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3月 03 2019

新元号

10:53 AM ブログ

しかし、よく考えてみればです。三十才以下の人たちは平成の時代しか知らないんですよね。

では、平成の常識が常識になってしまって、前回、前々回のブログで、私がおかしいと書いていることの方がおかしいと思う人の方が多いのかもしれませんね。

三十才以下の人たちなどはです。(それ以上の年の人もそうですが…そう思わない人。三十才以下の人たちでそうは思わない、私の書いていることの方が正しいと分かる人たちはそれなりに心が高い人たちです)

できちゃった婚とか、出産に立ち会うこととか、一体何がいけないのかと思う人も多いのかもしれませんが、このようなことはやはりこれまでしてこなかったことなのです。(平成以前の常識ではです)

出産に男が立ち会うことは、園頭先生が説明されていますのでそれ以上書きませんが、できちゃった婚などもそうです。

普通であるなら、結婚してから子供はつくるものです。それが結婚前に子供をつくってしまうのですから明らかに順序が違います。

だから、平成前の昭和の時代にこのようなことをしている人たちは白い眼で見られたのです。順序も守らずだらしがないとです。(ところが平成の時代は、結婚前に子供が出来ているのに「おめでとう」などといっているのですから、完全にずれています)

それは同棲なども同じで、結婚もしていないのに、男と女が一緒にいるなどはしたないと、男女が一緒に住むのならちゃんと結婚しろと、昭和の時代から以前は、そのような約束事はしっかり守られていたのです。

それが人としてのけじめであったからです。

結婚とは、人と人ではなく(縁を通して)神が結びたもうものと昔は多くの人たちが思っていたのです。

だから、その神聖な結婚を通さずして軽はずみなことはしてはならないとみな戒めていたわけです。

ところが平成に入ると、その結婚がずいぶん軽く見られるようになります。恋愛の延長みたいにです。

だから、好きになれば一緒になればいいし、嫌になれば別れればいいと軽く考え、すぐ結婚したり、ちょっとうまくいかなくなるとすぐに離婚したり、一緒に住んでみないとあうかあわないか分からないからと簡単に同棲したり、結婚前に子供をつくったり、それで結婚したのはいいのですが、結婚を神聖なものとは考えず、ただの恋愛の続きくらいにしか思わない人や結婚する気がないのに、子供が出来て仕方なしに結婚する人まで出てきては、もはやうまくやれるわけがありません。

そういう人がドンドン増えたのが平成の世でした。

こういう順序無視のいい加減な結婚が増えたから、結婚生活の不和や不幸が増え、子供への虐待も増えたのです。

夫婦愛がうすいから当然そうなります。

どちらにしても、このように結婚を軽く見て、結婚生活をいい加減にしていたら、結婚は神が結びたもうものなら、当然、その神の怒りを買います。

平成の世の人たちは理解しないのでしょうが、しかし、結婚は本当に神が結びたもうものなのです。人と人がたまたま知合って結婚するわけではないのです。

そこには過去世からの深い縁があり、神との約束があるのです。

それはキリストが結婚のことを「神が合わせたもうもの人これを離すべからず」といわれた言葉でも分かります。

その神が合わせたもう結婚を平成の世の人たちはないがしろにしているのです。

それでは不幸にならないわけがないのです。(神の怒りを買わないわけがないのです)

また平成の世は、このようなことばかりでなく他にも神の怒りを買うようなことをたくさんしているのです。

例の自分の家の周りに保育園(児童相談所なども同じですが)はつくらせないということもそうでしょう。

重箱の隅を楊枝でほじくるように、細かいことに反応し、SNSなどで袋叩きにすることもそうでしょう。

あおり運転などもいま問題になっていますが、少々のことで烈火のごとく怒る、このようなことでもそうでしょう。

そうかと思えば、何でもかんでも何とかハラとか言い出して問題にすることもそうなのです。

このような自分本位で細かいことにいちいち反応するなど、平成以前では考えられなかったことなのです。(昭和の頃など、小さいことでギャーギャーいう人など小さい奴と笑われていましたから)

昭和から前の時代は、もっとおおらかで多くの人が約束はちゃんと守り、人生は少々の苦労は当たり前で小さなことにいちいち腹も立てなかったのです。

昭和から前の時代は、子供は近所の者たちが守り育てるというのが当たり前で、悪いことをする子がいれば誰かれとなく注意して、ケンカをする人もいましたが、あまり一方に肩入れするのではなく、両方の話をきいてうまくおさめて近所づきあいをする人たちばかりでした。

それほど極端なことをいう人もする人も少なかったのです。

ところが平成になって、このような生活習慣がガラッと変わります。

近所づきあいはしない、何かあるといちいち文句をいい、自分勝手なことばかりしている、そういう人が増えたのです。

つまり平成の世になって、周りのことを考えない自分本位で、極端で、いい加減な人が増えていったということです。

このような、愛もなく、慈悲もなく、両極端で中道でもない人たちが増えてくれば当然神の怒りを買います。

そのような人たちの心が平成にこれほどの災いをもたらしたのです。(それは企業も同じでしょう。平成の大企業は愛のないことばかりして儲けばかりを考え、人件費が安いからと中国などに会社をつくればそこに暴動が起き、タイにつくれば大洪水が起き、それではと日本国内に仕事を集中させれば、そこに大地震が起きる〔熊本〕と災いの連続なのです)

平成にこれだけの災いが集中して起きたのも、起きるだけの理由がちゃんとあったということを知るべきなのです。

そうであるならです。もう平成の時代は終わります。少なくとも次の時代は、平成よりはよい時代に(災いが少なく不景気でない時代に)したいと思うのは誰でも同じでしょう。

だとすれば、次の時代はどういう時代にすればいいと思いますか?

それはもう想像がつくはずです。

そうです。そうなのです。そうだとすれば次の時代の元号は「昭和」にすればいいのです。(戻すんかい)

そうすればこれほどの災いは起きなくなるからです。そうして不景気でもなくなるからです。(昭和は、平成ほど災いは起きなかったですし景気もよかったですから)

冗談はともかく、少なくとも昭和から以前は、今の平成のような考え方をする人は少なかったということを知ってください。

だから、災いが少なかったのです。人の道から外れている人が少なかったからです。

平成の時代は明らかに人の道から外れた考え方をしている人が多いのです。(人の道とは即ち神の心ということであり、愛、慈悲、調和、そうして中道、ここから外れない道をいうのです)

いま現在の平成の人たちの常識は他の時代の人たちから見ると、非常識な部分が多いのです。平成の世の人たちは、これまでしてこなかったことをしている人がかなり多いからです。

前にも書きましたが、これまでの歴史上したことがないことをしているということは、人としての進歩ではなく堕落であるのです。

堕落した人が多ければ、災いが多くなるのは必然です。(神の怒りを買う人が増えるから)

とりあえず平成以前の常識を取り戻しませんか。

まずはそこからはじめないと、起きている災いは減ってはいかないからです。

追伸…新元号の話ですが(最近、そういう話題が増えて来ましたから。〔笑〕)まあ昭和はともかく、私の希望としては「光」という文字が入るといいなとは思っています。

だって、平成がこれほど災いが多かった時代なのです。

そこから光が射すとか、光が現れてくるとか、神の光が降り注ぐとか、次の時代が、そういう光明の世になればよいと思ってです。

どちらにしても、これからは光通信とか、光なんとかとか、光の時代ですよね。そのようなこれからの時代にも「光」という文字は合うとも思うからです。

どちらにせよ、次の時代は、これほどの災いは勘弁してほしいものです。

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