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3月 24 2019

「神」という言葉の大きな壁

10:37 AM ブログ

しかし、よく怒っていられるものですね。

これだけ災いが現れているのにです。(昨日も土曜日とはいえ国道一号線がガラガラでした。正月よりすいていました)

もうキレているだけではどうにもならないでしょう。(特にトラックやバスの運転手)でっ、この起きている災いは、全部、私がしていると、そういうことなのですか?(ハァ?)

まあ、そう思い込んでいる人が多そうですが、よく考えてみてください。

この辺りはもう車もドンドン減って、そうして病気になる人もずいぶん出ているんでしょう。

これほどのことが人に出来るものなのでしょうか?

少し考えてみればです。これほどの現象を人が起こせるわけがないと誰でも分かると思うんですが、それにもかかわらず、この辺りの人たちは、本気で私がそういうことを(人を次々に病気に)していると思っているんでしょうか?

それとも、自分ではもうどうにもならないので(というか、起きていることの意味がよく分からないので)そのような現象をみな私のせいにして八つ当たりしているのでしょうか?

本当にこの辺りの人たちの考えは量りかねますが、しかし、そんな人を次々に病気にするようなこと(あるいは次々に災いを起こすようなこと)を同じ人が出来るわけがないのです。(やれると言い張るなら、まずそういう人がやって見せてください。やれたら、私もそれを認めます)

どれだけ有名な神や教祖といわれている人でも(あるいは有名なマジシャンでも)これだけの現象は起こせないと思いますよ。

もうこの辺りで起きていることなど戦争レベルであるからです。(これだけ車が減ってしまっては、戦争でも起きているのではないかとそう思わざるをえません)

では、これほどの現象を一体誰が起こしているんでしょうか?

よく考えれば誰だって分かると思います。こんなことが出来る存在はもう神以外ないからです。(もちろん、本物の神ですよ。そこらでいわれている人の神などではありません)

神以外で、どうやってこんな現象を現すことが出来るのでしょう。

では、神がそれをしているんでしょう。それ以外では考えられないからです。

ところがです。この辺りの人たちは、この「神」という言葉をきくと、とたんに耳をふさいでしまうのです。

そういう人が多いのです。神といったとたん「また、適当なことをいっている」とそう思うようです。無神論の人たちがほとんどだからです。

だから、神が絡んでくると信じなくなるのです。神など存在しないので、存在しないものがそういう災いを起こせるはずがないと思うわけです。

そうなると、必然的にこのような現象はお前が(私が)していると、そう思うようです。(そちらの方がよほど無茶な発想だと思うんですが…一人の人間がこんなこと出来ますか?私は、そこらで神を名乗っている教祖様とは違うんですから。〔苦笑〕)

誰かを犯人にしなければ、起きている災いの意味が分からない。だからお前が犯人だ、とこういう発想のようですが、しかし、もうそういう考えは捨てないといけないのです。

そういう考え自体が、大間違いであるからです。

まだ分かりませんか?自分たちが、いつまでも(私がいう)神を信じようとしないから、そのような災いが起きているということがです。

それは、特別この辺りだけではないでしょう。日本中に起きている災いもそうなのです。

本当の神を、そうしてその神の心を信じようとしないから、そのような災いが起きてくるのです。

実際、その神を信じ、神の心を理解している私には奇跡が起きているからです。

そうして、その私のいうことをきている人(ウナッシーさん)にも同じように奇跡が起きているからです。

神の心を信じている人には(私も含め)次々に奇跡が起きているのです。これ以上の証明はないのではないでしょうか。

私のいっていることが正しいというです。

それに対し、私のいう神の心を無視したり、逆らったりしている人たちには次々に災いが起きているのです。

これもまたこれ以上の証明はないのではないでしょうか。その人たちが間違っているというです。

まあ、正しい、正しくないは別にしてもです。奇跡が起きている人と災いが起きている人、どちらのいうこときいた方がいいのでしょうか?

それくらいの判断は誰でも出来るはずです。

ところがこの辺りの人たちは「神」という言葉をきいたとたん(それはこの辺りだけではないのかもしれませんが)耳も目もふさいで、それから先のことを一切、理解しようとしないのです。(思考停止状態ですね)

どれだけ自分たちに災いが起き、私に奇跡が起きていても、ということは自分たちが不幸で、私が幸福であると目の前で見せられていても、それが分からない。

なんと「神」という言葉がじゃまをして、自分たちが不幸で私が幸せであるという事実が、目の前に何度現れてもまったく理解出来ないというのですから本当に哀れです。(ちょっと信じられませんが…なんでこんなことが分からないのでしょう。災いが起きるより、奇跡が起きた方が幸せに決まっているではないですか)

これが何年(何十年)にもわたって、無神論という間違った思想に支配されてきた(いまだ支配され続けている)人たちの哀れさなのです。

自分たちが、神を信じれば(もちろん心からですが)その災いはすぐにでも止まるのです。

しかし、それが分からない。

その神をいつまでも信じることが出来ないため(神の存在を認めないため)いつまでたっても災いが起き続け、その災いが起き続けている本当の理由をいつまでも理解しないため、その自分たちの罪を(神は存在するのに、その神を無視し続けた無神論の人たちの罪は重いのです)私に擦り付け続け、よけい罪を重ねている。

あまりといえばあまりの哀れさでしょう。

いつまでたっても自分たちの無神論の罪が分からないというのですから。

それで、いつまで、その間違いを(神に対する無理解を)続けるのですか。その(無神論の)間違いを続けている限りは災いは止まることはないのです。

いい加減、神を信じてはどうでしょう。神を信じれば、起き続けている災いは必ず止まるからです。

追伸…やっと桜の開花が発表されましたね。今年は暖かくなるのが早かったのでもっと早いと思っていました。(少々は早いみたいですが)

しかし、桜は開花しましたが、こちらの人たちの神への開花はまだまだ先になりそうです。(苦笑)

何度もいいますが、神への開花を急がれた方がいいでしょう。

そういう人から、本当の幸福が得られることになるからです。

その本当の神を知ることの幸福を、無神論の人たちは知らないでいるだけなのです。

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