3月 19 2019
霊の次元
前回書いたように、これ以上、平成思想を進めてはならないのです。進めれば進めるだけドンドン悪いことが起きてくるからです。
平成の思想が間違っているのです。だから、平成思想を止めないといけないのです。
まだ、嫌がらせしてくる人もいますが、どれだけ私に嫌がらせしたところで災いは止まらないのです。
自分たちが悪いからです。自分たちの考え方が間違っているのです。だから、それを直さない限り災いは止まらないのです。
これだけ車も減っているのです。こちらの人たちは真剣に私にいうことをきいたらどうでしょう。ただ、責任を私に擦り付けて怒っているだけではなくです。
もういつ自分たちに災いが現れるか知れないからです。(今日も朝からこの辺り、ずいぶんお怒りです)
何度もいいますが、災いが起きている人たちの考え方が間違っているのです。だから、自分たちに災いが起きているのです。
私と、そのような災いが起きている人たちとの違いは、その考え方なのです。
だから、考え方を変えればいいのです。そうすれば起きてくることも変わってくるからです。
普段から、悪いことを人のせいにして怒っていたり、憎んでいたりしてはいけないのです。そういう思いが自分を不幸にするからです。
例えば私などよく人から嫌がらせを受けています。しかし、それをいちいち気にして、怒ったり、憎んだりしていたら、私はとうの昔に大病を患い死んでいたことでしょう。
もう私は、ずいぶん前からひどい嫌がらせを多くの人から受けているからです。
しかし、私はいまだ病気などせず、ピンピンしています。
なぜでしょう?
それはそういう嫌がらせをあまり気にしない(心にとめない)からです。そういう嫌がらせをしてくる人たちがたくさんいますが(もちろん、あまりにされますので、その時に〔特に子供などには〕叱りつけることはありますが)そういうことを何日も気にしていることはないからです。
哀れな人たちだと、そのような人たちを一度きちっと祈れば後は忘れてしまうからです。(というか、嫌がらせされるのがあまりに多すぎて覚えていられないだけなのですが。〔苦笑〕)
その祈りでもです。何か私の祈りで多くの人が病気なっていると思っている人がこの辺りは多いようですが、私は、嫌がらせをしてくる人に対し、それに怒って、その人を病気にしようという思いで祈っているわけではありません。
そういう祈りなど一度もしたことはありませんね。そんな祈りをすれば自分も病気になってしまうからです。
キリストは「汝の敵を愛し、責め憎む者のために祈れ」といわれました。
私はそれを実践しているだけなのです。
だから、嫌がらせなどしてくる人に対しても、私の祈りは、愛の心で「神よ、どうぞこの人たちを正しくお導きください」と祈っているだけなのであり、だから私には奇跡しか現れて来ないのです。
私を憎み嫌がらせをしてくる人に対しても、私は愛の心で、その人に対しての幸せの祈りしかしていないからです。
それが嘘ではないということは、起きてくる現象が証明しています。
そういう幸せの祈りが自分に奇跡となって返ってきているわけです。(だから、キリストが「汝の敵を愛し、責め憎む者のために祈れ」といわれたことは正しいことであったのです。そういう祈りを実際にしている私には奇跡しか現れて来ないからです。キリストのいわれたことを実践すればちゃんと奇跡が起きるのです)
しかし、この辺りの人たちはどうでしょう。仮に私を祈ったとしても、私と同じ考えで祈る人など皆無でしょう。
この辺りの人たちの祈りは、せいぜい「この辺りで起きている悪いことは皆あいつのせいですから、あいつを病気にしてください」くらいの祈りしかしないのではないでしょうか。(苦笑)
そこまでの祈りはしなくても、この辺りで私の幸せを祈る人などいないはずです。
それではダメなのです。だから、悪いことしか起きて来ないのです。愛の心で幸せの祈りをしないからです。
誰もキリストの祈りを実践していないのです。それではいいことは起きて来ないでしょう。
キリストの祈りを実践してこそ、奇跡は現れてくるからです。
そういう考え方一つなのです。その考え方が違うため、私とこの辺りの人たちでは起きてくることが違うわけです。
それだけのことなのです。簡単なことでしょう。分かってみればです。
ところがです。
分かってみても、そういう考え方が(祈り方が)出来ない、そういう人が大半なのではないでしょうか。
ほとんどの人が悪を犯している者の幸せなど祈れるわけがないからです。(って、別に私は悪を犯しているわけではありませんが。〔苦笑〕)
しかし、そういう人の幸せまで心の底から祈れる、それが霊の次元の高い人なのです。
霊の次元の低い人は(あの世、天上界で〔幽界、霊界などの〕低段階に住んでいた人たち)悪いことをしている奴の幸せなど祈れるかと、そういう奴に対し怒ったり憎んだりしないわけがないだろうと、そう思って、そこから一歩も先に進めないわけです。
しかし、霊の次元の高い人は(天上界で神界、菩薩界に住んでいた人たち)そうか、そう思えば悪いことが起きないわけだと納得し行えるわけです。
そのような正しい考え方をです。
それが正しい考え方なのです。それが正しい行いであるのです。神の子の人間としてです。
どういう罪を犯そうが、みな神につくられた神の子であり、同じ仲間であることにはかわりがないのです。
その同じ仲間の神の子が今は一時の迷いで間違ったことをしていますが、その迷いは本質ではなく仮の姿なのであり、その仮の姿を責め憎んではならないのです。
早く、その迷いから覚めるよう、その人の幸せを祈る(そうして正しい道に導く)ことこそ神の子の人間として、同じ神の子の人間に対して取るべき正しい行いなのであり、だから、その正しい行いをしている私には奇跡が現れてくるというわけです。(そういう正しい行いを嫌がらせをしてくる人たちに対し私はしているということです)
罪を憎んで人を憎まず、という言葉がありますが、それを実践出来る人こそ正しい人であり、それをしていくことが人格の向上(霊の次元の向上)につながるのです。
それが分かるのが霊の次元の高い人たちなのですが、とはいえ、もうこの状況なのです。(もちろん、この辺りだけではなく、すでに日本中で災いが現れている)そういう考えが出来ないではなく、やらざるを得ないのではないでしょうか。
そういう心にならなければ「必ず」不幸になるからです。(この辺りの人たちは特にそれが顕著に現れています)
だから、そういう正しい考え方をするのです。(自分の敵を愛し、責め憎む者のために祈る…もちろん、その祈りは愛の祈りです)そうすれば自分の霊の次元も上がって奇跡も起き出し、幸せになって行くからです。
とりあえずです。一変に、そういう考えをしろと(そのように心を変えろと)いっても難しい人もいるでしょう。(もうずっと自分に反する人たちには怒り、憎んで来た人たちなどです…そういう人が大半なのでしょうが)だから、まず、この平成思想を正すことです。
これだけ低俗で、だらしがなく、自分勝手で、狭く、小さな考え方もないからです。
このような考え方の人たちが多いがため、これほどの災いがいま現在も起き続けているからです。
私の考えに賛同してくださる方は(そういう人たちは霊の次元が高い人であるのだから)ぜひ協力してほしいですね。
私一人では止めようがないからです。このような平成思想をです。
しかし、一人でも多くの人が協力してくださり、声を上げてくれさえすれば平成思想を段々変えていくことが出来ます。
どうせ出来ないとか、自分一人が何かしても何も変わらない、ではないのです。まず自分からはじめるのです。
はじめなければ、それこそ何も変わらないからです。
どちらにしても変えないといけないのです。時代も(正法の世に)ドンドン変わってきているからです。
その時代に生きる人たちの心と時代が合わなくなればなるだけ激しい現象が現れてくるからです。
やる気がある人がやるしかないのです。そういう人たちはそのような(時代を変えるという)使命があるからです。
それに先ほども書きましたが、そういう思いのある人たちはみな霊の次元の高い人たちなのです。
では、その使命は果たさなければならないでしょう。私たちの本当の使命は、ただ平成思想を変える程度の小さなものではないからです。
私たちの最終目標は、先ほども書きましたが、キリストのいわれた通りの心になることだからです。
そうすれば、キリストと同じ境地が得られ(そこまではなかなか難しいのですが)神の子としての本当の幸せを得ることになるからです。
だから、さっさと平成思想など変えてしまいたいのですが、いい加減もう使命のある人たちは立ち上がってもらえませんか?(それが自覚出来る人たちはいますよね。このブログを見ている人たちの中にです。私のいうことをしないと心が落ち着かないという人です。そのあなたがそうなのです)
そういう使命のある人たちがやらないと何も変わらないからです。
今のまま、使命のある人たちが(霊の次元の高い人たちが)立ち上がらないでは、ドンドン不幸が現れて来ます。
使命のある人たちが使命を果たさなければ、この世が幸福になることはないからです。
霊の次元の高い人たちは、自ら厳しい環境を選んで(その厳しい環境とは、苦労するという意味だけではありません。神のことを悟りにくい場所から神を悟るということもそうなのです。〔例えば栄耀栄華を極めているような人などそうです。松下幸之助さんがいい例です。あの人は菩薩界の人でしたが、結局、本当の神の教えを知ることはありませんでした。その栄耀栄華がじゃまをしたからです〕)そこから悟るように仕組んで生まれてくるのです。
そういうより厳しい場所から本当の神の教えを悟った方が、霊の次元の高い人はより自分の霊の次元が引き上げられるからです。
だから、厳しい環境に生まれた人たちは、この教えに辿りつくだけでも難しいのですが、しかし、自分がそういう道を選んで出てきているのですから、今さら泣き言をいわれても仕方ありません。
そういう環境の下、生まれてきた人たちはその環境からこの教えに辿りついて、そうして行ってください。
そうすれば、それだけ、その人の霊の次元は上がるからです。
しかし、本当の修行はその後からなのです。その後、どれだけ、この教えを実践し、拡めることが出来るのか、霊の次元の高い人は、そこからが勝負なのです。
まだ、その勝負さえ出来ていない人がたくさんいます。
しかし、そのような(霊の次元の高い)人たちが立ち上がってこなければ、日本に起きている災いは止まらないのです。



人目の訪問者です。

縁のある方とそうでない方の違いを教えられました。縁のある方との話をしている中で、私と話をしていると本音が出てしまうからと言うのです。するとその方は私と話をした後は気が楽になるとも話すのです。一方では他人の事など全く考えない人もいて、その方の話と言えば統一性がなくなんなら自分の発言した事すら忘れてしまう、その場で思ったことを言い、いうこととやることが違う方もいるのです。しかし、よく考えれば双方がいて比較ができて事が分かるといった実情を踏まえれば、反面教師とはよく聞きますがそれもまた縁であると言えるのでしょう。そういった環境の下で私の心が落ち着くのはやはり神と向かい合っている時であるのです。ですからその機会を頂くことに感謝しながら日々の反省へ取り組む事ができるのです。最近更に心の在り方に関心が深くなってきています。
確かにそうでしょう。
私の周りなど見ますと、ウナッシーさんがいう縁のない人(人のことなどまったく考えない自分本位な人)ばかりです。
しかし、そういう人まで救う、それが菩薩行です。
自分と何か縁があれば、それは縁ある人。
そういう気持ちで縁ある人たちに法を伝えていきましょう。