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3月 17 2019

平成の常識は他の時代の非常識

10:37 AM ブログ

皆さん、ずいぶんお怒りです。前回のブログがよほど本質をついていたのでしょう。

この辺りは誰一人、奇跡など起きていないようです。本当に情けない話です。このブログを実践すればみな奇跡が起きるはずなのにです。

だとすれば、これほどありがたいブログはないのに、誰一人、奇跡が現れて来ない。災いしか現れない。あまりに哀れで話になりませんね。(このブログを見ているほとんどの人が〔それだけ稀有なブログを見ているにもかかわらず〕少しも感謝しないからでしょう。感謝しているウナッシーさんにはちゃんと奇跡が起きているからです)

奇跡が起きている私のいうことが正しいのです。災いが起きている人たちが間違っているのです。

間違ったことをしているから災いが起きているんでしょう。いい加減、認めてください。

自分たちの間違いをです。そうして反省してください。

自分たちの間違いを認め反省した人から救われて行くからです。

頑なに自分の間違いを認めず、反省もせず、責任転嫁しているだけでは、この後、まだどれだけ災いが起きてくるか知れないのです。

反省するしかないのです。それが唯一の救われる道であるからです。

「自分たちは間違ったことなどしていない」そう自分が思っているだけで、実はたくさんの間違いを犯しているのです。

平成とは「多くの間違いを正しいと思い込んでいた」そういう時代であったからです。

そういう時代であるからこそ、これほどの災いが起きているのです。

平成の常識は、他の時代からすれば非常識であったということがたくさんあるのです。

この辺りの人たちのように、自分たちに災いが現れているのに、自分たちの罪は一切認めず、悪いことをみな人のせい(私のせい)にしていることもそうですし、風鈴がうるさいなどという発想もそうでしょう。

保育園をつくるなという発想も同じです。

これほど狭く、小さく、自分本位で思いやりのない発想もないのです。

これだけ自分の責任は認めず、狭量で自分さえよければそれでいいという発想は、他のどの時代の人たちも持たなかったのです。

平成以前の人たちは、自分の責任は自分の責任としてちゃんと認め、風鈴などの音がきこえてくれば風流でよいとみな心が安らぎ、保育園などあれば子供たちの元気な声や姿が見えて、こちらも元気が出ると喜んで、愛ある心で誰もがそう思ったのです。

そのような責任感や思いやり、心の広さや愛は普通の人間として当たり前に持っていたのです。

ところが、平成の人たちは自分の罪は絶対に認めず、風鈴や保育園をうるさいというのです。あまりに狭く、小さく、愛もない自分本位な発想でしょう。

その考えの差は天と地ほどあるのです。(天上界と地獄界ほど考え方に違いがあります。平成の考え方はあまりに低いのです)

平成以前と以後の考え方の違いはこればかりではありません。

前にも書きましたが、同棲などもそうでしょう。結婚前に平気で子供をつくってしまうこともそうでしょう。夫が妻の出産に立ち会うということもそうなのです。

また、その生まれて来た子供にキラキラネームなどつけることもそうです。

そうして同性愛なども認め、男女平等、同権をこれだけ声高にいっていることもそうでしょう。

このようなことは、平成の時代になってドンドン進んだことなのです。

平成以前は、同棲などしているといったら、何だ結婚もせずにだらしがないと皆からさげすまれたものです。

それは結婚する前に子供をつくるということも同じです。結婚前に子供をつくるなど恥ずかしいことであったのです。

そういう人たちは順序もわきまえない、浅はかな人たちと思われていたからです。

実際そうなのですが、ところが、このような常識が平成に入るとなくなって、何でもかんでもOKです。(こういうことがすでに間違いです)

結婚など前提にしていようがいまいが、別に同棲など自分たちの自由なので勝手、結婚前だろが、結婚しようがしまいが子供が出来ればめでたい。(本当におめでたい発想です)

そうして夫としての威厳も妻としての責任もなくなって、夫がのこのこ妻の出産について行く。何でもかんでも夫婦一緒にやることが仲のよい夫婦であり、こんなこれまでのどの時代にもしなかった、夫が妻の出産に立ち会うなどということを夫婦が望んで堂々とやっている。(これまた大間違い)

そうして生まれて来た子供に訳のわからないキラキラネームなどつけて親が喜んでいる。

名は体を表すといいます。そんな訳のわからない名前をつけられた子供は将来どうなるのでしょうか。

まったく他の時代からみれば、このようなことはすべて非常識なのです。

それが平成の世では常識です。

こういうことに異を唱えれば、考えが古いだの、固いだの、果ては愛があればそれでよいと、愛という言葉で自分たちのいい加減さをごまかし、古来からの大切な決め事をすべて無にしている。

これが平成思想なのです。

こんな考えの人たちばかりであるなら、当然、天罰はくらうのです。あまりに(神の子の人間として)非常識であるからです。

そうしてそれは同性愛や男女平等、同権を声高にいっていることも同じなのです。

何で同性愛が正しいのでしょう。そういう人ばかりが増えたら人類は滅びるのですから、そういうことが正しいわけがありません。(少数だからいいなどと認めていたら、そういう人が増えたらもっとおかしいといえなくなるではないですか。少数のうちにおかしいものはおかしいとはっきりいい、そういう人たちを正しくしていかないといけないのです。同性愛者が増えてからでは取り返しがつかなくなるからです)

平成以前は、男と生まれて来たら男らしく、女と生まれて来たら女らしく、そう生きるのが当たり前のことであったのです。親からもらった身体は(それは即ち神からもらった身体なのですから)大事にするのが当たり前のことであるからです。

神は私たち人間を男性と女性につくられたのであり、それ以外の人間を(両性のような人を)つくられてはいません。

神がつくられていない人間を勝手につくり出してはならないのです。

ところが平成の世に入ると、その両性のような同性愛者まで認め出し、パートナーシップ証明書(同性カップルが結婚に相当する関係であると認める証明書)などというものを発行する自治体まで出てきているのですから、神が怒らないわけがありません。

このような勝手な行いがよけい神を怒らせ、より多くの災いを現されているのです。(渋谷などその典型ですが)

もちろん男女平等、同権も同じでしょう。

男と女には互いに順序があり、役割があるのです。(それもちゃんと神が決められています)それを一切無視した平等、同権という思想は同じように神を怒らせ、混乱を招きます。(どちらも平等で同権になったら、一体どちらのいうことを主にきけばいいのでしょう。同じ意見の人間などいません。夫婦であろうと意見は違うのです。夫婦が平等で同権なら話がまとまるわけがないのです。それにすべて半々にしてしまったら、そこに愛など生まれないのです)

平成以前は、これだけ平等論が強くなった時代はありませんでした。だから、まとまっていたのです。

しかし、平成の世はこのような(何でもかんでも平等という)異常な平等論に加え、男女両性以外の人も認め出し(同性愛者・多様性という言葉にごまかされてです)狭量で自分本位な人もドンドン増えていったのです。(一方で多様性などを認め、一方ではどれだけ小さなことも認めない。〔風鈴がうるさいとか、保育園をつくるなとか〕どんだけ極端なんでしょう。これもまた間違いです。中道ではないからです)

そうなればおかしな世の中になるのは必然でしょう。

だから、平成の世は、それ以前の世に比べ多くの災いが現れたのです。

平成の世は、これまでの時代とはまったく異質で異様な世界になっているからです。

そういう世界にいて、自分のしていることに間違いはない、などと自信を持っていえるのですか?

これまでの時代の世界とはまったく違う異様な時代に生きているのにです。

つまり、平成に生きている多くの人たちは多くの間違いを犯しているということです。

だから(何度もいいますが)これだけの災いが起きているのです。(天罰です。あまりにおかしな世の中をこの世につくりだしてしまっているからです)

それでもまだ、自分たちに間違いはないと、そうして悪いのはお前であると言い張るのでしょうか?(そういうことをいい張っている時点で〔責任転嫁ばかりしている時点で〕すでに間違っていますが。〔苦笑〕)

しかし、奇跡が起きているのは、その悪いことの原因と思われている私だけなのです。(間違っている者に奇跡は起きません)

多くの間違いを平成の多くの人たちはしています。

早くそのことに気づかないと滅びてしまうのです。

追伸…いつまでこの教えを無視し、逆らっているのですか?もう、この教え抜きではこの時代(次の時代は)生きられないとまだ分かりませんか?(ほんと死にますよ。いい加減、気づかないとです)

昨日、私は堀川に行っていたんですが、堀川沿いを歩いていると上からバタバタという音がしてきました。

それで空を見上げると、なんと、たくさんの鵜が飛んでいるではありませんか。驚きました。あまりに数が多かったからです。(数百羽はいたと思います)

そのたくさんの鵜たちが横の堀川にバタバタ降りてきます。もう堀川は鵜だらけになりました。(笑)

周りで歩いていた人たちもあまりの鵜の多さに驚いていましたが、その鵜たちに「お前ら元気か。あまり魚を食うなよ」などと声をかけながら歩いて行きました。

それだけ鵜が来たので、他の鳥たちも大騒ぎしていましたね。(あの辺は最近カラスも増えて来ましたからね。カラスと鵜、それにカモメも交じってわけわかりませんでした。〔笑〕)そのような鳥たちを見ていると可愛いものですが、その騒いでいる鳥たちの横を仏頂面(ぶっちょうづら)した人たちが歩いて行きます。(苦笑)

そのあまりのコントラストの違いにこちらは違和感しかなかったのですが、この教えを勉強するなら大喜びして大騒ぎしている鳥たちと同じ気持ちになれるのです。

この教えを実践するなら、このような愛ある奇跡が次々に起きてきます。

この時代(これだけ災いが現れている時代)このような(愛ある奇跡が次々に現れてくる)教えは本当に貴重であると思います。

その価値を早く理解してほしいものです。

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