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4月 11 2019

正しい判断をするのか、間違った判断をするのか

10:57 AM ブログ

哀れですね。もう人の顔を見てべそをかいているオバちゃんまで出てきました。

泣いている暇があるなら私のいうことをきくことです。そうすれば、奇跡が起きて幸せになれるからです。

信号で止まって、ブシュとやって来て、私をにらみつけてくる運転手もいますが「そんなに突っ張っても屁の突っ張りにもならない。自分もそのままでは癌になるんだぜ」というと下を向き、頭を抱えています。

もう苦しんでいるのがまるわかりの人たちがあちこちから出てきました。

それはそうでしょう。この状況で普通でいられるわけがないからです。

なら、頭を下げてはどうでしょう。この(恐ろしい)状況から救われるにはもうこの教えを実践するしかないからです。

それに、この状況では突っ張れば突っ張るだけ危なさが増すだけです。(この近所はもう凄いみたいですから。なんせ突っ張っている人たちばかりです。最近は朝も晩も必ずどこかで誰かが烈火のごとく怒っています)

突っ張っている暇があるなら私に頭を下げることです。それが出来た人から救われ行くからです。

それだけすばらしい教えを私は知っているからです。

まだ平気な顔をして嫌がらせをして行く人もいるにはいますが(ほとんどの人はこわばった顔をして嫌がらせをしていきますが)そういう人は単に無理をしているだけなのです。

心の中では苦しんでいるのです。(多分、超がつくほどです)

もう誰でもそうでしょう。(この正法神理を実践せずにいて)この状況で平気でいられるはずがないからです。

正法の世になったのなら正法の心にならないと不幸になるのです。しかし、大方の人は(前時代の)末法の心のままなのです。だから、不幸になっているのです。時代と心が合わないからです。

とはいえ、末法の心の人はそう簡単に正法の心になどなれません。(末法の心がしみついてしまっているからです)だから私のいうことをきいた方がいいといっているのです。

私はその正法の心を知っているからです。

どれだけそれを認めなくても、次々に起きる奇跡が、私が正法の心を知っているという何よりの証拠なのです。

にもかかわらず、多くの人はまったく奇跡が起きていない人のいうことを、それどころか災いが起きている人のいうことを、そのままきいています。

これほど愚かなことはないでしょう。

そんな人のいうことをきいていれば、必ず災いが起きてくるからです。

そのような人のいっていることは間違っていることが多いのです。だから災いが起きてくるのです。そういう時代になっているからです。

また、そんな人に限って私の悪口を散々いうのでしょうが、何度もいいますが、そういう人はいっていることに間違いが多いのです。

では、私のことも間違いが多いのではないですか。正しく私のことを見ているのなら、そんな災いは起きて来ないはずであるからです。

だいたい、そういう人はろくなことをいわないのです。あいつが人を病気にしているだの、あいつのせいでこうなっただの、見たままの(浅い)適当なことしかいわないのです。

その見たままのことでもです。そういう人は自分たちに都合のよいことだけいい悪いことはいわないのです。私に鳥や魚が寄ってくることや電車など乗っていて人に席を譲ったことなどいわないはずです。

私は、そういうよいこともたくさん起きているし、しているのです。(鳥など毎日寄って来ているし、電車で席なんか何度譲ったか分かりません)

しかし、私の悪口しかいわない人はよい部分は絶体にいわないでしょう。そうして悪い部分だけ強調していうのです。

それでは誰でも悪者になってしまいます。

だいたい、私が人を病気にしているといってもです。本当にそうなのかどうなのか分からないでしょう。

その病気の原因が、私なのか、それとも、その病気になっている人自身の問題なのか、確認しようがないからです。

私の意見をいわせてもらうならです。

それは私がその人を病気にしたのではないでしょう。(前回のブログにも書きましたが)もし、私が人を病気にしているのなら、それが自分にも返って来て、私自身も病気になるはずであるからです。

その人は(これもまた前回も書きましたが)自分自身の行いが悪かったため、そのような病気になっているのです。

自分でいうのも何ですが、現時点で私ほど多くの人たちの心を救っている者はいないのです。

本当の神の教えを(神理を)これだけ長い間(もう十年近く)説き続けた人は近年ではいないからです。(過去ではもちろんいましたよ。園頭先生など二十年以上も神理を説かれましたし、釈尊に至っては四十五年も説いていられましたから)

それほどの善人にです。その心を救われている人たちが(こういう人たちはみな私のブログを見ていますから)感謝もせずに嫌がらせをしてくるのです。

このような行いはどれだけ不遜で罪になるか知れません。(神理を伝えられている者に悪の行為をしているのですから、信じられないくらい悪いことをしています)

その自分がつくった罪が自分自身に返り自分が病気をしているのです。

つまり、その人はそれほどの(自分が一発で病気になるほどの)悪いことをしているということです。それだけ神理を説いている者に対する罪は重く深いからです。(それは釈尊でもキリストでも、高橋先生でも園頭先生でも同じです。未来の連中など園頭先生の悪口をいっただけで癌になる人が続出したのですから)

それと、これももう何度もいっていますが、そういう時代になっているのです。自分たちの悪い心が災いを呼ぶ時代にです。

だから、病気や天変地変が頻繁に起きるようになったのです。(それはこの辺りだけではなく日本中でです。もっといえば世界中でです)そのような正法の世が段々深まっているからです。

今この辺りで多くの人が病気になっている理由は、自分の行いの悪さと時代が変わったことによりそうなっているだけで、私のせいではないのです。

それが正しいのです。私は正しいことを書いているから奇跡が起き続けているのです。

しかし、その私のいうことを否定する人たちには何の奇跡も起きていないのです。奇跡が起きていないどころか、そういう人たちに次々に災いが起きているのです。

そのような起きてくる現象が正しいか正しくないかを教える基準であるのです。

正しい者には奇跡が、間違っている者には災いが、必ず起きるのです。

もうそれを認めるしかないのです。そのような正しい判断をしていくことが自分自身をも救うことになるからです。

自分自身が間違った判断をしているから不幸になっているのです。この辺りの人たちは、その判断の悪さを責任転嫁しているだけなのです。

いつまでも間違った判断をしているから、いつまでも災いが続くのです。

その時、その時で、正しい判断をしていかなければよいことは起きてきません。時代が変われば正しい判断はより難しくなります。

しかし、それでも正しい判断をして行かなければ幸福は得られないのです。

誰が正しいことをいっているのですか?

正しいことをいっているのは、奇跡が起きている人だけなのです。

(正しいことをいっている人の方が圧倒的に少ないのです。間違ったことをいっている人の方が圧倒的に多いのです。だから、多くの人が間違えるのですが〔だからより判断が難しくなってくるのですが〕そこで正しい判断が出来る人だけが救われて行くのです)

追伸…日本などの国際チームが、地球から遠く離れたブラックホールの撮影に史上初めて成功したそうですね。(それはすばらしい)

このブラックホールは、地球から約五千五百万光年も離れたおとめ座のM87銀河の中心にあるそうですが、どんだけ遠いのでしょう。

あまりに遠すぎて(五千五百万光年って、光の速さで五千五百万年もかかるということですから)もう想像がつきません。(笑)

しかし、これだけの距離とてこの大宇宙から見たらほんの近所にすぎません。大宇宙は無限の広さを有しているからです。

この大宇宙の広さを想像してみてください。私たちの考えがいかに小さなものであるのかよく分かるはずだからです。

この教え(神理)を勉強し、悟りを開くなら、この大宇宙と同じ心の広さを得ることが出来るのです。(だから悟ることを「宇宙即我」というのです。大宇宙がすべて自分の心の中に入る、釈尊やキリスト、高橋先生や園頭先生はこのような境地になられています)

これほどすばらしい教えは他にありません。(この広大な大宇宙にも存在しません。他の星にいる人々も皆、この教えを学んでいるのです。いずれそのことも分かる時がくるのです)

いつまでも小さなことにこだわっているのではなく、大宇宙の広さも今回のブラックホールのことで少しは実感できたことであるのだし、もっと広い心になって素直にこの神理を学びませんか。

そうすれば救われるだけではなく、想像を絶するようなすばらしい体験もすることが出来るからです。

2コメント

2 コメント to “正しい判断をするのか、間違った判断をするのか”

  1. うなッシー2019/04/13 at 12:18 PM

    このブログで法があり心があり感謝することを教えて頂いていますが、最近気付いたのは、与えられた環境に感謝して日々の生活の中で反省を通して自分を正していく。それだけではなかったということです。それはその反省をする実践を通して自分を高める、その反省も高めてなお自分を高める。法があり心によって環境が変わることは法則であり、それを知って実践することを目的にするのではなく自分の心を知って正しい心に高めていくことだと言うことです。しかし、これこそがこれまでの実践でやって来た結果であり、神の導きであり高橋先生、園頭先生、大矢先生の愛によるものであることが事実なのです。自分一人では到底できるものではない厳しいものだと気付きました。感謝するのみです。

  2. gtskokor2019/04/13 at 7:49 PM

    頑張ってください。

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