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4月 04 2019

迫りくる危機

10:55 AM ブログ

センバツ高校野球は愛知の東邦高校が優勝しましたね。

これで平成の最初と最後の年のセンバツ優勝校が愛知の東邦高校ということになり(平成の最初の年のセンバツも東邦が優勝したそうですから)きりのいい記録が出ましたね。

平成のセンバツ高校野球は愛知で始まり、愛知で終わったということになるからです。

もしかしたら、これで愛知も終わりなのかも知れません。(これで愛知は滅ぶのです。〔涙〕)だから、こういうきりのいいことが起きたのです。最後に神が愛知県の人たちに夢を観させてくれたからです。

などと縁起でもないのですが、それが一概(いちがい)に冗談ともいえないようなのです。ずいぶん災いが起きているようだからです。

この辺りはです。(もう朝からどこも凄いお怒りです)

しかし、この辺りの人たちも怒ってばかりいても仕方ないでしょう。(ほんと、やたら怒っています)

もう癌などそこらじゅうで出ているのです。この辺りの人たちに、それが頻繁に出てきたとしても、それはそれで仕方がないのではないでしょうか。

行いが悪いからです。(誰も認めようとしませんが)

どれだけ私に怒っても癌は止まりませんし、それに私だって癌になるかもしれないのだから同じことでしょう。条件は同じなんですから。

ただ、私は自分がこの正法神理を実践しているから(そうであるなら、神に守られますので)大丈夫であろうと、勝手にそう思っているだけで実際は違うかもしれないではないですか。

だから、条件は同じだといっているのです。同じところにいるわけだからです。

しかし、皆さん方と私で違うところが一つだけありますよね。

その違いが大きいのかもしれませんが、もちろん、その違うところというのは、私には奇跡が起きているが、皆さん方には起きていないということです。

その奇跡が私には次々に起きているから大丈夫であろうと信じられるわけで、奇跡が起きなければ、さすがの私も怖かったでしょうね。

これだけ車が減ってしまってはです。そうしてこれだけ周りの人たちが怒っていてはです。

一体、何が起きているんだろうと心配になってです。(未来にいた時に、そういう〔人が次々に癌になる〕体験もしていますから)

しかし、奇跡という裏付けがあるから私はどんな災いが起きていても平気なのです。

神を信じているからです。(神の力が現れなければ奇跡は起きませんから。ということは、神に守られているということになります)

心から神を信じているから奇跡も起きるんでしょうが、それに文句があるなら、自分たちも私と同じことをすればいいのです。(誰もやるなとはいってないのですから)

そうすれば、同じ奇跡が起きてくるからです。

私は、この教えを誰にも教えていないというのではないのです。皆さんおおいに勉強してくださいと、このブログに事細かくこの教えのことを書いて、そうして(正法会員でしか見ることが出来なかった、園頭先生が正法神理のことをより分かりやすく書いてくださっていた)正法誌まで抜粋して、皆さんに提供しているのです。(もう、至れり尽くせりです)

正しい教えがあるのに、自分だけ知っていて誰にも教えないとか、自分だけ実践しているとか、そういうケチくさいことをしていて、自分だけが助かっているというのなら「何だ自分だけ助かればそれでいいのか」と怒るのも無理はありませんが、私はこの教えを堂々と公開し、そうして、どこの誰でもこの教えを実践してくれていいですよと、仮にそれがどこかの宗教団体であろうと、別にかまいませんよと。

おおいに、その宗教団体でこの教えを実践してくださいと、そういっているのです。

それにもかかわらず、私のいうことを一切無視して好き勝手やっておいて、それで何か悪いことが起きたら私のせいって、一体どういう神経しているんでしょうか?

この辺りの人たちはです。

あまりにも都合がいいのではないでしょうか。そのような(私に八つ当たりしてくる)人たちはです。

何度もいいますが、文句があるならやればいいのです。そうすれば災いからは逃れ、奇跡が起きるということも実感できるからです。

しかし、癌などなったらつらいでしょうね。そのつらさをブログに書いている人もいますが、あの白血病になった水泳選手でも、自分が想像していたより、何十倍も、何百倍も、何千倍もしんどいといっているのです。

あの水泳選手は高校生とはいえ、そこらの「無理をさせてはいけない」とか「体罰はいけない」とか、いわれている、ちょっとつらいことがあるとすぐに自殺するような、そんな弱い中、高校生とはわけが違うのです。

つらい練習に耐えに耐えて、そうしてトップ選手にまで上り詰めたスーパー女子高生なのです。

そういうスーパー高校生がそれほどの弱音を吐いているのです。

では、そういう病気になればどれだけつらいのか、ということになります。

だから、もう怒っている場合ではないと私はいっているのです。

そのような(本当につらく苦しい)病気がもう多くの人の目の前にまで迫っているからです。

迫りくる危機から逃れることが出来るのは、この教えを実践することだけなのです。いつまでもくだらない意地など張っている場合ではもうないのです。(凄い勢いで恐ろしい病気が現れているようですよ。この辺りは)

今すぐにでも、この正法神理を勉強し実践してください。そうすれば災いは離れ多くの奇跡が現れてくるからです。

刻一刻と危機が迫っています。救われる道はもうこれしか(この教えを実践するしか)ないのです。

追伸…先ほどもちょっと書きましたが、無理をさせてはいけないとか、体罰はいけないとか、最近はくどいほどいわれていますが(これも平成思想ですね。〔苦笑〕)こういうのもすぎると(いいすぎると)逆によくありません。

なんでもそうですが、ほどほど(中道)が大事なのです。

親の体罰まで法制化しようとしていますが、子供が口でいっただけで分かるのでしょうか?

もちろん分かる子もいるので、そういう子に体罰は必要ないのでしょうが、分からない子もいます。(特に私はそれを実感しています。どれだけ私がそういうことをしてはいけないといっても、私に嫌がらせをしてくる子がたくさいますから。そういう子たちにずいぶん罰が当たっているようなんですが…その罰が全部私のせいになります。自分のせいだろうといいたいです)

それに小さい時から無理をさせずにいて、大人になって社会に出て、そこで無理をするなら、その無理が少々のことであっても、その無理に耐えきれないということは往々にしてあるはずです。

最近の若者が、少しつらいとすぐに仕事をやめてしまうのも、そういうことが原因なのではないでしょうか。

それに大人や子供がすぐに自殺してしまうこともそうでしょう。

小さい時から無理はするなとか、体罰はいけないとかいわれて、甘やかせて育ってくれば、それこそ少々つらいことがあれば、そのつらさに耐えきれずすぐに自殺してしまうのです。

最近は自殺などすると、自殺した人にやたら同情しますが、しかし、そういう人も自分の心がもっと強ければ自殺するという選択はしなかったはずです。(例えば、仕事がつらくて自殺するような人は、その仕事をやめればいいのだし、学校がつらくて自殺するような学生は、ほんの数年の間そのつらさに耐えればそのつらさはなくなるのです。〔学校は嫌でも卒業しなければいけないからです〕心が強ければそういう判断は出来たはずです。しかし、心が弱いばかりに死ぬという判断しかできなかった、すべて、心の問題なのです)

自分の心が弱いばかりに、間違った選択をしてしまい、そうして地獄に堕ちなければいけない(自殺した人は例外なく地獄に堕ちます)その人の心がもっと強ければ、その人は自殺などという道は選ばず、もっと違う道を(生き延びる道を)ちゃんと探し当てたのです。

神は絶対に、そのような苦しんでいる人を見捨てるということはないからです。強い心で正しい選択をしていれば、必ずどこかで生き延びる道を示してくださるからです。

だから、心が強ければ生き延びる道はいくらでもあるのに、心が弱かったばかりに死ぬという道しか思いつかなかった、これだけ不幸な話もありません。

その心の強さは、やはり小さな頃から、鍛えておかないと強くはならないのであって、だから、あまりに甘やかすのは、結局、本人のためにならないのです。

このような平成思想は、平成の間だけにしてもらいたいものです。

次の令和の世は、このようなことも含め、少々の厳しさの中で秩序もしっかりした正しい世の中にしなければいけないと、そうしないと本当に滅びると、切に思う次第です。

(こちらの状況が状況ですから。しかし、少々のことで自殺する人たちに、私のこの過酷な状況を知ってもらいたいものです。〔もう周り中の人から嫌がらせを受け、それが何時終わるか知れない、そうして布施ももらえない・苦笑〕そうすれば、いくらか耐える心も出てくるだろうからです)

2コメント

2 コメント to “迫りくる危機”

  1. うなッシー2019/04/06 at 10:03 AM

    最近なり私の勤め先である会社では、社長が考案した社業精神を明文化したものを朝礼で輪読しています。内容は確かに道徳的なものですが、それについて気づいた事があるのです。それは、どんなに道徳的な事が書いてあろうと所詮前提は経済至上主義でありお金儲けであることだと言うことです。するとそれが何に影響するのかと言えば、道徳よりな考えで解釈してしまうと実際の仕事に関わる環境とのズレがおきてしまい混乱してしまうのです。仕事をするのはサービスを通して対価を頂くためであり、それを考えもしないでいると道徳的なことが書いてあるのにやっていることが違う等と会社批判を聞くことがあるのです。なので今は個人を主張することもあり、また
    やはり仕事も心から感謝してやらなければ、道徳心と経済至上主義精神を分けて考えることも難しいと思いますし、如何にこの教えが大事なのか改めて考えました。

  2. gtskokor2019/04/06 at 9:03 PM

    そうですね。経済でも、政治でも、私生活でも同じです。
    すべての根本に、この正法神理の心がないといけないのです。
    根本にこの正法の心があるなら、すべての事柄に奇跡が現れてくるからです。
    正法の心がないから、経済でも、政治でも、私生活でも、うまくいかなくなり奇跡も現れて来ないのです。
    だから、分け隔てなく多くの人々にこの教えを伝えないといけないのです。

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