1月 14 2019
祈りの奇跡
一昨日のことです。歩いていると大手のS運輸の横を通りかかりました。
すると、そこの運転手が何人か出てきたのですが(ちょうど帰宅時間だったようです)その出てきた運転手が私の顔を見ると皆、怒っているのです。
ゴホゴホ、ガハガハやって(セキか何か知りませんが、そういうことをしている運転手はすでに病気になっているのではないでしょうか?手遅れにならないうちに早く病院に行った方がいいでしょう)ずいぶん怒っている運転手もいたようですが、もうたくさん出ているのでしょう。
この会社の運転手に病気になどなる人がです。
それをすべて私のせいにして、それで怒っているのでしょうが「この怒っている連中も全員病気なるのだな」と思うとあまりに哀れで(なりますよね、全員。心を入れ替えなければです。だって、これだけトラックが減っているのです。何で自分たちだけ助かるのでしょう)だまっていらませんでした。
「今のままでは全員癌になるけど、それでも心を入れ替えないのか?」「心を変えようとしない責任転嫁ばかりしている心の汚い皆さん、滅びても元気で」などなど、何とかこちらのいうことに耳を傾けてもらおうと、いろいろ声をかけたのですが、全員、私のいうことなど無視です。
自分たちだけで話をし怒りながら行ってしまいました。実際のところはもう怖くて仕方がないはずなのにです。
ドンドン、トラックが減っていっているのです。では、ドンドン、自分たちは追い詰められているということになります。
そういう状況なら怖くないはずがないのですが、それでも突っ張った態度を取り続け、罪を全部私に擦り付け、私のいうことは無視です。
本当に哀れですね。
このような人たち一人一人の心を観るなら、もう皆が皆、袋小路に入り込んで、どうにもならないところにいるのでしょう。
このままでは自分も病気になると分かっていてもどうすることも出来ない。自分を変えることも出来なければ、その病気を防ぐことも出来ない。ただ、自分が病気なるのを持っているだけ。
怖くて仕方がないのではないでしょうか。
それでも自分たちの態度を変えることが出来ない。ないない尽くしでどうにもならない。
特別この運転手連中ばかりではないでしょう。この辺りは、そのような人たちがたくさんいるのではないでしょうか。
どうしても自分を変えることが出来ない哀れな人たちが、この辺りはあふれているようであるからです。
そうして、その怖がっている病気にすでになってしまった人たちもたくさんいることでしょう。
しかし、神はどのような人たちも見捨てることはないのです。
どのような困難な状況であろうと、また、どのような病気になろうと(あるいはひどいけがでもそうですが)奇跡が起きて持ち直すということは、この本当の神の教えを実践するならいくらでも可能であるからです。
しかし、せっかく、そのようなすばらしい教えがあろうと、それを実践しなければ絵に描いた餅にしかすぎません。
この教えのすばらしさをもう少し書いておきましょう。
例えば病気などもそうですが、この教えを実践するならです。どんな奇病も癒されるという例を一つ書いておきます。
正法誌、1988年、二月号より抜粋します。
<昨年十月二十八日、二ヶ月の入院から退院して、十一月一日に上京した。十月中旬、東京のある若いお母さんから、生まれた子供が奇病で、ぜひ福岡へ行って私の指導をうけたいという手紙が来ていた。まだ若い夫婦が、東京ー福岡を往復される旅費も大変だろうと思ったから「十一月一日に上京するので羽田まで迎えに出てください」と返事しておいたら、藪垣事務局長とそのご主人が迎えに出ていられた。
生後五ヶ月のその赤ちゃんは、レックリングハウゼン病という奇病で、東京に難病奇病の子供を持つ親の会があって、それに入会していろいろ治療をしてもらっているが治る見込みはないといわれているということであった。あと何年かしたら死ぬのだという子供を抱えて、それでも育てていかなければならない若い母親の気持ちを思うと、私も胸がつぶれるような思いであった。
「人生の生き方」と「夫婦の調和」について話をして、私が退院してのはじめての祈りであるし、その赤ちゃんの上に神の奇跡が現れるように天上界に祈って光を入れた。
(中 略)
十一月二十日、関東研修会のために上京したら、そのお母さんから「ぜひあってお礼をいいたい、生まれてはじめて黄色い便をして、全身の斑点が全部消えました」ということであった>
このあと、この奇病の子供さんがどうなったかはきいていませんが、この夫婦が園頭先生のご指導(人生の生き方と夫婦の調和)をよく守られれば癒されたであろうし、守られなければ癒されなかったでしょう。
こういう奇病の子が、この夫婦に生まれたのも、やはりそれまでの生き方と(夫と妻、双方のです)夫婦としてのあり方に間違いがあったからであり、それを反省するなら、どのような病気も快方に向かって行くということです。
ただし、手遅れであったり、その夫婦は奇病の子を通して魂を磨いてくると約束して生まれてきた場合は、この限りではありませんが、しかしそれでも、それまでの生き方を反省するのなら、それなりによい方に向かうのです。
この辺りの人たちは、反省することを知りません。
傲慢な態度で自分本位なことばかりいっているのではなく、少しは私のいうことも認め、これまでの自分の行いを反省されてはどうでしょう。
奇跡はそのような反省の心から現れてくるからです。
・
追伸…また、有名人が亡くなりはじめましたね。(亡くなりはじめたという言い方も変ですが)
有名な哲学者や女優さんが亡くなったとニュースになっていましたが、数日前にもそんなニュースがありました。
いつまでも生き方を間違えているのなら、そのような人たちはこれからはもうドンドン引き上げられていくのです。(あの世にです)
有名人の人たちもです。この教えを真剣に学ばれたらどうでしょう。そうしないと、今年もまたどれだけ多くの有名人が亡くなるか知れないからです。
正法の世はドンドン深まって行きます。
正法の世に、この正法神理を無視しているようではよい事が起きてくるわけがないのです。



人目の訪問者です。
