稿が出来ますことを感謝致します。さてこの年越しから年明けにかけて奇跡的な事が有りましたので紹介いたします。私には成人した子供がいます。少し離れたところに住んでいるので正月には帰ってくるのを本人も私達夫婦も楽しみに待ってました。いよいよ大晦日の午後11時も回った頃に子供からメールが入ったので見ると「高熱年越し」添付画像には40.3℃と表示された体温計が写ってました。これは可哀想だと直ぐ様、神にそして子供に感謝と祈りをしたのです。それでも家内とは明日子供のところへ行く段取りをして年越しを迎え床に着きました。年明けの翌朝6時頃に目が覚めて子供の容態を考えていた時に子供からメールが入り「35.8℃良好」と来たのです。薬も飲まず、つい6時間位前まで40℃以上あった熱が平熱以下になるとは驚いたこと。それで、すぐに昨晩の祈りを思い出しその場で神と子供に再び感謝と祈りとを致しました。これはただ単に祈りが効かれたのではなく、私の家族に対する愛が真であったことを現して下さったと感謝しております。ややもすると、そんなこともあるのか程度て流してしまいそうなことだと思えば、今後も神への感度を高めるべく更に肝に命じて精進を重ねるに努めて参ります。

  2. gtskokor2019/01/03 at 2:08 PM

    それはそれは正月早々、起きた奇跡ですね。ウナッシーさんの祈りがきかれたのでしょう。
    今のように神への感謝を忘れず過ごされるなら、次々に奇跡は現れるでしょう。(本当にこの辺りの人たちとはえらい違いです)
    今年もよろしくお願いします。

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