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2月 26 2019

異常な行い

11:07 AM ブログ

何度もいいますが、命を懸けても惜しくない教えがここにあるのです。いつまでもグダグダいって責任転嫁しているのではなく、素直に勉強されてはどうでしょう。

そうすれば奇跡も起き救われて行くからです。(じゃないと〔昨日もコメントに書きましたが〕この辺りはほんと危なそうですから…ボケっとしていると、このままでは逆に命なくしますから)

どちらにしても、現代のような思想がどれくらいおかしいのか(他の時代と違っているのか)園頭先生が書かれた正法誌からちょっと抜粋しておきましょう。(多くの人が、今のような思想や行いは正しいと思い込んでいるようですが、正しい考えの人が多いのなら、これだけおかしなことは起きてきませんから)

1988年 八月号より抜粋します。

<子育ての根本

(中  略)

親はその子供を子供とすることにより、子供はその親を親とすることによって魂の勉強をしっかりしなければならないことがあるのである。

どんな子供であっても、その子供をどのように愛し育ててゆくかによって、親は魂の勉強(根本的には真実の愛とはどんなものであるかを知る)をしなければならないのである。

(中  略)

妊娠、出産は女性のみに与えられた神よりの使命で、妊娠、出産を女性が母となる喜びとして、心から喜ぶ女性は、夫をも子供をも幸福にすることが出来るが、それを嫌悪する心の多少によって、夫を子を不幸にするのである。

昔から「三つ子の魂、百まで」という。三才までにどのようなしつけがなされたか、それが子供の一生を支配するというのである。

現在の若い人たちは、子育てにあまりにも神経質になりすぎている。昔は「育児ノイローゼ」というものはなかった。

もっとも現在の教育は、教育といえば国語、算数、理科、英語、物理、化学など学科を覚えることだけになっていて、人間が生きるための基本的な道、即ち道徳、情操、信仰については何も教えない。

多くの女性は高校を卒業してそのまま社会に出て、そうして結婚するのである。ところが結婚してから最も大事な家庭生活のあり方、妊娠、出産、育児というようなことについてはまっくたく教えられずに卒業するのである。

教えられていないから知るわけがない。知るわけがないからというよりも、女性は結婚したら早速妊娠し出産し育児をしなければならないのであるから、そのことを考えたら自分でそのことを真剣に勉強しなければならないのに、勉強しようとする傾向がないのは残念である。

妊娠してはじめて慌てて育児の本を読む。

ところがそれらの本は、書いている人によってまちまちであったり、特に医学者の書いたものは、医学的な衛生的な取り扱い方が多く、子育てにもっとも大事な人間性の根本に立ってのことは何も書いていない。

五月二十五日、NHKの朝の「おはようジャーナル」で「新人類、母になったけれど」という放送があった。

テレビの画面に、母と子と同じ型の服を着たモデルが登場した。その場面の最後に松田聖子が出て来て「子供に精一杯、いい服装をさせれば楽しいじゃないですか」といった。ひどいといわれるかもしれないが私は松田聖子は少し常識が足りないと思った。松田聖子の子育ては確実に失敗すると思った。松田聖子もそうであるが、新人類の母親たちは、子供をペットみたいに愛玩物として考えているのである。

渋谷かどこかに、まだ歩けもしない赤ちゃんにはめる指輪を売っている店があって大繁盛だそうで、赤ちゃんの指輪を買っていた母親も「子供と一緒の服装をすれば楽しい」といっていた。

品物はつくり間違ったらつくり直せばよい。だが、子育ては失敗したらやり直しがきかないのである。子育てに失敗した負い目は、親も子も一生背負い続けなければならない。

それだけ子育てには真剣にならなければいけないのである。

親の一生の幸福も、もちろん子供の幸福も、その子供がどういう子供になるかにかかっている。若い時は苦労しましたが子供が立派に成長してくれまして、という親もいれば、親自身は成功して金持ちになったのに、子供がぐれて一人前にならないといって泣いている親もいる。

あなた方はどちらを選ばれるのであろうか。

ベビーシッターを頼んで、子供と遊んでもらっている間に美容院に行って「普通のお母さんのようにはなりたくない。主人も子供も大事だが、より以上に自分が大事だから」という女性も登場した。

私はそういう女性を妻にした男性が哀れになってきた。

子供をペットみたいに考えて、自分のしたいように育てていたら、決して子供は一人前の人間になれないのである。そうすればいいといってみても、世の中にはそうできない人の方が多いのである。物や金で贅沢させなかったら子育ての楽しみはないというのであったら、貧乏な人の子供は幸せにもりっぱな人間にもなれないということになるが「貧窮の門(ひんきゅうのもん)に孝行出づ」と昔からいわれているのはなぜだろうか。

(中  略)

男女平等だからといって、妻が出産する現場に立ち会ったという男性も出て来たが、男が出産の現場に立ち会うのは、女、妻の尊厳さを傷つけるものだと思う。

ある時テレビで、アフリカのピグミーの人たちが放送された。妻が出産する時は近所の女の人たちが来て手伝って男は絶対に産室に入れない。しかし、妻の出産の苦しみをともに分かとうとする夫は木陰で、妻と同じように自分も「うんうん」いって苦しむのである。

古事記(日本の神話と古代歴史を書いたもの)の中にも、女の神さまが、わたくしがお産するところを見なようにしてくださいといったのに、男の神さまがその現場を見られたら、女の神さまが怒られたということが書かれている。

女は、自分の身も心も、すべてを相手に捧げて愛したいと思う時に、自分の身体のすべても知ってもらいたいと思って男の前に自分の身体を投げ出したいという衝撃を感ずる時がある。愛とは自分のすべてを相手に与えて悔いない。むしろそれを喜びとする感情である。それは与えるべき人と時と所があるのであって、与えるべき人と時と所でなかった時に罪の意識が伴うのである。だからして、人と時と所とにかまわずに自分の身体を投げ出そうとする女性は当たり前の人間ではないといって軽蔑されるのである。

与えるべき人であるか、時と所であるか、それを確かめる時に羞恥心、恥ずかしいという感情を持つのである。

女が出産の現場を男に見られるのを恥ずかしいと思い、また、男もそれを見るのを恥ずかしいと思うのは、そしてまた、今までの歴史の中で、男が公然と女の出産の現場に立ち会ったという時代がないのは、男がそうすることは異常だということである。

女には出産の時、誰にも気がねなく、恥ずかしいところを見られている気持ちもなく、自然のうちに安心して出産させる方が、女性の尊厳さを尊ぶということになるのであるが、新人類の中には女性の分野に踏み込むことが女性を大事にすることだという間違った考えを持っている者があるようである。

男性が女性の出産の現場に立ち会わないのは女性を大事にしないことであるというならば、これまでの人類の歴史の中でどれほどの男性がそうしたであろうか。

見せたくないところを見せたがる露出狂も、見てはならないところをのぞきたがるのぞき屋も、どちらかというと精神異常の部に属する。露出狂やのぞき屋で立派な人間になった者はいない。人間には節度が大事である。

男に料理をさせることがよいことか、悪いことかという問題もある。

男に料理をさせるような女は、男を成功させる見込みはない。料理をしない男は最低だと新人類の女性はいうかもしれない。中にはすすんで料理をするという男性もいる。

すべての男性が料理を手伝わなければならないとなったら、世の中の動きは停滞する。

アメリカのレーガン大統領が、ソ連のゴルバチョフ書記長が、また、日本の松下幸之助さんが等々、毎日毎日家庭で食事の支度を手伝っている図を想像してみられると分かる。

私なども、妻が全部何もかもやっていてくれるから、朝早くから夜遅くまで原稿も書ける。「家事一切は女の仕事ですから」とすべてをやっていてくれるからこそ私も仕事が出来て感謝している。

だから私がいつもいうのは「原始女性は太陽であった」といって、明治の新しい婦人運動を始められた平塚雷鳥さんが、

「女は女でなければならない。女の仕事をきれいにやるということによって男性の尊敬をかち得るという女にならなければいけない」

といわれたそのことである。

(中  略)

私がこのようなことを書いたのは、女性中心のわがままな心を持っていては、立派な子育ては出来ないということを知ってもらいたいためであった。

そのNHKの「おはようジャーナル」のゲストの詩人伊藤比呂美さん(二十七、八才と見た)は

「私はお産をしてみて、はじめて自分を見つけました。女性として把握できるものを把握できました。日本の風土には、日本の風土にあった生き方があるので、今の世代の新人類というのは、その日本の風土を否定しようと考えているのだと思います」といわれた。

さすがに詩人だけあって見方が鋭いと思った>

とりあえず、園頭先生がいわれている子育ての部分を抜粋しておきました。ずいぶん、今(正しいと思われている子育て)といわれていることが違うのではないでしょうか。

園頭先生がいわれている子育ては古いですか?今は夫が妻の出産に立ち会うのは当たり前ですか?(しかし、園頭先生はそういうことをした人はこれまでの歴史上存在しないと。だから、そういうことをしている人たちは精神異常者だといわれていますが…)そうして男が家事も育児も手伝って、男女平等なんだから、何でも半々にしないといけないですか。(しかし、この男女平等という思想も今〔ここ数十年〕くらいですよ。これだけいわれているのはです。それ以前はちゃんと順序と役割がありましたから。男と女のです)

このくらいの頃(1980年代後半)からではなかったですかね。そのような家事、育児が正しいみたいにいわれだして、妻の出産に立ち会う男が増えだしたのはです。

それがいまだに正しいみたいにいわれていますが、阪神大震災が起きたのは1995年です。

もう何度も書いていますが、それ以前はこれだけ大きな地震など起きませんでした。しかし、この阪神大震災以降、大地震が立て続けに起き、その大地震がいまだに続いているのです。

もちろん、それ以外でもすさまじい天変地変が次々に現れ、日本が災害列島などといわれているのはご承知の通りです。

もう一ついっておくなら、大地震だけでなく、これだけ激しい天変地変も(もちろん多少は起きましたが)それ以前は起きていませんでした。

それが1990年代以降、立て続けに起き、それがいまだに続いているのです。

なぜでしょうか?

それは簡単な話なのです。多くの人々が、間違ったことを数多くしているからです。(1980年代以前よりです)

それが神の怒りを買い、このような激しい天変地変(プラス、この辺りで起きているような異常現象)となって日本に現れているわけです。(それは特別日本だけではありませんが。他国も同じです。同じ理由でそうなっているのです)

1980年代以降、間違った思想が(それも特にひどいです)ドンドン拡がりだし、それから数年してついに神の怒りが爆発。

それが阪神大震災であり、それ以降もまったく心を変えない人ばかりであったから、いまだにそのひどい神の怒りが続いて災いが多発している、簡単に書けばこのようなことなのです。

これまでの(特に1980年代以降の)考えは間違っているのです。しかも大きくです。

認めたくはないのでしょうが、だから、これだけひどいことが起きているのです。大きな間違いを多くの人がしているからです。

正しい考えでいるのは(この正法神理を実践している)私たちだけで、だから私たちには次々に奇跡が現れるのです。

その考えが正しいからです。(より神の考えに近いからです)

いい加減、理解してください。この分かりやすい事実をです。

今の常識は間違っていることが多いのです。だから、これだけの災いが起き続けているのです。

その大きな間違いが、神の怒りを買ってです。

では、その間違った考えを改める以外、この激しい災い(神の怒り)を止める手立てはないはずです。

この教えを実践する以外、救われる道はありません。気づいた人から行ってください。それが(自分だけではなく)多くの人々をも救う道でもあるからです。

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